マルもバツもない解答用紙 - THE ORAL CIGARETTES・ツアーファイナル 横浜アリーナ公演に寄せて

ある曲の始まり。劇場にあるような臙脂色のカーテンがサッと開くと、そこにはキューブ型の頭の部分に巻き戻しボタンのアイコンが描かれている何人もの男女がいた。タキシードやドレスに身を包んだ姿から見て、そこではどうやら舞踏会が開かれているらしい。そして、皆の踊る様子を吹き抜けになった2階から静かに見守る1人の看守。そこへ何も知らずに檻に入れられた状態で囚われてやって来たのは、1人の男性。しかし、ゼンマイ式の操り人形と化した人々の姿を目の当たりにした彼は咄嗟に恐怖を感じたようで、何人もの看守に追われながら最初から最後まで1曲かけて全力で逃げ回り続けるのだ。しかし努力のかいも虚しく、最後にはとうとう尻もちをついて追い詰められ、突然下りるシャッターのような《Hands up!!》の掛け声と共に非情にも物語はそこで終わりを告げてしまう。

これは、ライブ後半「Kills編」の1曲目として“Ladies and Gentlemen”が演奏されたときにスクリーン上で流れていたある1つのストーリーだ。一体、彼は結局どうなってしまったのか?その答えがあの場で描かれることはなかったが、きっとあるであろうその結末に思いを巡らせて、ライブ冒頭で大きく映し出された「本当に必要なものは何なのか?」という壮大な謎を解くこと。それが、この日、私たちオーディエンスに課されたたった1つのミッションだった。

「そう問いただしたとき 真実が見えてくる」

昨年の9月から約半年間に渡って行われた、THE ORAL CIGARETTESのアルバムリリースツアー「Kisses and Kills Tour」。ライブハウスツアーと銘打った前半戦、そして彼らにとって初のアリーナツアーとなった後半戦とに分けられた今ツアーは、自分たちの力を叩きつけてその真価を改めて裏付けた上でさらに未知なる敵へと自ら斬り込んで行く、まさに勝負と挑戦の過程そのものだったように思う。そして、その多岐に渡り長きに及んだツアーの全行程がここ横浜アリーナで終わりを迎えようとしていた。

開演10分前に急ぎ足で席に着くと、花道先端の頭上に据えられるキューブ型のスクリーンの最終調整がヘルメットを被ったスタッフたちの手によって行われていた。後に彼らの口から説明があった通り、このキューブ型のスクーン、その名もKK君は今話題のAI=人工知能のような機能を持つアイテムとして、ここから先とても重要な役割を担っていくことになる。しかしちょっと心配になる程、時間の本当にギリギリまで下に降ろされたままだったキューブも何とか無事定位置へと吊り上げられ、定刻を10分ほど過ぎた18時10分頃、スッと暗転し遂にそのときがやってきた。

「人間には両極端の感情がある」
「人を好み 愛し」
「人を憎み 恨む」

恒例の4本打ちを終え、この言葉と共にステージ背後の大きなスクリーンに映し出されたのは、今夜の舞台となる超高層ビルが乱立する近未来の地上の世界。ビル群の隙間からすらっと伸びた何本もの支柱の上には、地上よりさらに真新しい繁栄都市と思しき世界が広がっており、その研究室の一室に実験検体のようにしてズラリと並んだメンバー4人の名前と共に「我々はまず…(中略)…同化することを望む」の宣言がスクリーン上でなされると、目の前のリアルな世界で沸く人々の大歓声。それを契機としてBGMが切迫感を伴ってテンポアップし、肌で感じるほど会場の温度もグンッと急上昇。興奮気味に固唾を飲んでステージを見守っていると、会場に入ってからずっと気になっていた中央の白い格子状の台から中西雅哉(Dr)がドラムを叩きながらせり上がるようにして静かに登場。どうにも止む気配のない1万超の歓声を1つにするべく“What you want”のイントロが鳴ると、今度は山中拓也(Vo&Gt)・鈴木重伸(Gt)・あきらかにあきら(Ba&Cho)の3人がステージ床から勢いよく飛び出してきた。山中だけタイミングが若干遅れてしまうというハプニングもありながら本人は至って笑顔で、その後もアルバム1曲目を飾った“もういいかい?”、MVを彷彿とさせるビビットな背景とミラーボールに心奪われた“容姿端麗な嘘”と3曲続けてのびのびと歌い上げた。「よう来たなー!横アリー!」と叫ぶその顔は実に満足そうだったが、まさかこんなに眩しすぎるくらいの笑顔で歌ってくれる日が来るなんて、数年前まで一体誰が想像していただろうか。

《What you want?/きっと願い事1つ叶うなら/What you want?/ずっと愛される人であること》(“What you want”)

その後、クスッと笑える彼ららしいやり取りをKK君と共に繰り広げると、アリーナツアーからの参加となったそんな強力な助っ人がいる天に向かって手を伸ばし、「KK、愛を歌う曲ちょうだい」と山中が優しく呟き始まったのは、究極の愛を伝える“LOVE”。カラフルなクレヨンと黒のクレヨンを使って描くスクラッチ技法と呼ばれる温かみのあるタッチの映像が会場に手拍子を促すとそれが波動のように伝わっていき、あっという間に一面に出来上がった手拍子の海は、2年前の武道館で初めてこの曲を生で耳にしたときの感動とそこで見たあの光景を思い出させるかのように美しかった。

そして同じ愛は愛でも「ちょっと切ない曲を」との言葉から、“A-E-U-I”と“不透明な雪化粧”という夏と冬両方のラブソング2曲が披露され、後者ではステージの左端から右端まで等間隔でびっしりと並んだ棒状のLEDライトをぼんやりとした白い光が上から下へと流れていき、その後半には雪に見立てた泡が本当に降り注ぐというアリーナならではのサプライズも。しばらくすると、自分の元に届いた季節外れの雪へ手を伸ばす人の姿が多く見受けられたが、至る所でその泡が弾け さらに中からふわっと煙が出てくる様子は、まるで彼らの音楽を求めて1人1人が手を伸ばし 会場ごとその魔法にかけられたかのようで、何だかジーンときてしょうがなかった。さらに、その雪の奥では山中が身体を屈ませながら全身から悲しみを絞り出すようにしてエモーショナルにギターを弾き倒していたが、人とはちょっと違う感性を持ち、誰よりも負の感情に意味を感じる彼だからこそ、たとえ届かぬ想いだとしてもこの切ない2曲はひとつの紛れもない愛としてきっと実を結んでいくんだろう。そう思わずにはいられなかった。

「こうやって大きな会場でやるようになって改めて思うことがあるんです。俺らは本当になんも変わんないなって」

曲が終わり「ええ曲」とポロっと零し、さらにそう感慨深げに言葉を続けた彼だったが、その湿っぽい流れをぶった斬るように次の瞬間にはガハガハ笑いながら4人して下ネタを話し始めるという、このバンドらしい相変わらずのしょうもなさも健在だった。アルバムタイトルにちなんでこのツアーではすっかりお馴染みとなったキスにまつわるMCも今回が最終回。ちなみにその最後の恥辱を受ける餌食となったのはベースのあきらかにあきらだったが、一方の山中はというと自分は何も晒さないのをいいことにその隣でガッツポーズをして喜び、腹を抱えて子どもみたいに大爆笑している。ここ数ヶ月、ツアー各所でこの一連の流れを何度も目撃してきてはいたが、いつも自分は茶々を入れるだけで他人の話を聞いて1番楽しんでいたのは実は彼だったんじゃないかと、ここに来てようやく気が付いた。案の定、その勢いのまま雪崩込んだ“起死回生STORY”と“リブロックアート”の殺気たるや、もう何の説明も要らないほど凄まじかった。普段は誰よりもマイペースで穏やかそうなのに、珍しくキッと険しい目つきをして両手でオーディエンスを煽る鈴木。ついさっきまで皆に言われ放題だったのに「行けんのかー!横アリー!」と先頭切って叫んだかと思ったら、足を高く上げてお立ち台を踏み鳴らすあきらかにあきら。見えない敵に挑むような2人の前のめりな姿勢は、普段の明るい笑顔からは想像もつかないほどにアツく、今にも本当にバチバチと音が聞こえてきそうなほど攻撃的だった。

その後、再会を誓い合った“トナリアウ”を経て、初めて自分たちのライブへ来た人に向けてここで改めてメンバー紹介。終わった人から1人、また1人とステージを去っていき、気付けば残ったのはアコースティックギターを抱えた山中ただひとりだけ。しかし彼が大きく息を吸って歌い始めた瞬間、私はなぜかこれが初めてな気がしなかった。もちろんツアーで何度も同じ光景は見てきたし、この曲だって何度も聴いてきた。でも、そういうことではない。不思議と以前にも見たことがある気がする、1人の人間と1本のギターだけのこの空間。私はそれを一体どこで見たんだっただろうか?

メンバー紹介を終えた後のMCで彼はステージに1人立ちながら、人の死がより身近になってきた周りの環境や最近偉大なアーティストが自ら命を絶つ選択をしたことに触れ、「寂しいなあ」と誰にともなく心の声を漏らしていた。しかしそんな風に限りある儚い命の自分に今何が出来るのか?居なくなった後のこの先の未来にどんなものを残せるのか?それを常に考えているんだと話すときの表情は、とてもシリアスな話題を口にしているとは思えないほど、晴れやかなものだった。でもやっぱり、胸を張ってそう言い切れるまでに心が辿ってきた道のりというのは、決して平坦なものではなかったはず。言われなくても自分が1番分かっているコンプレックス。それなのに、たくさんの人の目に触れるようになったからこそ嫌でも耳に入ってくる世間からの声。今から2年前の初の日本武道館ワンマンライブの舞台でコンプレックスであった自身の歌声について包み隠さず話をしてくれた場面があったが、当時さらにこう言葉を続けていた。

「でもメンバーが、スタッフが、お前の声で天下獲れるよって背中を押してくれました。それがなかったら俺は歌ってなかった。だから歌わしてもらってるだけで俺は幸せなんです」

そうだ。振り返ってみれば、4人が精一杯の感謝を込めて届けてくれた曲“エイミー”をあの場所で聴いたときも、今回と同じように山中が1人でギターを弾いて曲が始まったんだった。あのときは歌い出しだけだったが、目の前にある1人の人間と1本のギターだけのこの空間は、「俺にはこの声しかないんです!この声でしか伝えられない!」と最後に叫んだあの日と変わらず、「何かを伝えたい」という彼らからの真っ直ぐな意思表示なのだろう。しかしただひとつだけ違うのは、その尊い空間で彼らが伝えようとしていたこと。以前は、自分に唄を歌わせてくれるオーディエンスへ溢れんばかりの感謝を伝えていたのが、今度は、これまでずっと様々な場面で矢面に立ってきたその唯一無二の歌声を特効薬として、誰かの人生ごと全てを救おうとしている。どんな逆境にもめげず「大丈夫」と背中を押してくれる強い人が、嫌いだった自分の歌声をたった1本のギターに乗せる決意をした人が、集まった1万2千人のど真ん中で命を削って必死に歌う人が、あのとき私たちの目の前には確かにいたのだ。

《大丈夫。命とは 愛のように儚きもので/だからきっと愛おしいんだろう/僕の命が君を生かしていく力となれ》(“ReI”)

さて、ここまで繰り広げられたのは、愛をテーマに実に10曲がセレクトされた前半の「Kisses編」。時にはかつての想い人に恋焦がれ、恋の悲しみに泣き、そして何より、いつも自分たちを気にかけてくれるファンを恋い慕う。最後に弾き語りで披露されたこの曲は、さっき彼が常々自分に問い掛けていると言ったいくつもある自問自答のたった1つの答え、“ReI”だった。しかし何度も触れてきた通り、今回のアルバムタイトルは『Kisses and Kills』。これでもまだ折り返し地点にようやく辿り着いたにすぎない。いや、もしかしたらそこに込められた意味の半分も伝わっちゃいないのかもしれない。山中が「ありがとう」と口にしてここで再び暗転すると、前半戦を連想させるような数十個の熟語がスクリーン上をびっしりと埋め尽くし、ライブ冒頭と同じあの近未来の世界と共に今度はこの言葉たちが映し出される。

「愛ゆえに憎悪が生まれる」
「負の感情は原動力となる」

そしてまるでオセロの白があっという間に黒へ塗り替えられていくように、その青に染った熟語たちが1つ1つ次から次へと負の意味を持つ真っ赤な言葉へとひっくり返っていき、最後にトドメを刺したのは究極のこの一言——。

「愛が歪んだ先の憎しみをここから与えよう」

さあ、本日2度目の始まりの合図。いよいよ後半戦「Kills編」のスタートだ。禍々しく妖しげな照明が垂直にさす中、耳が壊れそうな程の爆音を連れて今度は4人の帝王が揃って床下から再登場。まるでこのときが来るのを待っていたかのように《Let’s start the party.》の掛け声が1曲目から会場に響き渡ると、続けて今アルバム屈指の異端児とも言える“PSYCHOPATH”を投下。様々な方向から飛び交う光の筋が一点に集まり、山中がそれをボールのように何度も頭の上でトスする様子は光の世界の玄人のようで思わず見惚れるほど神秘的だったが、こちらが一瞬気を抜いた隙に今度はイカれた目をして巻き舌を繰り出し、続く“DIP-BAP”では「後半戦1人1人が全力を見せてくれ!」と言った声に応えるようにして、オーディエンス全員が手を大きく挙げそれに応戦した。その後の2曲では相対するバンドの新境地と懐かしさに触れ、本編も残り4曲となったここで突然けたたましい警告音が鳴り響きバグったように「人類を滅亡させる」と繰り返すKK君。その不穏な空気を引き継いだイントロがレーザーと共に轟々と地鳴りを起こし始まった“CATCH ME”から、「助けてよー!」の絶叫で幕を開けた“カンタンナコト”、襟元をはためかせながらタイトルに掛けて「狂っちゃってちょーだい!乱れちゃってちょーだい!」と煽る山中が何とも妖艶で今日イチの色気を放っていた“狂乱 Hey Kids!!”とさらに畳み掛け、手加減なしにガンガンとギアを踏み込んでいった真骨頂とも言えるこの「キラーチューン祭り」で、彼らはギョッとするほどの狂気で塗れた世界に一気に王手をかけたのだ。

そして、そんな「キラーチューン祭り」の最後を飾ったのは、このわずか1年ちょっとでバンドの新機軸から絶対的エースへと上り詰めた“BLACK MEMORY”。まるで4人が白黒の砂漠の上を低空飛行しているように見えたオープニングの映像はまさに壮観の一言で、この日何度も映し出された近未来的世界を再び背景として山中・鈴木・あきらかにあきらが3人揃って勢いよく花道に飛び出すと、オーディエンスの歓声はますます熱を帯びていき《Get it up》の大合唱へと繋がっていった。しかし一体どうしたことか、曲が進むにつれその近未来の風景がガタガタと崩れ始め、サビ部分のシンバルの叩くリズムに合わせ、あれだけ乱立していた超高層ビルが次から次へと1つ残らず粉々に砕けていったのだ。しまいには、先頭に立って私たちをアルバム『Kisses and Kills』の世界観へと導いてくれていたKK君がノイズ画面のまま煙を吐きながら、降下していた位置から元の定位置へと上昇。そのすぐ下で手を伸ばしながら歌い続ける山中はとても光の玄人なんかには収まりきらない、本当に何かのエネルギーをその指先から送る超能力者のようにしか見えなかった。

そんな中、この日の「キラーチューン祭り」を観て、というよりこの日のライブ全般を通してとても痛感したことがある。振り返れば5か月前、私は今回のツアー最小規模のキャパ350人のライブハウス・秋田 Club SWINDLEでのライブを有難いことに最前列で目撃することが叶った。きっとこの先、アリーナツアーをするようなこのバンドのライブをまたあの規模で、しかも最前列で観れることなんて、悔しいけれどないだろう。しかし、本人たちが自分の頭上で覆い被さるようにプレイし手を伸ばせばすぐ届くほどの近くにいたあの日の興奮とこの横浜アリーナで感じた衝動に、不思議と少しの優劣も感じなかった。たとえどれほど遠く離れていても、目の前にいるたった4人の人間が繰り広げる同じたった2時間半のライブ。そこで、これまた同じく人知れずフツフツと沸き上がる彼ら4人の熱量に私も同じように我を忘れて夢中になり、心底そう思わされたのだ。自分たちはもちろんのこと、オーディエンスにも決して力を出し惜しみさせない。力が有り余っているなんて言語道断。特にこの「キラーチューン祭り」は、連戦連勝を重ねたライブハウスでの勝負がアリーナへの未知なる挑戦に大きく大きく勝ったことを示す、歴史的瞬間だった。

さて、その後もそんな奇跡のような夜は続いていく。恒例となっているまさやんショッピングのオーラルグッズ紹介のコーナーを経て、いよいよ最後となるアンコールが幕を開けた。「最後の1曲」と言った声が耳にこだまする中、リリックムービーのように一節ずつ大きく映し出される歌詞。木っ端微塵に砕け散った後のビルの残骸。ギラギラとしたかつての面影もないほど朽ち果て錆び付いた街。そうしてあまり多くを語らずに始まった“ONE’S AGAIN”は、背中で背負うそのいくつもの映像が彼らからの何よりのメッセージだった。しかしそれから程なくして、今度は逆に時間を遡っていくように、彼らが演奏している最中に1曲1曲で流れていた映像が断片的に走馬灯のように映し出され、そんな中で再び現れたあの廃都市には信じられないことに、綺麗な濃い色をしたサーモンピンクの花々が一輪、また一輪と咲き始めたのだ。しかも「最後の1曲」とあれほど言っていたのに、山中はスタッフに手渡されるままギターをもう一度手にし、まるで感情の洪水を起こすようにそれをジャキジャキと弾きながらニヒルな笑みを浮かべ目で何かを殺すように、それでいて慎重に選んだ言葉だけを繋いでいくように、真っ直ぐ前だけを見据えて私たちにこう訴えかけてきた。技術の発展が本当に経済の発展に繋がっているのか?全てを鵜呑みにして便利便利と使ってはいないか?自分の感情を無くしてないか?と。そして奇しくも、そのとき彼が着ていた衣装の後ろに大きくプリントされたある人物の有名な格言の中にもこんな言葉があった。

「発明の本質とは、人類の役に立ちながら、物質を超越した精神の支配を得ることだ」

その人物というのが、オカルトや奇抜な研究内容と絡んでマッドサイエンティストと呼ばれ恐れられている天才発明家・ニコラ=テスラ。私たちの身の回りを見てみれば、その存在なくしてこれほどの技術の進歩はなかったと言える、間違いなく現代における偉大な発明家の1人だが、ついさっきまであんな風に訴えかけていたにも関わらず、技術発展の先駆者とも言えるそんなテスラの姿をどうして彼は背中一面に掲げていたのだろう?私にはそれがどうも不思議でしょうがなかった。

《ワガママで誤魔化さないで/ワガママは勝手でしょ?/思いもよらない言葉降り注ぐ》(“ワガママで誤魔化さないで”)

そんなときにふと頭を過ぎったのが、後半戦のちょうど中盤辺りで披露されていた新曲“ワガママで誤魔化さないで”だった。実際にライブで踊ることはなかったが、特訓の末、キレの良さが発揮されたサビ部分のダンス。曲が始まる瞬間から鳴り響く甲高いタンバリンの音色。MVが公開された当初、単なるロックバンドの枠には到底収まりきらないそのいくつもの衝撃にSNS上では賛否両論の応酬が行われていたが、今から100年前に同じような状況になったとき、あのニコラ=テスラは他人の冷遇や干渉を振り切ってでも自らの心のまま研究に没頭し続け、その結果、科学の分野において誰も否定し得ないほどの数々の功績を残したのだ。もしかしたらTHE ORAL CIGARETTESというバンドも、不遇にも忌み嫌われたテスラのように、万人受けする音楽とは程遠い存在なのかもしれない。本人達だって、未だに「相容れない」と思っている人たちが大勢いることは分かっている。しかし《ワガママは勝手でしょ?》と言うように、4人が自らの感情のまま、やりたいことをやった先にあるものだけが彼らの正義だ。それが果たして正解なのか、間違いなのか。もしかしたら彼らにも分からないことなのかもしれないが、テスラが後世に残した多くの産物のように、バンドの目の前で起きているいくつもの現象がその答えを何より雄弁に物語ってくれるはずだ。さらに、この歌詞には続きがある。

《失ってやっと気づいた/本当のその意味に/独りきりの夜が朝を迎える/誰かに愛され そして/誰かを愛す時/今までの過去にさよなら告げて/ワガママにそっと愛を付け足して》(“ワガママで誤魔化さないで”)

今こうして彼らの正義が、4人のバンドマンの「ワガママ」が決して独りよがりになっていないのは、何通りもの誰かを想う気持ちが必ずそこにはあるからだ。《自分自身が責任を持って/それでも手を差し伸べてくれたら/どれだけの感謝と喜びがそこに/生まれるか気づくから》(“ONE’S AGAIN”)と歌う裏で信じられないほど美しいあの花が咲きこぼれていたのもその1つの証しだが、何よりそれを証明していたのが、直後に「懐かしい曲を」との紹介で披露されていた“LIPS”。きっと生で聴けることはないんだろうなとずっと思っていたからこその喜びも、優しく心に染みるアコースティック調のアレンジがされていたのも、このとき会場がずっと温かなオレンジ色の光に照らされていたのも、本人が後から照れくさそうにしてしまうようなさり気ない仕草を思わず見せたのも、きっと単なる偶然では片付かない何かがそこにはあるんだろう。

《あなたに LIPS/感じて欲しいの LIPS/朝焼け空 LIPS/オレンジの光集め/過ごした日々を忘れないように》(“LIPS”)

そして最後になるが、こうしていくらあの日に思いを馳せても、過ぎ去った過去として起きた以上、彼らが歌った曲や演出・ちょっとした仕草ひとつ取ってみても、込められたメッセージや思い描く理想の空間・感情の出発点として、そこには間違いなく真実がある。自分のここまで書いてきたことが果たして正解なのか、大間違いなのか。情けないことに私は今でも全く分からないが、それでも確かに言えるのは、多少の記憶違いはあったとしても、ここには忖度もなければ迎合もないということ。だから、改めて胸に手を当てて問いかけてみたいと思った。失くしちゃいけない、忘れちゃいけない、自分にとって「本当に必要なものは何なのか?」と。

時は戻り、正真正銘のラスト1曲として“嫌い”が披露されることとなったフィナーレの場面。黒いシルエットとなって表情ひとつ伺えない中にも、「嫌いって言葉に僕はいつも感情を鷲掴みにされるんです」とかつて話していたその色褪せない衝動と共に、あらゆる感情を楽器に叩きつけていく4人の影。要らない不用品を綺麗さっぱり処分した後そのままに、どこまでも真っ白な背景のスクリーン。遡ること今から5年前、この曲が彼らのメジャー1stアルバム収録曲としてリリースされた際、山中はそこへ寄せる想いについて「君はどう?って訴えたかった。そういうの、大切にしてほしいなって。」とブログに綴っていたが、一瞬にして広がったこの黒と白による切り絵のような世界ほど、変わらぬ彼らの願いがそのまま真っ直ぐ胸に収まったことはなかった。そして、リリースから5年弱の月日を経た今日、この曲がまさに始まろうとした瞬間に、彼らはある言葉を私たちへ残していった。流れ星への祈りなんて麗しいものじゃなく、ここから始まる前代未聞の番狂わせを宣言するかのように放たれたその最後の一言——。

「どうか人間の感情だけはこの世から無くなりませんように……!」

それは、他の誰でもない彼ら4人と私たち1万2千人からの、あの謎に対するたった1つの答えだった。


この作品は、「音楽文」の2019年5月・入賞を受賞した山形県・ 蜂谷 芽生さん(22歳)による作品です。


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