吹き零れる程の愛を込めて - クリープハイプと私の歴史

決して青い春とは書けそうにない思春期を、共に過ごしてくれたのがクリープハイプだった。

クリープハイプを知ったきっかけになった歌は、『イノチミジカシコイセヨオトメ』だ。

当時中学3年生だった私はまだバンドなんて全然知らなくて、それまでj-popによくある希望だの未来だの抽象的なことを歌っている曲しか聴いてこなかったので、まず歌詞が衝撃的だった。
言葉が生々しくて、現実とドラマのギリギリを描いてるのがまるで映画みたいだけど、自分と重ねても聴けてしまう。こんな密度の高い歌、聴いたことがなかった。

声だって、俗に言われている高すぎる声だなとは全く思わず、なぜかススス、と私の中に物音も立てずに入りこんだ感触だった。色気に溢れていて、かつなんてあったかい声なんだろう。

MVも(もしかしたら映画の予告だったかもしれない)ナースのコスプレを着たピンサロ嬢のお姉さんがおそらく仕事を抜け出して街中を疾走してる物語で、そのアンダーグラウンド感にすごくワクワクした。
ああ私が感じたかった表現はこれだったのかと、胸がドキドキしたのを今でも覚えている。

中高と、人とコミュニケーションを取ることが苦手だった。
みんなが宇宙人みたいに見えてしまって、まるで自分とは全く違う生き物みたいに思っていた。
一応友達はいたが、友達が話すことに共感したことがなかった。
それをきっと相手も私が作っている壁を感じ取ったのかわからないが、親友は1人もいなかった。

高校に入ってバンドを組んだが、ドラムはいつもすぐ脱退するわ、曲作りの時も方向性が違いすぎて全然進まないせいで仲も悪くなるわで、なにもかもダメダメだった。

自分自身でも私が友達とバンドメンバーになにを求めているのかもわからず、どうして私はみんなみたいに普通に人と心の底から仲良くなれないんだろうとずっと悩んでいた。

だから、学校へ行く時、帰るときの電車の中で、踏み潰されてぐしゃぐしゃになった紙袋みたいな気分で、よくクリープハイプを聴いてなんとか明日も生きようと思っていた。

尾崎さんは、愛してよ!と言いたいけど直接そんなことは言えなくて思ってもないことを言ってしまうような歌を作る。
そんな自分を肯定してくれているような気がした。
思春期の私は本当にのめり込んだ。夢中だった。クリープハイプがいなきゃ生きていけない!とさえ思っていた。
私は、自分への自信のなさをクリープハイプによって埋めていた。

ライブも名古屋に来てくれた時は全て行った。
あの頃の尾崎さんは本当に尖ってて、初めてクリープハイプを観たのは、名古屋で催されていた「Re:mix」というフェスだった。

MC中に観客の誰かが「祐介くーん」と呼びかけると、尾崎さんが「そういう馴れ馴れしいのは好きじゃない」のようなことを不機嫌そうに言い、そのまま淡々とライブしてすぐ帰ってしまった。

それ自体はあまり良くないことだとわかっていながら、負の感情を出してしまうところが、羨ましいなあ。
なんて心を掴まれてしまって、尾崎世界観という存在が私の中に入りこんで、離してくれなかった。

今となってはかわいいなあで済む案件だが、昔の尾崎さんは本当に苦しそうだった。ずっと自分をわざと責めているみたいで、もうそんなことしなくていいのに、と思っていた反面、大人になってもあそこまで不器用な人がたくさんの人から愛されているという事実に、やけに安心した。

その頃に比べると、今のライブを見てると本当に丸くなったなと感じる。
ライブ中もよく笑うし、冗談も言うし、良い意味で気が抜けた感じでステージに立っている彼を観てると、昔立っていたところから、もっと高いところへと行ってしまったのだと思った。

私は、人に嫌われるのが怖い位自分のことが好きで、元々友達になにも求めていなかったのだ。
自分から人に歩み寄らずに、来てくれるのを待っているだけの私に、救世主なんて現れるはずがない。
自分から必要としなければ、必要とされないし、必死に誰かの特別になる必要もないのだと、5年経った今では思う。

そう思えるのは、私が誰かの侵入を許せる程、自分を認められるようになったからだ。
そして、それは今の尾崎さんも同じなんじゃないかと思う。
同じ土俵で語るのは大変おこがましいことは重々承知だ。
けれど、尾崎さんの生き方に、どうしても私の不器用さを重ねてしまうのだ。

思春期の私はキラキラしてなくて、周りの人を理解する努力もせず、ただ愛されたいとゴネている子どもだった。
クリープハイプを盲目的に追いかけて、それが良かったのか良くないことだったのか、わからない。

でも、尾崎世界観がいたから、不器用な私でいていいんだと思えた。
歌い続けてくれて、出会ってくれてありがとう。

5月11日に、2回目の武道館がある。もちろん私も行く。きっと、1回目の武道館とは違うステージを、クリープハイプなら見せてくれる。

だけど、少し遠くに行ってしまったようで寂しいと、わがままを言ってもいいだろうか。


この作品は、「音楽文」の2018年4月・月間賞で入賞した愛知県・ゆづこさん(20歳)による作品です。


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