QUEEN来日大作戦!?~祝・来日公演決定~

 「クイーン+アダム・ランバート9月に来日公演が決定」、この夢のような24文字に日本中のQueenファンが喜んだことだろう。もちろん、私もその1人だ。これからここに書くことは、Queenを来日させようと頑張ったある中学生の話である。この話を私のQueen愛と共に、この機会に書かせて頂きたい。
 私は千葉県に住む中学3年生で、一言で言ってしまえば私は「洋楽バカ」である。仮に私がOne DirectionTaylor Swiftなどのファンだったら、中学生でも話が合う人がたくさんいただろう。しかし、残念ながら彼らは、私の好きな音楽ではなかった。
 記憶がないほど小さい頃から、父の影響で洋楽を聴いていた。車でしか音楽を聴かなかったため、自然と車が好きになった。覚えている限りで当時聴いていたのは、Stevie WonderThe OffspringRed Hot Chili Peppers(以下RHCP)など。やがて小学3年生になり、自ら音楽を聴いたり、CDを買ったりするようになった。小3にしてドハマりしたのが、Michael JacksonとLady Gaga。そう、この時から私は完全に「洋楽バカ」となった。
 父が幅広いジャンルの音楽を聴いていたおかげで、私も1つのジャンルにとらわれない広い耳を持って音楽を聴くようになった。ABBAやDot Hacker、小さい頃に聴いていたThe Offspring、RHCP、Guns N’ Rosesまでも、今ではよく聴いている。
 そんな去年の冬、車で父が買ったあるDVDを見ていた。Queenの『Jewels』だった。正直「QueenじゃなくてGuns N’ Rosesが聴きたいなー」と思っていたのをよく覚えている。しかし、「Radio Ga Ga」と「Bohemian Rhapsody」を聴いた時には、既にその思いは覆されていた。「どうしてもQueenが聴きたい!!」まるで、Queen依存症になったかのような気分だった。
 そんなわけで、中学2年生の時にQueen依存症患者になった私だが、大きな問題に直面してしまった。「QueenのCDがない!!」肉に飢えた獣のように、膨大な数の父のCDコレクションからQueenのCDを探していた私だったが、見つかったのはたった2枚だった。その2枚というのは、どちらもフレディ・マーキュリーの死後に発表された『Queen Rocks』と『Made in Heaven』で、別に悪いアルバムではない。しかし、既にQueenが聴けないことによる禁断症状が始まっていた私にとって、フレディが居た時のQueenが聴けないのはかなりきつかった。「自分で買うしかない!」この日から私の「Queenのオリジナルアルバムを14枚買う旅」が始まった。
 この旅の結果から言えば、14枚集まった。しかも、かなり短い期間で。一番の問題はそう、金だった。14枚CDを買うといっても、所詮私は中学生であり、新品を買うなんて無理な話だった。そんな哀れなQueen依存症患者を救ったのが、大手通販会社のア○ゾンだった。おかげ様で私は14枚のCDを安く購入することができ、Queen禁断症状ともおさらばすることができた。
 Queenの曲に酔いしれていたある日、衝撃のニュースが私の耳に飛び込んだ。「デヴィッド・ボウイ死去」信じられなかった。彼はニューアルバムをリリースしたばかりだったし、何よりもまだ69歳だったことに、驚きを隠せなかった。
 この訃報を知った瞬間、私の頭はQueenのメンバーの事でいっぱいになってしまった。私の大好きな「Under Pressure」という曲はQueenとボウイが共作した曲だったし、多分フレディ生前のQueenが誰かと共作した曲で、きちんとアルバムに収録されているのもこの曲だけ。さらにボウイは、1992年に行われた「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」にも出演していた。Queenにとって身近な存在だった彼が、69歳という若さで亡くなってしまったのだ。その日の夜、私は「Under Pressure」を聴きながら、こう思った。「Queenのライヴに1回も行けないなんて……私、死ねない!!」Queenの現メンバーであるブライアン・メイは69歳、ロジャー・テイラーは67歳。特にブライアンは、亡くなったボウイと同い年である。いくら今は元気でも、人生何が起こるか分からない……。しかも私は、前回Queenが来日した「Summer Sonic2014」を見逃してしまっている。会場のQVCマリンフィールドまで家から徒歩で行けるにも拘らず!(Queenが出演したSUMMER SONIC2014の4日前に私は、QVCマリンフィールドで行われたLady GaGaのライヴを見ていた……。)「どうかQueenが日本に来てほしい」、私はこの純粋な願いをブライアンに伝えることにした。
 自分の気持ちを彼に伝えるにあたって、Twitterなどを使うのは嫌だった。きっと、彼はTwitterをまめに使っているから、そっちの方が情報を伝える手段として楽だったと思う。しかし、私は手紙を書くことにした。
 私にとって、エア・メールを書くのは初めてだったし、いくら英語が得意とはいえ、大変な作業だった。家に英語が出来る人がいなかったので、封筒に住所を書くことが私の限界だった。「このままじゃ、封筒に英語で住所を書いただけで終わってしまう……」そう思っていた時、唯一の解決策が頭に浮かんだ。中学校の英語の先生に手伝ってもらうことだった。「こんな事出来るのも、学生の特権だー!」と思いながら、ノートに自分なりの英文を書いていき、そのノートを先生に提出した。時は2月、学校は今年度最後のテストなだけあって、先生も生徒も口を開けばテストの事しか口にしない、そんな月だった。先生はきっと私の事を「テスト期間なのにファン・レターを書くなんて、のん気な奴だ」と思っていたに違いない。それでも嫌な顔せずに、ノートを見てくれた。
 2016年2月16日、とうとうこの日に私はブライアンに手紙を出すことが出来た。テスト期間に勉強もしないで、手紙を書いていたのでもちろんテストの結果はひどかったが、それでもよかった。とにかくその時は、1ヵ月近くかけて書いた手紙が、やっと送れたという安心感でいっぱいだった。
 手紙の内容はシンプルで、好きな曲についてはもちろん、一番伝えたかった来日のお願いまでちゃんと書けた。この時私は、あくまでもこの手紙は自分の気持ちを伝えるものに過ぎないと思っていた。まさか、この2ヵ月後にブライアンから返事が来るとは知らずに。
 ある日、私はいつものように部活が終わると、1人疲れた足で家に向かっていった。すると、いつもは仕事を終わらせると家に居る母が、私の帰り道の途中まで迎えに来てくれていた。「優しいお母さんだな~。わざわざ迎えに来てくれなくてもいいのに」なんて思っていたら、そうではなかった。母は興奮した口調で「海外から封筒が来てる! ブライアンかもしれない!!」と言い、私は急ぎ足で家に帰った。
 母の予想は的中だった。差出人の名前は書いておらず、封筒を開けるまで誰からの郵便物なのか分からなかったが、中身を見た瞬間に差出人が誰なのかすぐ分かった。ブライアンだった。彼は、私が彼に送った手紙の中に入れておいた写真にサインをして送ってきてくれたのだ。嬉し過ぎて、家族でパニックになった。自分が送った写真にサインをしてくれるなんて。この日は私にとって、忘れられない、大切な日となった。その日は4月26日だった。
 6月15日、私にとって忘れられない日が再びやってきた。学校から帰宅し、いつものようにRO69を見ていた。マイアーティストのところを見た瞬間、目に飛び込んできたのがこの言葉。「クイーン+アダム・ランバート、9月に来日公演が決定」二度見なんてもんじゃない、十度見してしまった。さらに読み進めると、どうやら今回の来日公演は色々すごい事が分かった。「フレディ・マーキュリーの生誕70年、没後25年に行われる31年振りの日本武道館公演で……」何!?フレディの生誕70年、しかも来日公演があるのは9月でフレディの誕生月……。「フレディの生誕70年をフレディの誕生月に祝えるなんて、日本のQueenファンは超ラッキーだ!!」なんて思っていると、9月は自分の誕生月でもあることに気付いた。「絶対にチケットを買う!!」私は決心した。
 ここでふと、ブライアンに書いた手紙の事を思い出した。もしかしたら、手紙で来日のお願いをしたから、来日公演が決まったのかもしれない……と、急にそんな事を思うようになった。確かに彼から手紙の返事が来た時は、家族も「Queenが日本に来るんじゃないの!?」なんて言っていた。そんな事を言っているうちにQueenの来日公演が決まったのだ……このタイミングに!! さらに、前回の来日の時のような音楽フェスティバルに出演するわけでもない。完全な単独公演なのである。「色々、タイミングが良過ぎるだろ!!」と、自分で自分をツッコみたくなるくらい、嬉しかった。
 7月16日、私にとってこの日は「戦い」だった。その名も「第二次Queenチケット争奪戦」。この戦いは10時から始まった。私はパソコン、母は電話で参戦した。「今だ!!」私のかけ声と同時に2人の兵士はそれぞれ戦いを始めた。開始10秒も経たないうちに、2人の兵士は身動きが取れない状態になってしまった。パソコンも電話も回線が混雑していたのだ。早くもここで、母がこの戦いから離脱してしまった。残る兵士はただ1人……この私だけだ。時刻は10時2分。諦めずクリックし続けた結果、やっとの思いでチケットの販売画面にたどり着くことができた。しかし、時すでに遅し・・・画面に映し出されていたのは×の文字。そう、私たちはこの戦いに敗れたのである。私がこの戦いで欲しかったのは、S席のチケットだった。
 ところで、この戦いは「第二次Queenチケット争奪戦」と名付けられているが、「第一次Queenチケット争奪戦」はどうしたんだと思う人がいるだろう。結果から言えば、敗戦した。しかし、この戦いは私にとって非常に不利な状況だった。この戦いの日、7月6日は平日だった。10時から開戦だったが私は中学生、10時なんて2時間目の授業の真っ最中である。哀れな私は帰宅してからでもチケットが買えると思っていた……。帰宅後、チケットの販売画面を開くと同時に、敗戦を知った。「予定枚数は終了しました」。この戦いで負けたからこそ、「第二次Queenチケット争奪戦」は絶対に負けられない戦いだったのである。
 とりあえずこの時点で私は、第一次・第二次ともに敗戦し、目当てのS席のチケットは手に入らずに終わった。しかし、ブライアンに手紙を出してまで来日のお願いをした私が、チケットを買えずに終われるはずがない。すると救世主が現れた。父だ!! 父は第二次Queenチケット争奪戦敗戦直後に他のサイトを探し、見事S席のチケットを見つけたのである。「早く買おう!!」と急かした私に対し、父はこうつぶやいた。「このチケットはS席だけど、本当の値段より9000円高いみたいだね~」。9000円という事は、S席の値段は16500円だから25500円……。高い。
 しかし、これを逃すともうQueenのライヴは見に行けないかもしれない。メンバーも60歳を越えていないのは、ボーカルのアダム・ランバートだけだ。「買おう」と私は決意し、S席のチケットを買った。
 私と母の努力はむなしく終わったが、父という救世主のおかげで2度の戦いを乗り越え、Queenのチケットを買うことができた。ちなみに私は、最終日の9月23日にライヴに参戦する。私は今回の2度の戦いで学んだことがあった。Queenは日本で長く愛されているバンドという事である。私は以前、Lady GaGaのライヴにも行った事があるが、チケットを買うのにここまで苦労しなかった。Queenと同様、GaGaのチケットを買うときも回線は混雑したが、販売開始から2分でソールド・アウトなんて事はなかった。フレディはいないし、ベースのジョン・ディーコンは音楽業界から引退している。それでも、Queenは絶大な人気を誇るバンドであるのだ。The Beatlesでいえば、ポール・マッカートニーリンゴ・スターの2人だけで「The Beatlesです」と言っているようなものである(悪くはないが……)。
 チケットを手に入れ、ライヴを来月に控えた今、いわゆるライヴ前の「予習」を毎日している。実は、現在のQueenのボーカルであるアダム・ランバートの声を最近まで聴いた事がなかった。そのためある日、予習としてQueen + Adam Lambertの映像を見ていたのだが、驚きの連続だった。「歌うまっ!! 声高っ!!」みたいな……。私が知っている高音男性アーティストは、Queenのロジャー・テイラー、Michael Jackson、アクセル・ローズぐらいだったが、アダムは声が高いだけでなく、女性のような美しい高音が出せていて、本当に驚いた。彼の音域なら、Queenのどんな曲も歌いこなせると思った(もう歌いこなせているが)。
 最後に。まさか自分が、デヴィッド・ボウイの死をきっかけにブライアンに手紙を書くとは思わなかった。さらに、来日のお願いを手紙に書いて、家にブライアンからの返事が届き、その2ヵ月後に来日公演が発表されるなんて・・・。彼の優しさと奇跡としか言いようがない。ブライアン、本当にありがとうー!! この苦労して勝ち取ったチケットを握りしめて、9月23日に行くからねー!! 


この作品は、第2回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で入賞したRIOさん(14歳)による作品です。


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