病気をきっかけに広がり繋がった音楽と親子 - 私達親子にとって星野源とContinuesの意味するものとは

2016年12月、私はインフルエンザになった。
生まれて初めて、40度の熱を出し5日間寝込んだ。
熱が下がった後も動けずに計2週間近く寝込んだ。

その時に知った
ドラマが⌜逃げるは恥だが役に立つ⌟
通称、逃げ恥。

昔から、滅多にドラマなんて見いひん。
気になるものがあったら見るくらいで好きな俳優が出てても、内容に惹かれへんかったら見いひんかった。

でも、インフルエンザの間、高熱で頭痛も酷くて寝るにも寝れへんくて、布団の中で蹲りながら、気を紛らすためにずっとテレビをつけてた。
その時に見たのが逃げ恥。

いつも会社で流してるFMラジオでどの番組でもDJが逃げ恥の話をするから、世間で話題になってるんは知ってた。

別に新垣結衣星野源を知らんかったわけではない。新垣結衣は昔から知ってたし、星野源は⌜コウノドリ⌟の印象が強かった。

毎日、ラジオで嫌ほど流れるから⌜恋⌟を知らんかったわけではないし、ただ、本当に興味がなかった。見るまでは。

でも、なんとなく見たもんやからストーリーがわからんまま、始まり終わってしまった。
けど、わかったんは二人は夫婦やけど、好きで結婚したわけではなく、あくまでも雇用主と従業員。

夫婦やのに、あのぎこちなさに違和感を覚えたのを今でも覚えてる。

そして、エンディング。⌜恋ダンス⌟とはこれかぁ…って思わず、新垣結衣の踊りに目が釘付けになり、段々と出てくる共演者達に驚いた。
その姿を見てみんながマネする気持ちがわかった気がした。

私も学生時代は安室奈美恵やスピードに憧れ、ダンスをしていた。
だからなのか、体が自然と動きたい気持ちになった。インフルエンザでなければの話やけど。

でも、何よりもわからんままにドラマを見たもんやから、それまでが気になった。
今までそんなこと1度もなかった。
私は逃げ恥に興味を持った。

そこからは家族から隔離され、一人部屋の布団の中で高熱と頭痛と戦いながら、逃げ恥について調べた。
気を紛らすためでもあったんか、その時の私は必死やった。
寝れないもんやから、ずっとそれまでの逃げ恥を見た。
そして回を重ねるごとにどっぷりとハマって行った。

夫婦のあり方について...かたちなんて何でも良いんや。そう思った。
私自身、昔、旦那の苗字になることに疑問を持っていた。
夫婦別姓、それが通用する世の中になって欲しいって思ってた人。
でも、現実はそうも行かんくて、渋々、旦那の苗字になった。

旦那に対しても、冷たい素振りで接するのが自分のキャラなんやって思ってきた。
本当は甘えたい、外で手を繋ぎたい、気軽にハグしたい、チュッって軽い挨拶のキスがしたい。
でも、結婚して10年、自分のキャラが邪魔してそんなこと出来ひんかった。

けど、逃げ恥でハグの日から段々と二人が変わっていく。
その姿に自分も心を動かされた。

逃げ恥を見終わると、自然と旦那と触れ合いたい、そう思うようになった。

そんな時、ふと思った。星野源とは何者なのか。

⌜コウノドリ⌟で冷たい医師をしていたんは知ってた。
何となく、1話でのその演技にあまり良い印象を持たへんかった。
何より、私にも子供を産んだ経験があるからこそ、当時はまだ子供も小さく見ることが怖かった。
旦那が見ているのをところどころだけを家事をしながら横目で見ていたくらいだった。
だから内容なんてほとんど知らんまま。

とりあえず⌜コウノドリ⌟も1話からすべて見直した。
子供が小学生に上がったこともあり、見る目が出産経験者の目線で見れるようになっていた。
それには自分も驚いた。

そして色々調べてわかったこと。

それは、⌜めざましどようび⌟で流れていた⌜Week End⌟という曲を作って歌っていた。
知らんかった。

毎週土曜日の朝、旦那を仕事へ送り出した後に、旦那が見ていたチャンネルからこの曲が聞きたくてチャンネルを⌜めざましどようび⌟にしてこの曲だけを目当てに見ていた。

でも、誰が歌ってるなんて考えたことはなかった。
ただの番組のテーマ曲やと思ってたから。

でも、この曲を聞くと自然と月曜から金曜までの自分の仕事の疲れが取れる気がしてた。
そして、土日にやらなあかん主婦業、母親業を頑張ろ!
そんな気にさせられた。

もうここまで来たら、止まらへん。
とことん星野源について調べ倒した。

ほとんどの曲をダウンロードして、布団の中でイヤホンをして聴いた。

【ばらばら】
⌜世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう

気が合うと 見せかけて
重なりあっているだけ
本物はあなた わたしは偽物⌟

【くだらないの中に】
⌜流行に呑まれ人は進む 周りに呑まれ街はゆく
僕は時代のものじゃなくて
あなたのものになりたいんだ⌟

【ばかのうた】
⌜ぐらぐら 揺れる地面の上の家
いつかは崩れ落ちて さあ やり直し
今までの色々は 忘れていいよ⌟

私自身、当時、人付き合いに悩んでた。
別に流行りに興味があるわけでもなく、今まで自分は自分と通してやってきた。
けど、あの時、向こうから急に私に寄ってきて、私はその人に振り回され振り回された結果、向こうから去って行った人がいた。
そこまでは別に良かった。
でも、その後、周囲にありもしないことを言い回され、私は居場所がなくなった。
それでも、自分は自分だと思ってそこに壁を作った。

【ばらばら】
何か、初めて聴いた時にすごく共感できた。
その時の自分がそのままやった。
歌詞が今の自分にすごく当てはまってた。
⌜気が合うと見せかけて重なりあっているだけ⌟
ホンマにその通りで私は私で人は人。
この曲がそう、教えてくれた。
そしてこの曲が星野源が当時に振り回された彼女がきっかけだと知ったのはもっと、後のこと。
まさか私と同じような境遇だったなんて思ってもなかった。

【くだらないの中に】
この歌詞は本来、好きな人にあてたものだと思う。
でも、私には自分は自分でいても良いだ、そう言ってもらえた気がした。
だから自然と涙が流れて、止まらなかった。

【ばかのうた】
自分に言ってもらってるんやと錯覚するくらい、心に入ってきた。
いつでも人はぐらぐらなところに立っていて、いつそれは崩れるかわからへん。
けど、崩れたら崩れたらで、今までのことは忘れてまたやり直して行けば良い。
勝手に自分の中でそう理解して、前を見なあかん、そう言われてる気がして、何度も何度も聞いて聞いて、泣いていた。

この曲たち以外でも、どの曲も今の自分、そして過去の自分と重なりあって布団の中でタオルを握りしめ、一人泣き続けた。

あの星野源の声が歌詞と音楽とともに、私の中にすーっと入って体の中に浸透していく。
そんな感覚さえ覚えた。

インフルエンザで家族から隔離された1週間は、ほぼ星野源で埋まってしまった。
そして、インフルエンザが治った後もしばらくあまり動けなかった。
仕事だけは行くもの、家に帰るともう動けない。すぐに部屋で寝込んでいた。
その間もずっと星野源の曲を聞いていた。
曲を聞くと涙が出そう、いや...出るけど、心が落ち着く自分がいた。自分だけやない、わかってくれる人はおる。
あの声に安心さえ覚えた。
私には安定剤と同じ役割に近かった。

そこから私にとって、星野源の曲はなくてはならないものと確定していった。

そして、当時小学1年の子供にも聞かせよう、そう思った。

子供もまた幼稚園時代からいじめに合い、そのまま小学生になり、さらに近所の同級生や上級生からいじめられ、自分の殻に閉じこもってた。

いじめられるというか、そういうキャラなんやと思うようにしていたけれど、本人にはそうもいかへん。学校から帰ると好きな電車のテレビやプラレールで遊び、ストレスを発散していた。

そんな子供に星野源の曲を聞かせてみた。

すると、⌜恋⌟に反応して、逃げ恥を見るようになった。子供にどこまで伝わってるのかはわからへん。
けど、『ママ、火曜日やで、ハグの日』そういって、ハグをしたり、私がいない時にドラマのエンディングをみて⌜恋ダンス⌟を覚えたりするようになった。

そこからが驚いた。自分から他の星野源の曲を気になりだした。

家の中、車の中...色々な曲を聴かせた。
多分、子供に歌詞の意味なんてわかってへん。
でも、嫌がるどころか進んで曲を聴くようになった。

私はなんとなく、自分の子供と幼い頃の星野源のエピソードを重ね合わせていた。
この二人は似ているのかもしれへん。

1人っ子。
ヲタク。
根は明るい。

など、当てはまる部分が沢山あった。

そして、子供の好きなものがひとつ増えた。
星野源

星野源が出ているテレビも興味を持ち出した。
レンタルビデオ屋さんに行き、見つけくるのは星野源が出ているもの。
片っ端から借りて、子供は返却日までとことん見てた。

エッセイにも興味を持ち、本を読みたいと言い出した。
そしてラジオまで聴きたいとまでも言い出した。ラジオは聴かせられるところだけを抜粋して聴いている。
テレビと違い、ラジオは顔が見えへん。
その分、子供なりに星野源という人が近くにいるようで親近感がわくようで、毎回聴き入っている。

音楽に関しては、子供なりの聴こえた歌詞で覚えて、今ではほとんどの曲が歌える。
カラオケに行けば、自分で星野源の曲を探して入れるまでになっている。気がつけば、歌詞を見なくても歌うまでになっていた。
そして、ツアーのDVDを買って見せるとトークやセリフまで覚えてる。
MVのDVDでは、自分なりの世界感で見ていた。
あれはあーだ、こーだと子供なりの意味があり、ただ見てるんじゃなくて、子供なりに何かを感じて見てることに気づかされた。

基本、音楽を聴くのを嫌がっていた子供が星野源の曲だけは進んで聞くようになった。

そして星野源に関係する音楽を中心に他に広がりつつある。

子供に聞けば
『星野源の全ての曲が好きなんや』
そう答える。
俳優としての星野源も好きやけど、
音楽家としての星野源が一番好き。

そんな、私と子供。
子供は男の子やし、共通するもんなんてないんやろなって思ってきた。
でも、親子で、共通な趣味のようなものが出来た。そんなことが出来るなんて思っても見いひんかった。

昨年の星野源のツアータイトル【Continues】
音楽は繋がり、続いていく……

昨年、必死でチケットを取ろうと頑張った。親子で行きたかった。
けど、やっとの思いで取れてたのは、立ち見席1枚。子供の分は取れへんかった。
子供は「ママだけで見てき。」そう言って送りだしてくれた。子供なりの優しさ。
そして、普段書くことが嫌いな子供が星野源、本人に向けて手紙を書いた。私はそれを持って会場へ向かった。
何度も落選して泣いたのを隣で見てきただけに子供と来れへんかったことが悔しかった。
でも、その手紙を係の人に渡して、本人へ届くよう祈った。

いざ、開演し始まり星野源、本人を目の当たりにすると私は涙が止まらへんかった。
あんな感動するコンサートは始めてやった。子供に見せてやりたかった。結局、終始、泣いていた。

私は次回こそ、親子で見にくるとそう心に誓った。

まさに星野源の音楽によって、私達親子は繋がった。
今までは子供とはいえ、共通する話しで盛り上がることなんてなかった。でも、今では親子の会話は星野源で成り立っている。

そして、星野源からまた別の音楽を知り、星野源を知らなかったら聞くこともなかっただろう音楽が、知らなかった世界が、次々と広がっている。

そんな星野源の音楽を通じてこれからも私達親子は繋がっていくだろう。
そして星野源についていくだろう。

Continues
自分の音楽に"受け継いで"
その音楽をまた次世代に"引き継いで"…
そうして音楽の世界は未来は繋がっていく。


この作品は、「音楽文」の2018年5月・月間賞で最優秀賞を受賞した京都府・有愛さん(37歳)による作品です。


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