生きる光を与えてくれたサンボマスター - ビューティフルな景色はここにも広がっていた

33歳の時、若年性乳がんを告知された。
その日の電車の中、死の恐怖に怯え、「生きたい」と願い、「私は40まで生きられるだろうか」などと考えながら窓に映った私の顔は涙が流れないようにとひっしこらえ唇を噛み締めていた。

サンボマスターとの出会いは2004年。CSの音楽チャンネルから「美しき人間の日々」が流れてきたときが初めてだった。熱い!歌詞もメロディーもミュージックビデオも!湧き上がる感情をコントロールできない感じのするロックミュージックに心を揺さぶられ画面に食い入ってしまった。

それから、サンボマスターがテレビに出ていたら録画したり、新譜が出たらレンタルショップで借りてiPodに入れて聴いていた。しかし完全に"ハマる"のはもっと先の話。

時は経ち、冒頭でも記したように私は2011年6月に若年性乳がんを告知された。
告知された当初は病気の知識がなかったので「がん」という言葉に怯えていたけど、ちゃんと手術し治療すればかなりの割合でよくなることがわかった。
私は告知されてから乳がんのことを勉強していくにつれ、「治す」というより「がんとうまく向き合っていく」という風に考えることにした。

そんな中、8月に左胸全摘出と腋窩リンパ節郭清(リンパ節を取り除くこと)手術をした。

自分の体の一部が無くなってしまうこと、それが胸であること、簡単に受け入れた訳ではない。ただ、生きるために、これからも生きてゆくために選ばざるを得なかった道。でも、自分でちゃんと選んだ道。

ただ、乗り越えたら美しい光景が広がっているはずだ。乗り越えた人じゃないとわからない光景が広がっているはずだと信じていた。

手術して全身麻酔から目が覚めた時、私は意識が朦朧としながら、大粒の涙が流れた。それは胸をなくしてしまった喪失感ではなく、「生きている」という喜びにあふれていて、やはり目の前に広がる光景は単なる病院の天井ではなく、美しい光景だった。

手術室から病室に戻り意識が段々と戻ってきたとき、私はどうしても音楽が聴きたくなり、iPodを取り出しシャッフルで流して聴いた。

その中で流れてきたのがサンボマスターの「僕と君の全ては新しき歌で唄え」である。

この曲を聴いた時、痛みに耐えながらも涙があふれ出てきた。

それが私がサンボマスターに"ハマった"瞬間であった。

その後、入院中にiPodに入っているサンボマスターを聴きまくっていた。これから待ち受けている治療に怯えながら、でも「生きたい」その思いだけで。

退院後、抗がん剤治療が始まった。
この治療が一番辛かった。
副作用の吐き気が辛すぎて泣いた日々。
ゼリーなどの、のどごしのよい物を一口二口食べるのがやっとで、1日何も食べられない日もあった。
なんと言っても脱毛。どうせ全部抜けちゃうからと私は事前に坊主にした。
この日のことは絶対に忘れられない。
辛いとか悲しいとか通り越して言葉にできない。

爪は変色し黒くなり、全身の毛という毛が抜けた。髪の毛だけでなく眉毛もまつ毛も全て抜けた。
そして、におい全般が受け付けなくなってしまい、どんなにいいにおいも香りも全て吐き気につながった。石けんの香りでさえも。
それでも次の抗がん剤投与日はやってきて、また辛い日々が始まる。

ただ、不思議とやめたいとか逃げ出したいという気持ちにはならなかった。ただ、「生きたい」「死にたくない」という気持ちだけだった。

こんな風に何度も「生きたい」と書いているが、実は病気になる前までその感情がわからなかった人間である。

幼少期の頃、不幸な事件に巻き込まれ、それをきっかけに小さい頃から自分に自信というものが全くなく、「自分はなぜ生きてるのか」と思っていた。時には「消えてしまいたい」とさえも。

それが、がん告知された時に「死にたくない」と思った。心の中の本当の自分は「死にたくない」自分だった。

辛い日々の中、サンボマスターの曲に救われてばかりだった。
特にリピートして聴いていたのは「できっこないを やらなくちゃ」

歌詞に何度も救われた。何度も何度も何度も励まされた。

いつしかサンボマスターは治療中の私の心の支えになっていた。

サンボマスターのライブには行ったことなかったけど、治療が終わったら行くことを目標にした。

長かった抗がん剤治療が終わっても、治療はまだまだ続いた。放射線治療にホルモン療法。

ほぼ毎日通院しなくてはいけない放射線治療がやっと終わり落ち着いた頃、「ロックンロール イズ ノットデッド」が発売され、今までレンタルで借りていたサンボマスターのCDを初めて購入した。

1曲目の「ロックンロール イズ ノットデッド」を初め聴いた時、何かが自分の中を走り抜けるような衝撃があった。この曲今の私のために作られた曲なんじゃないかと勘違いしてしまうくらい、ドンピシャすぎて、何度もリピートして聴いた。

なぜ生きているのかわからなかった自分が、「生きたい」「死にたくない」と思えたのが
「ロックンロール イズ ノットデッド」の歌詞にも出てくる
心の中にかくれた本当の自分が目覚めた瞬間である。
本当の自分は消えたくなんてなかったのだ。生きたいんだ。

本当の自分に出会えてよかった。本当よかった。

そして、私が病気になってから"テーマ"にしていたと言っても過言ではない「美しい」ということ。
それは広がる光景、耐え抜いた姿、
あくまでも見た目がどうこうとか、美人、美人ではないとかではなく、

辛さ、しんどさ、恐怖心、言葉にはできないものたち、それらを乗り越えてきた人というのは、そしてその光景は美しいのではないかと私は思うようになって。

そう思わないとやってられなかったというのも正直あるのだけど、だからこそ辛い治療を耐えてきた訳で。

その「美しい」という曲がこのアルバムには入っていた。

「ビューティフル」。

私は「ビューティフル」を勝手にマイテーマソングにした。自分に自信がなかった過去の私よ。今でも劣等感だらけの私だけど、唯一誇れること。あの辛い手術を、治療を、乗り越えたということ。

だから、「美しい」と自分だけでも思ってあげなくちゃ。

放射線治療が終わり、落ち着いた時になんと私は結婚した。
がんを告知された時、「結婚」という言葉は私の中でなくなった。

なのだが、どういう巡り合わせか、恋人のお母さんも同じ時期に乳がんになった。
同じ病気同士支え合っていこうという流れになったのだ。

婚姻届を提出した日に、なんと申し込んでいたサンボマスターの「ロックンロール イズ ノットデッド ツアー」の公開ゲネプロに当選したとメールが届いたのだ。サンボマスターの初ライブだ。
なんという巡り合わせ。

抗がん剤治療と放射線治療が終わり、ホルモン療法中の身ではあるけれども、この頃には体調はだいぶ落ち着いてきていた。
しかし、一度全部脱毛してしまった髪の毛が伸びるのが遅く、まだこの頃もウィッグや帽子をかぶって生活していた。ウィッグや帽子を外して外を歩くことはまだできてない状態。

当日は会場までは帽子をかぶって行った。でもライブが始まったときに、私はおもいきって帽子を脱いだ。たぶん外でウィッグも帽子も脱いだのはこれが初だったのではないだろうか。

私が脱皮した瞬間だ。

あの辛い治療の中で何度も聴いていた曲たちを生音で聴いて涙流さずにはいられなかった。

念願の初めてのサンボマスターのライブ、そしてライブに行けるようになった喜び、外で初めてウィッグも帽子も脱げた喜び、初めてのサンボマスターのライブが公開ゲネプロっていうのも貴重で、ますます好きになっていった。

この公演以降1人でサンボマスターのライブに行くようになった。

時は同じ頃、私は運命的な出会いをする。
Twitterで同じくがんの闘病中であり、サンボマスターファンの方を偶然にもお見かけして、
私はフォローし、おもいきって話しかけてみた。

最初は年齢も性別もがんの種類もどこに住んでいる方かもわからずにお話させていただいていたのだが、話をするうちに同じ病気であること、歳も近いことがわかった。
これから手術というので、私の持論、先に述べたような「美しい」ということを伝えた。

そしたら、なんと、手術日当日、麻酔から目が覚めた彼女から、痛みに耐えている最中にもかかわらず、メッセージが届いた。
「ありがとう。出会えてよかった。今広がっているこの景色は最高かもしれないです。ビューティフル。」

マイテーマソングにしていた「ビューティフル」が私たちのテーマソングになった瞬間だった。

彼女の手術後も治療の話やサンボマスターの話をするようになり、ネット上ではあるけれど、どんどん仲良くなってゆき、「いつか一緒にサンボマスターのライブに行けるようになれば…。」とお互い話していた。

時は経ち、運命というものは本当すごい。遠方に住んでいた彼女が、私の住んでいる街のほうに引っ越しをしてくるという!

ならば会おうってなり、初めて彼女に会った。彼女はキラキラしていた。内面からにじみ出ていた。それは沢山の辛いことに耐え抜き、涙し、乗り越え、今でも治療に頑張っている姿だった。やっぱり私の持論に間違いはなかった!

初対面から1年後にサンボマスターのライブに一緒に行くという夢を実現させる。
「まだまだ!終わらないミラクルの予感ツアー2014」
本当に一緒にサンボマスターを見られる日がくるとは!ミラクルは本当に起こったのだ。
「ロックンロール イズ ノットデッド」では一緒に泣いた。
「死ぬなよ。」「生きて会おう。」この言葉の重みを私たちは知っている。知り尽くしている。だから涙が止まらなくなるのだ。

あれだけ泣いてもサンボマスターのライブは最後には必ず笑顔になるから不思議だ。

2人で泣いて2人で笑って、この日はその名のとおりミラクルな一日となった。

ホルモン療法は長い。最初5年の予定だったのが10年にのびてしまった。
それ以外は定期検査のみになったが、
定期検査の度、ドキドキする。検査は何度もしているから慣れてもいいはずなのに、
検査前と検査結果を聞きに行く時は毎度ドキドキしてしまう。
常に再発や転移の恐怖心がつきまとう。

毎度毎度ドキドキして、「クリア」と言われほっと一安心して、また次の検査がやってくる。

また、ホルモン療法中は子宮体がんの検査も定期的に受けなくてはならず、この検査の痛みは何度受けても慣れないでいた。

そんな私も手術して5年という節目の検査もクリアし、翌年、6年検査も順調にクリアしていた。

そして、なんと私が40になる年にサンボマスターの日本武道館が発表された。

「40まで生きられるのかな…」と不安になっていたあの頃の私。
手術後にサンボマスターの曲を聴いて泣いた私。
抗がん剤前に坊主にした忘れることのできない日。

どうしても考えずにはいられない。

サンボマスターの武道館が発表される前の年、私には悲しいことばかり起こった。倒れそうになりながら看病した日々。大事な家族がいなくなってしまった。それ以外にも不幸は続いた。

そんな中、発表された武道館。いつかはやってほしいと願った武道館。

糧以外の何物でもない。

そして、当日を迎えた。色んなことを考えていた。
過去のトラウマ、辛かった日々、言葉にできない傷、悲しい別れ、あの子に会えた奇跡、

それらを全部引き連れて武道館へ向かった。

サンボマスターにハマってから、最初の頃は1人でライブに行っていたけど、しばらくして私には大切な仲間ができた。運命的な出会いをした彼女ももちろん一緒だ。

ライブが始まり「できっこないを やらなくちゃ」では抗がん剤治療中にリピートして聴いていた頃のことが頭をよぎり涙をこらえるのに必死だったが、

山口さんのMCで涙腺が崩壊した。

「何度も何度もライブ見に来てくれてる人もいるかもしれない
俺たちのことCDで何回も何回も聴いてくれてた人もいるかもしれない
だけどあえて言わせてくれ

やっと会えたな。ありがとうよ。」

本当、やっと会えた。あの頃の私よ、やっとサンボマスターに会えたんだよ。
40まで生きられるか不安になっていた私が、今ちゃんと40歳になって、今、目の前にはサンボマスターがいるんだよ。私のロックンロールヒーローが。

「ロックンロールしにきた。パンクロックやりにきたよ。だけどそれ以上にやりにきたことがあるんだよ。
俺たちはな俺たちはな

おめぇの孤独なくしに来たんだぞ。
おめぇの悲しみなくしに来たんだぞ。
おめぇの不安なくしに来たんだぞ。

一緒に歌ってくれ
どんな歌かって?
おめぇたちがロックンロールだっていう歌よ。
おめぇたちが死なないって歌よ。
誰からも笑われたってそんなこと何回でも何回でも歌ってやるっていうのよ。

一緒に生きてくれ!一緒に生きてくれ!!一緒に生きてくれ!!!

ノットデッド!ノットデッド!!ノットデッド!!!ノットデッド!!!!ノットデッド!!!!!
武道館に響け!!!
ロックンロール イズ ノットデッド!」

崩れ落ちそうになった。MCを聴きながら色んなことが頭を駆け巡った。それこそ抱えていた過去の孤独、悲しみ、不安。
それらが頭を駆け巡った瞬間に前奏が始まり、

「一緒に生きてくれる人ー!」って山口さんが叫んで、
私はおもいっきり手を挙げた。

この曲は思い入れが強すぎる。色々あったけど私は生きてこの曲を生で武道館で聴いている、この現実よ。
泣かずにはいられない。

私とサンボマスターとの出会いの曲、「美しき人間の日々」はトラウマだらけの自分にさよならを。そしてこれからも生きていく私の背中を押してくれた。

「俺たちは次の曲を歌う時に、もしかしたら悲しくあんたがたに聴こえてしまうかもしれないけれども、俺はあんたがたが泣いてでもな、俺はそれでいいと思うんだけれども、俺はできるんだったら笑ってほしいし、俺はあんたがたが今まで一番愛した人のことを思い浮かべて歌いたいと思ってるんだ。

なくなった人、あんたがたが思う誰かがめっちゃ幸せになるように歌うからさ、8千人が一緒にそんな気持ちになれたらって、そしたら、音楽っていうのはなんかここにきて人数とかわかんねぇけど音楽のそのお金の部分とかそういうことじゃないそういうの超えた美しいものになるんじゃないかって生意気ながら思いました。

とにかく俺は今までの中で一番心こめて歌うように頑張るから。
とにかくおめぇたちはおめぇの愛する人と愛したおめぇの今までの日々が全部報われるように考えてくれ

おめぇの愛する人が報われますように
おめぇが生きてきたおめぇの日々が報われますように
おめぇが笑ったあの夜が報われますように
おめぇが泣いたあの夜も報われますように

一緒に笑ってくれな

ラブソング。」

私はラブソングを聴きながら大好きだった父のことを思い浮かべていた。まだ私が13歳だった。突然亡くなってしまった父。

ちゃらんぽらんな父だったけど、暗かった私にとって、父の明るさは私の光だった。
父といるとき私はいつも笑顔だった。

父がいなくなって生きる希望をなくしそうになった時期もあったけど、今ちゃんとこうして生きている。

忘れられない日々。大切な日々。
色んなことを思い出した。

ラブソングを聴きながらあの日々が報われた気がした。

「めちゃめちゃ呼吸合わせたよな、俺たち。

ずっと合わせてた呼吸が、また乱れる時がくる。俺たちがいっくら呼吸を合わせてもまた一歩外出たら、また乱れるような夜がくる。
だから必ずここに来てまた俺たち呼吸合わせようじゃないか。またミラクルを起こそうじゃないか。おめぇがすげえミラクルを起こしたって気付いてないんだろう?おめぇがミラクルを起こしたこと忘れんなよ。
おめぇのミラクルの起こし方はな、

また生きてここに来ることよ。
また生きてライブハウスに来ることよ。
また生きて武道館に来ることよ。
また生きて笑うことよ。
また生きて呼吸合わせることよ。

忘れんなよ。おめぇの居場所忘れんなよ。
クソみたいな毎日、ミラクルはここ。どっちが本当の場所だと思ってるんだ。
クソみたいに続く毎日、呼吸乱される毎日と、呼吸合わせるここ、ライブハウス、音楽、どっちが本当だと思ってるんだ。

こっちに決まってるだろう?

だから死なないでくれ。
また一緒に生きてくれ。
俺のために。俺たちのために。

また一緒に生きようじゃないか。
また一緒に笑おうじゃないか。
また一緒に生きて呼吸を合わせてくれ

おめぇたちがずっと呼吸を合わせてくれている間、おめぇたちの胸にピカピカ光ってるのが俺には見えてしょうがなかったんだよ。

その3文字。
おめぇのミラクルの証し
おめぇの伝説の証しの3文字
またここに来て一緒に生きてくれ
死なないでその3文字ピカピカしてくれ

おめぇが呼吸を乱された時、おめぇが不安にされた時、おめぇが孤独にされた時、その3文字はなぜかおめぇのことピカピカ光って「死ぬな」って言う

おめぇが誰かに苦しめられた時、おめぇが誰かにゼロにされた時、おめぇが誰に差別されてしまった時、なんでか知らないけどおめぇの胸の3文字がピカピカいう。
それを頼りにまたここに来てくれ。
道忘れてもおめぇの胸の3文字を忘れないでまたここに来てくれ。
そしてミラクルを起こしてくれ。

おめぇたちの本当の3文字
おめぇたちがミラクルを起こした
俺たちじゃなくておめぇたちが起こした
おめぇたちがサンボマスターにしてくれた
そのミラクルの3文字
伝説の3文字
死なないでいてくれる3文字

YES」

何度涙腺を崩壊させてくれるんだヒーロー。

武道館でやったどの曲も、山口さんが言ったどのMCも今までの私が報われるものばかりで、何度も涙した。
本当はね、涙流さないほうがいいのかもしれないけど、どの曲もMCも私の胸を熱くして、心がギュッとして、こらえきれないんだ。ひっしでこらえてもこらえきれないんだ。
その中でも私が最もこみ上げたMCがある。

「また悲しい夜がやってくるかもしれない、だけど俺たちよ、また会えるんだから。また会おうじゃないかよ。俺たち必ず待ちわびてるものがあるんだから、お互いここに来れば絶対何かできるってわかってるんだから。ここで待ちわびてよ、涙なんか流さないでよ、

『俺たちまた美しい景色 お互い見ようじゃないかと思うんだよ。』

木内が「あんたもサンボマスターだ!」って言ったら俺もそう思うんだ。
あんたがたもサンボマスターだ。
だったらあんたがたよ、大変かもしれないけど
お互いまたここで会うべ。

生意気なようだけど、

『本当によく頑張ったね。今日まで。
ありがとな。大変だったのに。頑張ってくれたね。苦しいところ。
本当にありがとうな。』」

手術や治療や副作用で苦しんでた頃、本当に辛かった。でもまわりに心配かけたくなくて辛いって言えなかった。
それでも踏ん張って踏ん張ってなんとか乗り越えた。
私は自分をほめるのは苦手だ。でもこればかりは本当我ながらよく頑張ったと思う。
おそらく私の人生で一番頑張ったと思う。なんであんなに頑張れたのか。それは生きたかったから。

それを大好きなアーティストに、ロックンロールヒーローに、肯定され、尚且つ「ありがとうな。」とまで言われて

本当頑張ってよかったと、生きててよかったと、思えた。

手術後に見た光景、抗がん剤治療が終わった時に見た光景、それはとても美しいものだった。
ただ、ここにもビューティフルな光景が広がっていた。

武道館でのライブを私は泣いたことばかり書いているけど、
あの日仲間と撮った写真の私はどれもとびっきりの笑顔で写っていた。
どの写真も幸せそうな笑顔だった。

6年前、がんを告知された時、「私は40まで生きられるのだろうか」と思ってしまったあの日の自分。

無事40を迎え、武道館公演を見て沢山の辛い事を乗り越えて生きていることを伝えたい。
そして、とびっきりの笑顔だということ、幸せだと感じていることを伝えたい。

サンボマスターの武道館公演以降、私の胸の中にずっと熱いものがあって、
ずっとずっと熱いものがあって。
あれからもう1ヶ月以上経つというのに、あの日の光景を忘れられず、ずっと私の心にあるので、その思いを文にしてみた。

ライブを糧に生きて、そのライブがまた生きる糧になる。

思い返せば、初めてサンボマスターを聴いた時から、ほとんど無意識な状態でアルバムが発売されたらレンタルしていて、私のiPodにはサンボマスターがデビューしてからの全てのアルバムが入っていて、
サンボマスターはずっと私のそばにいて、本当に辛い時に助けてくれた。

無意識のうちに"ハマる"準備はいつでも整えていたのかもしれない。

手術から目が覚めて、サンボマスターを聴いたあの日からサンボマスターは私のヒーローになった。

はじめて買ったサンボマスターのCDが「ロックンロール イズ ノットデッド」で私の大切なCDになった。
それ以降はCDを毎回買うようになって、ライブも行くようになった。ライブに行く度に胸が熱くなって、サンボマスターが好きだ!ロックンロールヒーローだ!って私は感情を高ぶらせていった。

私は昔から自己主張するのが苦手なのだが、音楽を聴いたりライブに行ったりすると、湧き上がる感情をコントロールできなくなる。
素直になれるのだ。
そういう自分の感情もそういう音楽もすきで、
そういう音楽の真骨頂がサンボマスターだと私は感じていて、
その両方が感じられるっていうのは幸せなことなのだ。

音楽を好きになってよかった。
ロックを好きになってよかった。
サンボマスターを好きになって本当によかった。

サンボマスターが今も昔も変わらずにいてくれたことを心から感謝している。

そんな私は、ついに第二のステージへ進むことを決めた。
乳房再建を決意した。

武道館の翌週に1回目の手術をしたのである。
この手術もかなり辛いものであった。
痛みに耐えて泣いていた時、武道館の光景が何度も頭に広がっていた。あのビューティフルな光景を。
枕元に武道館で買ったグッズのキーホルダーをお守りがわりにぶら下げていた。

退院後、半年ほど通院してその後また2回目の手術をしなくてはならず、しかもそれで終わりではないので、とても長い道のりである。

しかし、これから長い人生を送れると過程して、…いや、過程するのはやめよう。
これから長い人生を送るから、その中の1年と少しの間のことだ。
だから、また頑張ってみようと思ったのである。

再来年ぐらいには私に左胸ができているのかな。その頃の風景もビューティフルと信じて。

そしてまた、サンボマスターのライブ会場でビューティフルな光景を見に行こう。

私はこれから何があろうとちゃんと生き抜く。生き抜いてまたサンボマスターのライブに行くんだ。


この作品は、「音楽文」の2018年2月・月間賞で最優秀賞を受賞した神奈川県・みそさん(40歳)による作品です。


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