世界一のラッパーは誰か? - FUJI ROCK FESTIVAL '18 ケンドリック・ラマー出演決定。

現在「世界一のラッパーは誰か?」と聞かれて、ケンドリック・ラマーと答える人は少なくないだろう。彼は間違いなく音楽史に名前を刻むアーティストである。なぜ、彼がそこまで優れたラッパーなのかと言えば、ライミングによってどうリズムをつけるか?それにどんなフロウ(訛り)をつけるのか?そして、それらをどういう音程で成立させるのか?(ラップにも音程はある)、その選択の全てが音楽的快楽に繋がるという、ラップという歌唱法を扱う「シンガー」として一流だということは大前提として、同時に「ストーリーテラー」としても一流だということがその要因だろう。

① メジャーデビュー作品となる2ndアルバム『Good kid,m.A.A.d city』(2012年)は「A SHORT FILM BY KENDRIC LAMAR」の表記のとおり、まるで非常に良くできた一本の映画を鑑賞するような音楽体験を味わえる。「グッドキッド」であるケンドリック・ラマーが、地元の「マッドシティー」ことコンプトンで、様々ないざこざに揉まれながらも、コンプトンを代表するラッパーとして立ち上がるまでの物語を、聴き手は、本作の重要なアイテムでジャケットにも描かれている「車」に乗せられ、その窓からコンプトンの街を眺めるように、真実味をもって体感することになる。ケンドリック・ラマーが実際に見てきた風景を、彼自信による見事な再構築=ショートフィルム化によって、個人の人生が普遍的なドラマとして完成するのは、間違いなく「ヒップホップ」アルバムの傑作と言っていいだろう。

② つづく、3rdアルバム『To Pimp A Butterfly』(2015年)は、2ndアルバムが評価され、セールス的にも成功したケンドリック・ラマーの「スターゆえの苦悩」が描かれる。前作同様に、そのスターの苦悩は個人的なところに終止するのではなく、一連の「ブラック・ライブズ・マター」の運動とも共鳴しつつ、アメリカ社会に搾取され続けるすべての人々への問題定義になる。その問題定義と、そこからいかに抜け出すか?が、アルバムを通して少しずつ完成していく「一遍の詩」とともに、紐解かれていき、ラストでケンドリック・ラマーはその詩を持って、死んだ2パックのもとに会いに行く。神のような存在であり先輩でもある2パックに、あれこれ質問するのだが……このラストが実に素晴らしい。神は沈黙し、答え合わせなんて出来ないのだ。

そして、本作がサウンド面でも優れていることには少し触れておきたい。ディアンジェロが「ソウルにせよ、ファンクにせよ、全てはブルースから始まっていたんだ。これが全ての核になっていて、全てを結び付けているんだ。」と言ったとおり、このアルバムは現行ジャズシーンで活躍するサンダーキャットカマシ・ワシントン、テラス・マーティン、ロバート・グラスパー、フライング・ロータスなどのミュージシャンを集め、ブルースから始まる、ジャズやファンク、そしてヒップホップに至るまでのブラックミュージックの歴史を総括するサウンドになっていて、これが絶品なのである。

③ 4thアルバム『DAMN.』(2017年)は、前作が2015年のアメリカ社会や音楽シーンの流れを組みつつも、音楽史との接続を試み「タイムレス」な質感を手にしていたのに対し、本作は2017年の音楽シーンで「キングは誰か?」ということをはっきりさせるためのアルバムだったと言えるだろう。そのため、サウンドも2017年のヒップホップシーンの流れに沿って、その枠の中でいかに最高の作品を作れるか?というものになっており、もちろん、その出来栄えは2017年のベストにふさわしいものになっている。 ①の「ヒーロー誕生譚」から、②の「ヒーローの苦悩」といったような、前作からのわかりやすい繋がりは本作にはないが、見方次第では、前作のラストで2パックと話した場所=「パラレルワールド」に迷い込んだ物語と見ることが出来るかもしれない。

このパラレルワールドには、邪悪さと弱さ、"HUMBLE."と“PRIDE.”、"LOVE.”と“LUST.”、イーストコーストとウエストコースト、ゴッドとヤハウェ、ブラッズとクリップス、まるで灰色の世界が黒と白に分断され、また1つに戻っていくような流動がある。極めつけは1曲目から14曲目へ、14曲目から1曲目へ、聴く順番を変えることで「父親に育てられ、偉大なトップラッパーになるケンドリック」と「父親がいないまま育ち、ギャングスターとして、最後に銃で撃たれて殺されるケンドリック」という、まったく正反対の2つの物語が浮かび上がる構成になっていること。「偶然」の積み重ねで人生の可能性は無限に広がっていき、あったかもしれない世界が無数に展開されていく(もしくは隣り合わせで存在する)。とすれば、このパラレルワールドへの言及は「すべてのニガーはスターだ」という②のオープニングのメッセージにも帰結するのではないだろうか?そして、そのメッセージは繰り返しケンドリック・ラマーが語っているテーマにも思える――。

では、ここで①に収録されている“Sing About Me,I'm Dying Of Thirst.”の歌詞を紹介しよう。

【See,all I know,is taking notes
On taking this life for granted
Granted,if he provoke

俺にできるのは、
命を軽視されたヤツらのストーリーを
書き留めることだけ、
怒りに燃えた時に】

そして、これは②に収録されている“Mortal Man”のラストの2パックとの会話である。

【Kendric Lamar [ In my opinion,only hope that we kinda have left is music and vibrations, lotta people don't understand how important it is.Sometimes I be like,get behind a mic and l don't know what type of energy I'mma push out,or where it comes from.Trip me out sometimes ]

2pac [ Because the spirits,we ain't even really rappin',we just letting our dead homies tell stories for us ]

ケンドリック・ラマー「俺たちに残された希望は、音楽とヴァイブレーションだけだと俺は思ってて、ほとんどの人たちはそれがどれだけ重要なのか理解してない。俺はマイクの後ろに立っていると、時にどんなタイプのエネルギーを押し出そうか、それがどこから来るのかが分からなくなるんだ。気が狂いそうになるよ」

2パック「それはスプリットだからさ、俺たちは実はラップしてるんじゃなくて死んだ俺らのホーミーたちのストーリーを、俺たちのために語ってもらってるだけなんだ」】

芸術を生み出す時、誰もが思うことだろう「このアイデアはどこからやってきたのか?」自分が作り上げた作品は、人智を越えた場所にある時間感覚を内包し、永遠にも近い時の記憶が刻まれている。これが出来るまでの間に、多くの名も知れぬ命がバトンを繋ぎ、自分もそのサイクルの一部になる。それはどんな些細なことでも構わない。例えば、巷に溢れる無数の似たような曲の一曲を、洗濯物を干す際にベランダで口ずさむ、そんな光景でさえも、尊い時間の流れの一部にあり、革命の力が潜んでいる。もちろん、ディアンジェロの『Voodoo』を聴く方がてっとり早くそのことがわかるかもしれないが、たしかに大いなる力があることを、私たちは芸術作品を通して感じることができる。

もし、③で言ったように、私たちの世界が枝分かれを繰り返し、無数のパラレルワールドを生んでいるとしたら、誰もが犯罪者で、誰もが偉大なラッパーかもしれない。しかし、そんな平行世界を夢想するまでもなく、私たちには、すでにさまざまな物語の可能性が眠っていて、それは芸術を介して掘り起こされ、交差する。いつだって、語り手と聴き手、双方のクリエイティビティの衝突が物語を紡いでいく。そこに優劣はない。ステージの彼や彼女も、客席にいる私たちも、等しく優れた表現者としてそこに存在し、芸術を作り上げている。

本稿の主旨は「2018年のフジロックや、そこに出演が決定したケンドリック・ラマーについて」ではない。「2018年のフジロックでケンドリック・ラマーを観る私たち」についてだ。もしかしたら、これを読んでいる人の中には、客席にいる自分がどれだけアーティストとして重要な役割を担っているか、自覚的ではない人もいるかもしれない。改めて考えてみてほしい。私たちがステージを観て何かを感じ、考え、踊る瞬間、そこに素晴らしい音楽が生まれるのだから。

現在「世界一のラッパーは誰か?」と聞かれて、ケンドリック・ラマーと答える人は少なくないだろう。でも、ほんとのところ「世界一のラッパーは誰か?」って、それは君や俺のことなんだ。


この作品は、「音楽文」の2018年3月・月間賞で入賞した東京都・島崎ひろきさん(26歳)による作品です。


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