奇跡のバトン

「尽未来際~尽未来祭~」
幕張メッセ国際展示場
2015年11月14日(土)15日(日)

1日目
2015年に20周年を迎えたBRAHMANが主催したイベント「尽未来際~尽未来祭~」。彼らの20年間の集大成は盛大な祭となり、その2日間はTOSHI-LOW(Vo)にとって生きる意味でも、死ぬ意味でもあったバンド人生を凝縮させたような時間が流れた。
終始AIR JAM世代の「俺らの青春の音楽」が鳴り響いていた1日目。3年振りにHi-STANDARDがステージに立ち、興奮が冷めやらぬ中で奇跡が起こった。誰も現れるはずのないステージに楽器がセッティングされ、ギターを持った男が現れる。“SUPER STUPID”のギターリフと観客の騒めきが響く会場内で、16年振りにSUPER STUPID(以下、SS)がアナウンスなしの演奏を始めたのだ。突然の復活に喜びの歓声と感動の叫泣が渦巻いた。聴けるはずのなかった3人の最後の演奏は、AIR JAM世代の仲間が集まった祭典で「けじめ」として聴く人の心に永遠に焼き付いただろう。
SSの「けじめ」を受け止めたBRAHMANは、静と動を巡り回る “TONGFARR”で幕を開けた。「あの頃」のようにMCなしで叫び、吠え、暴れ続け、21曲続けた彼らは、築き上げた時代と音楽が続いていることを証明してくれた。TOSHI-LOWは最後に「手のひらに残ったのは感謝だけです」と心の底からの言葉を放ち、去っていった。BRAHMANがぶれることなく20年間突き通した「行動だけが現実」という信念は、ハイスタとSSの復活を含め、AIR JAMという時代の音と時間を蘇らせたのだ。尽未来祭という奇跡の祭典は、時代を繋ごうと尽くしたTOSHI-LOWの「行動」が作り出した必然ではないだろうか。そしてフェスが嫌いという彼らにとっては20年積もった感謝や想いを伝えるための、巨大な対バンイベントだったのではないか。それに応えるように昔の若者達は当時と変わらず目を輝かせ感情に身を任せて体と魂をぶつけ合う光景が広がっていた。

2日目
初日と空気は一変し、時代を切り開くような鋭い眼光を持ったアーティストが揃った2日目。客層も180度変わっていた。SiMMAN WITH A MISSION とBRAHMANが次の時代を担うと認めた後輩や、THE BACK HORNthe HIATUSと大震災の被害を受けた東北を音楽や物資で支援する中で心を通わせた仲間がBRAHMANを祝うために集まった。
リハーサルから2曲もやってしまう10-FEETはいつも以上に彼ららしい。MCではTAKUMA(Vo/Gt)がステージを降り、TOSHI-LOWのように客の上に乗る。TOSHI-LOWのモノマネをしながら「京都大作戦に毎年オファーしてるけど『○○祭みたいなサブタイトルやめたら出てやる』って。今日のライヴ、尽未来祭。自分がやってんじゃねーかー!」と叫ぶと会場は爆笑に包まれた。そしてライヴの終盤にはBRAHMANの“SEE OFF”のカバーも披露。アニバーサリー感たっぷりの特別な10-FEETのライヴと、TAKUMAのおちゃらけたMCからはBRAHMANへの大きなリスペクトと愛が見えた。
2日間を締めくくるBRAHMANのステージは感謝にまみれていた。死んでもいいとライヴに臨んでいるTOSHI-LOWの口から「またライヴで会いましょう」という言葉が飛び出す。震災後初めてアンコールも披露されたこの日は、彼らにとって記念の日でもあり、紛れもなく一歩進んだ始まりの日でもあった。
尽未来祭に出たバンドの共通点は、音を鳴らし心を剥き出しにして生きるという精神性ではなかっただろうか。そして尽未来祭はBRAHMANの20周年を祝うただの祭ではなく、時代も音楽性も違う点と点を精神性の上で1つの線にする節目だったのかもしれない。自らの手でAIRJAM世代から新しい時代を作る世代へバトンを繋いだBRAHMANの背中は、20年間で過去、現在、未来を繋ぐ存在になっていた。振り返ってみればそこには多くの仲間と同志、そして時代と精神を受け継ぐ後輩もできた。「永遠に」という意味を持つ尽未来際という言葉通り、また10年後、20年後も、新しい仲間が増えた奇跡の祭典を見せて欲しい。


この作品は、第1回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で入賞した小澤一樹さん(21歳)による作品です。


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