変わらないまま、変わった。

<さらば人気者の群れよ/僕は一人で行く>

という歌詞から始まる曲がある。
星野源の「変わらないまま」(2ndアルバム『エピソード』収録)だ。

<冷えた風があの校舎で/音を鳴らす 遠ざかる/雨の日も晴の日も/変わらないまま過ぎた/輝く日々が>

僕の高校時代は端的にいうと「クソ」だった。彼女は居ないし、友達も居ない。部活はしていないし、バイトもしていない。学校のない土日は引きこもり。そういう高校生。

<耳を塞いだ音楽と 本の中で暮らす/これでいいわけはないけど/前は見ずとも歩けるの>

始まりは中学からだった。14歳を見事にこじらせ不登校になった。実質中学は最初の1年しか通えなかった。持て余した暇をとことんカルチャーにつぎ込んだ。音楽に心を癒し、盛り上げ、小説を読み世界から逃げた。そのまま試験を受ければ誰でも入れる私立高校に入った。通うだけで精一杯だった。オープンキャンパスで「綺麗」だと感じた屋上のテラスで昼食を食べることは結局なかった。なぜなら3年間教室の席で一人だったから。

<雨の日も 晴の日も/わからないまま 生きた/輝く日々が/雨の日も 晴の日も>

高校までは自転車通学だった。田んぼに挟まれた40分掛かる道を毎日漕いだ。雨の日は雨具を着て通った。これが辛かった。雨に打たれ、髪の毛や靴下をべちょべちょに濡らしながら「自分はなぜここまでして楽しくない場所に行かなければならないんだ」と‘それを言っちゃおしまいよ’なことを思ったりもした。しかし、通った。絶対に中学の二の舞にはしたくないから。

<昨夜のラジオが鳴り響く 笑いを押し殺す/>

高校時代、「これと出会っていなければ死んでいた」とまで本気で思うものが2つある。その1つが深夜ラジオだ。中学で出会って以来、毎日深夜は布団に潜りラジオを聴いた。そこでは芸人さんやアーティスト、はたまた文化人や漫画家が僕の隣で僕だけにお話をしてくれた。もちろん、ラジオは全国に向けたメディアな訳でそんなことはないんだけど、でもそんな風に感じて心が落ち着いた。僕は自然とメールも送るようになった。いわゆる「ハガキ職人」というやつだ。自分の大好きな人が電波を介して遠い地方に住む僕の書いた文で笑う。日々、誰とも話さない自分にとって、唯一の「肯定」だった。

録音したラジオを聴きながら帰るのが高校1年生からの日課だった。2年生の頃、クラス替えで初めて知り合った同じ町に住む同級生に「一緒に帰らないか」と誘われた。僕は「今日、親が迎えに来てるから無理。ごめん」と断り、耳にイヤホンを差して一人帰路に就いた。その後も何度か誘われたが、毎回何かと理由を付けて断る僕に同級生も諦め話しかけてこなくなった。一日の一番の楽しみだったラジオを聴きながらの帰宅をどうしても邪魔されたくなかった。「友達が欲しいのに、反対の行動を取る自分」に悩み、また夜が来たらラジオをつけた。

<いつか役に立つ日が来る/こぼれ落ちた もの達が>

高校の卒業式を控えた3月の上旬、僕は東京に居た。自分の書いた漫才が舞台で披露されるからだ。
とあるラジオ番組の企画で「リスナーが考えたネタをプロの芸人が舞台で披露する」という趣旨のライブがあった。そこに僕は高校3年間の集大成のような気持ちで漫才を送った。それが採用されたのだ。番組から招待され、夜行バスで10時間かけて向かった。そこには誰とも遊ばず真っ直ぐ16時に帰宅しては本当に大好きでDVDも買って何十回、何百回と漫才を見てきたあるコンビが、僕の書いた漫才を500人の前で披露し、笑いを獲っていた。「いつか役に立つ日」が本当に来た。そう思った。

<雨の日も 晴の日も/変わらないまま 過ぎた/輝く日々が>

高校3年間、僕は何も変わらなかった。心を開ける親友ができる訳でも、甘酸っぱい青春を共に過ごす彼女ができる訳でもなく、雨の日は雨具を着て自転車を漕ぎ、晴の日もさっさと帰宅し部屋に籠った。
でも、夢は見つかった。こんな自分を救ってくれたように、将来自分も東京でラジオ番組を作ること。

<雨の日も 晴の日も/わからないまま 生きた/輝く日々が>

卒業式が終わり、僕は同級生との別れを惜しむことも、先生に感謝を述べることもなく、一人、自転車で隣町のTSUTAYAに向かった。そのTSUTAYAは店内にカフェも入っている僕の住む県で一番大きな店舗だ。僕はよくこのTSUTAYAで本を読んだりして時間を潰していた。同じようにその日もコーヒーを注文して一番端の定位置に座った。そして、自分のiPodにイヤホンを差し再生ボタンを押した。迷いなく1曲目に選んだのは星野源の「変わらないまま」。

出会っていなければ死んでいたと思うもう一つは、星野源だ。なかでも好きな曲は「変わらないまま」。中高時代、録音したラジオを聴きながら満員電車に揺られ2時間かけて学校に通っていたという星野源さんの姿が映っているこの歌が僕は大好きで、辛くなったら何かの薬のように聴いていた。そして、卒業式のあとは必ずこの歌をこのTSUTAYAで聴こうと決めていた。自分のような学生を全肯定も全否定もしない、程よい距離感で寄り添ってくれるこの歌のおかげで中学とは違い、3年間通うことが出来た。

傍目から見れば変わらない日々かもしれない。でも、僕は変わらない日々を過ごしながら確実に「変わった」。
変わらないまま、わからないまま過ごした日々をいつか役に立つ日にするかは自分次第。「輝く日々」になるかどうか決めるのはこれからだ。

さらば人気者の群れよ。僕は一人で行く。

高校を卒業し、19歳。
僕は今、東京に居る。


この作品は、第2回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で最優秀賞を受賞したキクチ タイスケさん(19歳)による作品です。


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