さよならより、優しい言葉で。 - plentyと私の8年間

中学二年生の時、毎月買っていたロッキング・オン・ジャパンでplentyが取り上げられていた。それが私とplentyの出会いだ。

『ボクのために歌う吟』が紹介されていた。なんとなくの気持ちで聴いてみた。初めて曲を聴き終わった時に泣いていた。中学生特有の思春期で戸惑う人間関係の中どうにかなりそうだった私の気持ちを、代弁してくれる歌だった。私の中には何もなかった。音楽だけが救いだった。家に帰ってイヤホンをして音楽を聴く時間だけが私に許された自由な時間だった。そんな生活を、まるで知っているかのように歌ってくれていた。

そしてすぐにCDを買った。『拝啓。皆さま』は私の側でずっと私の気持ちを歌ってくれた。白馬の王子様なんていないこと、すべて終わりにしようと思った少女のこと、昨日の悩みさえ覚えてないくらい疲れたこと。私の隣でplentyの音楽はその辛さを押し付けてきた。それが心地よかった。そこからplenty中心の日々になった。

中学二年生の夏、初めてplentyのライブに行った。恵比寿リキッドルームでのワンマンライブ。誰も声も出さず、腕も挙げず、ただ聴いていた。みんな、きっと同じ気持ちだったのだろうと思う。息が止まるくらい綺麗な音と息がつまるくらい現実を突きつけてくる歌。全てがからっぽだった私にplentyの音楽が入ってきた。その瞬間に涙がこぼれた。CDとは違う生のplentyの音楽は、どんな音楽よりも胸に突き刺さった。

そこから毎年plentyのライブに行って、新譜を買って、plentyのライブに行かない年はなかった。

plentyはどんどん進化して行った。繭が蛹になるように、蛹が蝶になるように。plentyと共にわたしも進化していった。からっぽだった胸にはたくさんの音楽が詰め込まれて、少ないながらにも大切な友達も増えて、plentyが好きな人たちと会うことも増えていった。確実に変わったことを実感できるのは『this』からだろう。今までの現実を突きつけてくる音楽ではなく、背中をそっと叩いて押してくれる音楽になった。生きることが辛いと肯定してくれていたplentyとは違う、それでも生きようといってくれるplentyだ。そんなplentyの進化を嬉しいと思えた。私も成長したからだろう。

『空から降る一億の星』では愛に溢れた歌を歌っていた。死を怖いと感じる、そんな歌だった。私は死ぬことを望んでいたから怖いという感情がなかった。できれば死にたいと思っていた。でもplentyの曲を聴いて、初めて死を怖いと思った。死んだらどうなる?plentyのライブに行けなくなる、なにより音楽を聴けなくなる。大切な友達は?悲しませていいの?だめだ、生きなきゃ。そんな風に思えた。ここでもまたplentyに救われた。

とても印象的なライブがある。CDJ13/14の時のplentyのライブだ。その時江沼郁弥は声の調子が悪かったせいか機嫌も最高潮に悪かった。『あいという』の高音が出せなかった。ライブが終わった途端に、まだベースもドラムも終わっていないのにそそくさとステージを去ってしまった。その時私は安心した。ああ、江沼郁弥も人間なんだと。進化しても、悩むことも自分が嫌になることも、悔しいと感じることもあるのだと。そんなことを思って安心した。ある意味印象的なライブである。

その他にも全部のライブを鮮明に思い出せる。いつかのCDJの時、初めて全体から声が上がり腕が上がり、合唱が起こったライブだ。その時江沼郁弥と新田紀彰は二人で笑っていた。自分たちのライブでこんなことが起こるのかとでもいうように、楽しさと驚きを含んだ笑いだった。それを観て私はまた嬉しくなった。plentyと一体感が増した気がしたのだ。いつもステージを隔てた向こう側にいたplentyとの距離がぐっと縮まったと思った。私も嬉しくて笑って、泣いた。最初の頃には考えられないことだったから。2010年7月3日の恵比寿リキッドルームの時のライブの時、誰がこんな未来を想像できただろう。私はできなかった。だからこんな明るい未来が来たことが嬉しくて堪らなかったんだ。

そんな未来がいつまでも続くと思っていた。当たり前のように、朝は必ずくるのと同じ感覚だった。

突然の解散宣言に言葉が出なかった。中学二年生から大学四年生までの8年間、解散なんて考えていなかった。明るい解散です!なんて言われても納得できなかった。納得するつもりもなかった。私の一部がなくなる、どうなる?私はこれからどうすればいい?plentyと共に生きてきた、plentyに救われて生きてきたんだ、なにも頭に入ってこなかった。

そしてラストツアー蒼き日々。奇しくもplenty初ライブと同じ恵比寿リキッドルーム。声をあげて泣いた。過呼吸になりながら全てをみた。焼き付けたかった、だけど涙でなにも見えなかった。ツアーにもう行くことはない。行けることもない。次がないライブというのはここまで人を悲しくさせ、ここまで人を輝かせるのか。そう感じた。

ロッキンでは私にとってplenty最後のフェス。ここでもずっと泣いていた。最後という言葉が重くのしかかる。最後という言葉が嫌いだった。終わってしまう未来を喜べるほど私は人間ができていなかった。

そしてラストライブ、来るはずないと思っていた日。当たり前は当たり前で、朝がきてそれを繰り返してその日が来た。前日、電車で泣いた。泣きながら帰った。だけど当日は涙が出てこなかった。きっと終わりを実感していないんだろう、そうとしか考えられないくらいなぜかスッキリしていた。だから普通に笑ってライブを迎えた。

一曲目の『拝啓。皆さま』が始まった瞬間、私は実感した。始まったら終わりが来ることを。必然的に、終わりが来てしまうことを。そしたらplentyのライブに行けることがなくなることを一瞬で理解し、その瞬間に涙が溢れた。最後くらい笑っていたかった。笑った顔でplentyの曲に救われたと伝えたかった。だけどできなかった。『枠』で腕を上げるのも最後、『最近どうなの?』で声をあげるのも最後。全部、最後なんだ。

そしてラストの曲、『蒼き日々』。
「朝が来るまでは僕だけが正義。 明日を笑えるように何を裁く 今更何を怖がる? 独りよがりでいいだろ」
独りよがりだった私を変えてくれたplenty。plentyのおかげで夜が好きになった。夜は私にとって唯一素直になれる時間だった。
「どこでも行けると信じてたならどこにも行けないはずはない」
自分で可能性を殺して、嫌われないように生きて、周りの機嫌を伺って、そんな自分が嫌になった時、この曲を聴いて何度救われたことか。独りじゃない、一人なら大丈夫。そう思ったんだ。

そうしてplentyラストライブは終わった。終わった時、SEで流れるハイドアンドシークが流れて来た。また、涙が溢れた。嗚呼、終わったのに始まりの曲が流れている。また、何処かで三人の人生が、音楽が新しく始まる。そう思って、安心した。plentyと一生離れるわけではない。これからもまた何処かで会えるはずだと。そう思わざるを得ない最後だった。

拝啓、plentyの皆さま。
私という人間を、ここまで支えてくれてありがとうございました。plentyは私にとってヒーローであり人生の一部でした。きっとこれから悩むことも死にたくなることもたくさんあるでしょう、その時、plentyの音楽を聴いて私はきっと生き続けます。8年間ありがとうございました。きっと今は待ち合わせの途中だから、また、何処かで。


この作品は、「音楽文」の2017年10月・月間賞で最優秀賞を受賞した千葉県・古閑優里香さん(21歳)による作品です。


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