安室奈美恵という現象が現代日本の女性像を変えた - 安室奈美恵の引退について想うことを同世代の視線からぶつけたい

突然のことに言葉を失う。安室奈美恵が引退を発表した。
ここで彼女の経歴を振り返っても“言わずもがな”な事実ばかりで老若男女共通の知識である、まさしく彼女は国民的スターであった。だから、ここではリアルタイムで彼女を見てきた同世代な音楽ファンの視点で、安室奈美恵という現象は何だったのかを追っていきたい。

思い起こせば、自分が多感で流行歌を気にし始める中学生の時に「TRY ME~私を信じて~」を聴いて、当時日本で流行していたユーロビートのノリが非常に幼き少年心に分かり易く、早速、虜になる。初めて小遣いでCDを買ったのが、それだった。

95年の紅白初登場の時は、司会の上沼恵美子が「さあ、安室奈美恵ちゃんの登場ですよ」と言った時に、会場から女性の歓声が飛んだことに、隣の古館伊知郎が驚いたのを今でも覚えている。その頃の安室人気は、さほどで、流行に敏感な女子のみ認識していたのだった。

それから彼女の人気と影響は、誰もが想像する以上の速度と範囲に及んだ。渋谷では女子高生たちが、ロングヘアーに“シャギー”を入れ、厚底ブーツを履き、日サロに通い肌を焼きまくっていた。アムラー現象である。そして、彼女の出身地である沖縄までもがピックアップされ、安室出身の芸能スクールから、MAX、SPEEDと多くのガールズ・グループが出てきては、次々に絶大な人気を誇った。それに比例するように、芸能界を目指す女子が増え、芸能界全体も女性タレントの比重が大きくなっていた。余談になるが、この頃は、自分もタレント養成所に通っていたのだが、「果たして男の自分に芸能界の需要はあるのか?」と不安になったくらいだ。
たった一人の女性アイドルが、その風貌や生き様が憧れの的となり、社会的関心や業界を動かし、社会現象を生んだのは珍しいことだった。聖子ちゃんカットとは桁が違うと思う。当時、田舎もんの中坊の自分には、安室そのものが都会・流行の象徴だった。

当時の安室の扱いはアイドルそのものだった。現に今とは全然違う。今や同性の支持を絶対的なものにし、アムラー現象時代に産まれていないような若い世代にも支持を得ている彼女はカリスマそのものだ。しかし、ファンを公言していた自分は下敷きさえも安室にしていたが「こんな沖縄の色黒な女性の何がいいのか分からない」と周囲から茶化されたりもした。確かに、沖縄出身特有の色黒な安室は、それまでブリブリなミニスカ穿いちゃうようなアイドルとは異なった存在で、我々の世代には新鮮を通り越して異物と捉えていた人間もいたのだろう。ま、流行やアイドルを敢えて毛嫌いする思春期特有の反抗心からの発言だと思うが、その頃の同級生たちに、今現在の安室人気を問いただしたいくらいだ。

そして1997年、突然の結婚・妊娠報道。アイドルの寿命は四年と言われるが、安室の場合は結婚という選択で世の男子ファンを自ら離した。(当時はまだアイドルが結婚することが人気を左右するなんて思想が今以上に濃くあったのだ。)
言ってみれば、彼女はこの頃から自ら選択をしていた。誰の指図も、周囲の評判も関係ない。自分らしさを重要視する人だった。しかし、復帰後、絶大な人気を誇っていた安室も徐々に世間は興味を失っていった。当時の週刊誌やテレビ番組は、とにかく“ポスト安室”探しに躍起になっていた。同じ沖縄出身ということで、知念里奈がプッシュされていたが。しかし、人気云々は別として、ミュージシャンのクオリティとして、安室のようなダンスと歌唱力のレベルの高い女性シンガーは現れなかった。

しかし、安室の真の凄さはここからだった。先でも言った通りに、彼女の全盛期を知らない10代20代の女性を中心に人気が拡大。彼女はストイックにダンスや楽曲向上(小室からの脱却と洋楽的R&Bサウンドの追究)など、セルフプロデュースで自分を高めていたのだ。五年前にドーム公演を行ったのが最後ではあるが、その姿は、幼き頃に知っていたアイドル・安室奈美恵はいなかった。その様は、例えるなら、ケイティ・ペリーリアーナと肩を並べても見劣りしない、まさしく世界基準といって過言ではないクオリティだった。自分の方向性を信じた結果に大衆がついてきたのだ。信じられない復活である。全盛期(ミリオン連発時を指す)並みの動員を再び誇るなんて、通常のミュージシャンは出来ない。有り得ない。

また、彼女が流石だと思ったのは、小室以降の楽曲を収めたベストアルバム『BEST FICTION』を出した後に、そのジャケ写である自らの写真を破った写真が印象的な『PAST<FUTURE』を出したことだ。あのジャケ写には相当の衝撃を受けた。過去の栄光を自ら破り捨てるようなメッセージ性……実際に地上波のテレビ番組で彼女の好きな歌のランキングで往年の小室曲が並ぶ中、1位が2012年の「Love Story」だった。比較的新しい曲の人気がミリオンヒットなどの旧曲や代表曲を超えるというのは、サザンやミスチルなど何十年も第一線に君臨するミュージシャンに見られる現象であり、彼らでも至難の業である現象だ。それを具現化させた希代の女性シンガー。彼女を超える女性アーティストは、日本の芸能史古くとも唯一無二だと断言できる。

彼女の魅力は、その寡黙性にもあったと思う。ドーム公演でも一切MCをしない。アイドル時は地上波の音楽番組で赤裸々に私生活や自分の考えを発信していたが、それを全くしなくなった。結婚、出産、子育てなど、誰もが気になる情報を明かさないことが、一種の神妙性を生んだ。負けず嫌いな性格がゆえに“劣化”という表現を極端に嫌がったことが表しているように、そのスタイルの良さをキープしていることも同性の憧れを煽った。
東京五輪の開会式でパフォーマンスをするに相応しいアーティストのアンケートでも名前が挙がった。もちろん、大衆歌手の中でも最も世界基準に近いように思える。その姿が見れないのは残念だ。

個人的には芸能人は「引退」するものでないと思っている。需要がある限り、望んでいるファンがいる限り、一生涯自ら身を引くなどもってのほかだと。しかし、彼女は《選んだこの道を 歩いてくから》と歌う。恋愛を大々的に歌った「Love Story」の一説ではあるが、彼女の道を決めるのは彼女自身でしかないという言葉である。彼女の未来を決めるのは彼女以外であってはならない。それこそ彼女の“美学”であり、魅力の源であった。そう考えると、その潔さには屈服するしかない。四半世紀を自分なりの方法で輝き続け、日本の女性像に新しい形を提案し続けた安室奈美恵に心からCelebrationを贈りたい。


この作品は、「音楽文」の2017年10月・月間賞で入賞した埼玉県・川鍋良章さん(36歳)による作品です。


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