BASIN TECHNOが見た夢 - 幹から腐れない岡崎体育と私

あれだけ嫌だった社会人になり、あっという間に半年以上経っていた。
私はまだ、大学時代に取り残されていた。



私の通ってた大学内に軽音楽サークルはたくさんあり、学校が部費を出してくれる同好会や部活もあれば、部活並みに上下関係が厳しく実力もあるが辞退者が続出するサークルもある。かと思えば、飲み会ばかりで男女でプールやら海やらに合宿に行ったり海外に行ったりしてそこで酒やら男女関係の事件があったりして一度もライブをしないサークルもある。

私たちのサークルはまさにその中間であった。ライブは年に5回ありちゃんと練習するが泣いたり辞めたりするほど辛い練習をするわけでもなく、かと言って練習をせず遊んでいるほど不真面目でもない。
サブカルチャーの服を着て大学に行き、ラウンジで授業がない時間は駄弁って、授業の時間になってもそのままダラダラとしてしまい、放課後は近くのスタジオで2時間ほどバンド練習をする。スタジオが終わったら家系ラーメンを食べタバコを吸い酒を飲み終電で帰る。本番前は朝までみんなで演奏していた。テスト前には必死に勉強をしてどうにか単位は死守する。
要するに不真面目な人間が集まってバンドを本気で楽しむサークルだった。
授業が無い時間みんなラウンジに来てしまい、休みの日はバイトかバンドしか予定がない。学科の友だちなんて一人も作れなかった。そういう人間が集まっていた。サークル以外に居場所がなかった。
そこらへんのリア充たちを妬み陰で冷やかし、学校や家族や社会を嫌い、将来のことなど考えないように、テレビで流れないような好きな曲を好きなだけ演奏していた。
私は4年間ドラムを叩いていた。ドラムを叩いている時だけは、ステージに乗っている時だけは無敵になった気分だった。


3月に卒業ライブがあった。最後の曲が終わりステージを降りた瞬間、途方もない寂しさと不安が押し寄せてきた。私の無敵の時期が終わってしまった。
もうみんなで深夜にスタジオに入って酒飲んでタバコ吸ってグダグダ朝まで演奏することもなくなるし、年に2回の合宿で同期の男子部屋に遊びに行って馬鹿話をしながら雑魚寝することもなくなる。ステージから聴く歓声も掲げられた両腕もない。耳が悪くなるほどの爆音もないし、目眩がするほどの照明もない。
同期は大学院に進む人もいれば就職する人もいる。誰も進路先はかぶっていなかった。

そして、ドラムと音楽とサークルがなくなった私に残っていたのは「無個性な人間」という現実だけだった。



あれだけ嫌だった社会人になり、あっという間に半年以上経っていた。
私服出勤の会社だったが大好きだったサブカルチャーな服は会社に着て行く勇気もなく、「オフィスカジュアル」と言われるようなネイビーブルーや白などの無難で清楚な服を着るようになった。箪笥に終われる好きな服たちを眺めては虚しくなる。
会社で流すBGMも私たちが好きだった音楽ではなく、「どんな音楽が好きなんですか?」に素直に答えると会話が弾まないことも知った。もう好きな音楽の話など何ヶ月もしていない。
かつての同期とスタジオに入ろうと何度か話には上がったがなかなか休みが合わない。ドラムを叩こうと思っても仕事終わりにそんな気力はない。スティックを握り続けてカチカチになっていた指の皮ももうフニャフニャだ。
会社の同僚たちはみんなお洒落でキラキラしていた。会社で流れるBGMのような流行の曲が好きでパンケーキやタピオカが好きでいつも彼氏と喧嘩しただの海に連れて行ってもらっただの話してきてきた。付き合いはあるが決して深い関係にはなれる気がしなかった。腹の底で笑っていたと思う。そんな自分に嫌気が差す。

誰のことも信用せず、何にも熱中していない。
漠然と寂しい。
惨めで仕方がない。
私はまだ、大学時代に取り残されていた。


ある日家に帰ったら母がテレビで何かを見ていた。
「あんたも見なよ、好きだと思うよ」と勧めてきたのは岡崎体育のライブDVD。

『BASIN TECHNO』

たしかに以前ライブに行ったとは言っていたが、まさかDVDを買うなんて。
その日まで岡崎体育の曲はほとんど聴いたことがなかったし正直とても疲れていて自室に直行したかったが、勧められるがままに私は初めて岡崎体育の音楽をちゃんと聴いた。

「花に香りはある 詳しくはないけど
私に愛はある あればいいなと思う」

『龍』の冒頭部分である。
脳天を殴られた感覚だった。
あまりに詩的だった。とても素直で綺麗な言葉選び。
ピアノの伴奏もシンプルだが優しく深く、岡崎体育の吐息混じりの歌声を包むようだった。
客席のペンライトがステージスクリーンの星空と合わさり、さいたまスーパーアリーナが星の海になったかのようだった。
暗く広い宇宙に歌とピアノが溶けていく。

電子音が響きハッとしたらもう次の曲が始まっていた。完全に聴き入っていた。
画面の向こうの岡崎体育は黄色い照明に煌々と照らされ躍り狂っていた。全く毛色の違う『Okazaki Hyper Gymnastic』という曲である。
私の知っている岡崎体育のテイストの、良い意味で「ふざけた歌詞」だ。しかし、曲に対する聴き方は確実に変わっていた。
「ふざけた歌詞」の楽しい曲であることに変わりはない。しかしその後ろで流れているトラックの精密さに驚いた。音の情報は多いのに全くゴチャゴチャせず聴いていて気持ちが良い。
音楽の知識がしっかりしていないとこんなふざけた事はできないのだ。
そのあとも私は夢中で見ていた。予想外のパフォーマンスに笑い、予想外のトラックのレベルに感嘆した。最後の曲である『The Abyss』が終わるまで画面から目が離せなかった。



「岡崎体育はずっとずっとずっと、さいたまスーパーアリーナでワンマンしたかったんだって。夢が叶ったんだね」

母が教えてくれたその言葉とかぶるようにアンコール1曲の『鴨川等間隔』が始まった。
あの時の感情は忘れることはできないと思う。

「久しぶりに服でも買うかな 一人で通りを行ったり来たり
無意識にまたネイビーブルーを手に取り無難を求めちまうぜ
(世間の目ばかり気にしちまうぜ)」
「鴨川等間隔 寄り添う恋人達の心理的距離
風になびく髪を耳にかける仕草だけは許してやろう
鴨川等間隔 橋の上 見下ろしながら見下される
十六文キックでカミから順に蹴落としたりたい気分だぜ」

とてもよく知っている感情だった。
仲の良い友だちなのにだんだん疎遠になっていくのが寂しい。無個性な人間になりたいわけではないのに目立つのも怖いから無難に生きていきたい。そのくせ人生が楽しそうな人たちが憎らしい。
岡崎体育もこの感情を知っていたのか。人には言えない惨めでダサい感情を。何者にもなれず、誰かの必要不可欠にもなれず、漠然とした寂しい毎日を知っていたのか。

曲は進み、岡崎体育はこのくすぶりを言葉にしてくれた。

「別にどうしてほしいわけじゃない
ただそれくらいの許容や容赦を
保てる心を育みたいぜ
(幹から腐った訳では無いぜ)」

私はてっきり、自分はもう救いようのないような人間なのだと思っていた。自分の無個性を受け入れられず、他人の幸せを妬む人間だと。
でも岡崎体育は「幹から腐った訳では無い」らしい。
腐ったと思えば楽になれるとは思う。
でも腐れないからこんなに寂しい気持ちになるのだと気付いた。
自分に対する期待を捨てられない。自分の好きなものに正直で、友だちが周りにいて、人の幸せを喜べるような、そんな人間になりたいからこんな惨めな気持ちになるのだ。
どうしようもなく悔しくて惨めで寂しい気持ちが溢れ出てきた。母が風呂に入っている隙にこっそり泣いた。


岡崎体育は腐らなかった。腐らなかったからこそ夢を見続けて曲を作り歌い続けて、夢のさいたまスーパーアリーナに立ったのだと思う。
アンコール2曲目の『エクレア』の歌詞は岡崎体育のその腐らなかった「幹」の部分なのだと思う。

「いい曲はいい人と共に
いい曲はいい人と共に
いい曲といい歌はいい人といい場所で
いい曲はいい人と共に」

どんなに虚しくて寂しくても、音楽を好きな自分だけは腐らせなかった。
私の「幹」は何だろう。


あれだけ嫌だった社会人になり、あっという間に半年以上経っていた。
私はまだ、大学時代に取り残されていた。
惨めな自分が嫌いでその脱出方法もいまだに分からない。
私は諦めきれない。自分に期待をしてしまう。
その日、久しぶりにサークルの同期に連絡をした。週末スタジオに入りたいと伝えたら数人集めてくれた。
当日、いざ顔を合わせたら気恥ずかしいような可笑しいような泣きたいような感情がごちゃ混ぜになったが、あの無敵になった感覚に上塗りされて分からなくなった。

次の日もまたその次の日も、ネイビーブルーの服を着て、好きではない音楽を聴きながら仕事をして、同僚の彼氏の話を聞いて適当に相槌を聞いて帰った。
無個性で他人の幸せを妬み虚しさと寂しさを感じるのは変わらないが、何かが自分の中で熱くなっているのは分かる。
それが何かは分からないが、絶対に腐らせてはいけない気がするのだ。



私が守りたい幹は何だろう。
岡崎体育、あなたの幹はどうやって守ったのですか。


この作品は、「音楽文」の2019年12月・月間賞で最優秀賞を受賞した神奈川県・みそのさん(22歳)による作品です。


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