ちゃんと、ひらがなだ - 10-FEETの手のひらにふれた

 2015年の冬、スピッツ『ハチミツ』の発売20周年を記念して、トリビュートアルバム『JUST LIKE HONEY』が発売された。好きなアーティストが幾組か参加していたので、何とはなしにわたしもそれを買ったのである。それが10-FEETとの出会いだった。
 彼らは「涙がキラリ☆」をカバーしていたのだが、そのときのわたしは、彼らについては「だれかが好きって言っていたっけ」という程度、スピッツの原曲さえ聴いたことがなかったのだから、ずいぶんと偶然にたすけられたものだと思う。じつに幸運なことだった。初めてだらけだったその曲を一発で好きになってしまったのだ。曲の始まったとたんにびっくりして顔をあげてしまったのを覚えている。音の分厚さのわりにぜんぜん威圧感がなく、声はざらっとして素朴にあたたかい。大きな生きものの呼吸のようなものに、ゆっくりと押し包まれる感覚がして、ふしぎに懐かしかった。春から夏の夕暮れの帰途にぴったりの曲だったから、その後しばらくは毎日のように聴いていた。そのあとスピッツのCDは買ったものの、なぜか10-FEETのほうは買わなかったのだが、その「涙がキラリ☆」だけはずっとお気に入りだった。思えば、あの懐かしさにずっと導かれていたのかもしれない。

 彼らのライブをはじめて観たのはその年のCDJで、ちょうど年越しの時間だったのだけれど、初めての年越しフェスで早くからはしゃぎすぎたために始終ボンヤリしていたので(ごめんなさい)、ちゃんと観たのは二年後、2017年の中津川 THE SOLAR BUDOKANがはじめてということになる。
 そのおりも、失礼ながらまだそこまで興味がなかったので、呑気にごはんを食べながら始まるのを待っていた。そのときからなんとなく人の多さを感じてはいた。そして、SEが始まってステージに目を向け、仰天することになる。エリアは満場、しかもほとんどの人が10-FEETのタオルを広げて掲げているのだ。数えきれないほどのそれらが旗のように連なって目の前を満たしている光景に、始まる前から圧倒されてポカンとしてしまった。そういえば「京都大作戦」のTシャツを着ている人も、かなりの割合でいたと思う。あのお客さんたちの背中がなければ、最初からああまで引き込まれはしなかっただろう。これはすごいバンドに違いない!という期待がぐんぐん胸にみちて、一心にステージを見つめた。

 あのライブの感想は、とても一言ではいえない。ただ、気付いたら、背負っていたリュックを地面に落とし、食べかけの丼を片手に持ったまま、自分はこんなに跳べたのかというほど飛び跳ねている自分がいた。知っている曲はひとつもなかったのに。あの高揚は、雰囲気に呑まれたとか、ただなんとなく音にのったとか、そういう類のものではなかった。まばゆかった全部を今でもまざまざと思い出せる、日差しも、風も、「跳べ!」と煽るTAKUMAの声も。
 なにより、エリア全体のまじわりようが圧巻だった。バンドとお客さんとが「仲がいいんだなあ」とつくづく思ったのを覚えている。「10-FEETあんまり好きじゃないひとー!」というTAKUMAの呼びかけに客席がここぞと盛り上がり、叫んだ本人がしゅんとしてみせたり、曲が終わるや否や「ウェーブやろか、こっちから行くで」と無茶振りされたりと、奔放なやりとりが次々交わされる。彼らのライブによく行く人にはお馴染みなのかもしれないが、わたしにはまったく未知の体験だったので、新鮮でおもしろかった。でもただそれだけではない。
 ある曲の間奏中のできごとが強烈に印象に残っている。
「隣の全然知らない人と、笑顔でハイタッチしてくださーい」
 TAKUMAが言い放った直後、スクリーンに映った人波のすさまじさといったら!本当にみんな言われた通りハイタッチしている。しかもめちゃくちゃ笑顔で、誰彼かまわず。すごいすごい!と思わず声に出してしまった。一体感などではない、まさに一体。こんなことがあり得るんだ!みんなこどもみたいで、びっくりマークつきの「たのしい!」が溢れかえっている、その真ん中にありながら、それを包み込むように、音楽が鳴っている。あの景色はきっと一生忘れない。これが10-FEETなんだ、とストンと納得した。これは今振り返ってみて思うのだが、あのとき、彼らと彼らのお客さんとのつながりの強さをひしひしと肌で感じていたにもかかわらず、ほとんど初見のわたしがまったく疎外感をおぼえなかったのだ。だからうれしかったんだろう。
 そんな彼らの懐の広さをはっきりと、痛切なほどに感じたのは「太陽4号」だった。
 むろん聴いたのはそのときが初めてである。微風がふいていた。

 心が冷めてる人は本当の感動を知っています
 今夜も眠れない人が沢山居ます きっと居ます

 言葉が耳から胸までしみたとき、喉になにかこみあげて、視界がにじんだ。
 心が冷めてる人。わたしが自分のことについて、ひとりで長く思い続けてきた言葉だった。
 それまで強みだと思って鍛えてきた冷静な自分が、ライブを観ている間にも消えなくなっていた。何事も厳しく中立的な目で見ようと自分を律してきたわたしが、いつの間にかつくってしまった断絶だった。そのもうひとりの自分は、いつもずっと上の方にいて、大好きな曲のときでもすごくいい演奏のときでも、冷めた顔でわたしを見下ろしていた。
「本当にいいと思ってる?」「そう思いたいだけなんじゃないの?」
 その声を振り払う強さもなかったわたしは、自分にはライブに行く資格なんてないんじゃないかと薄々感じながらもそんなことないと思いたくて、そいつを見返したくて、いろんなライブに行き続けたけれど、そいつはいっこうに降りてきてくれず、どころかだんだん遠ざかっていった。
 心が冷めてる人。ほとんどあきらめに近い気持ちでわたしが持っていた言葉を、取って、あたためて、胸の真ん中に投げ返してくれたのが、10-FEETだった。

 太陽が昇るあの場所で 夜が明ける前に
 教えて このままで間違ってないと

 わたしは間違ってなかった。
 彼らのステージが終わって、ごはんの残りを芝生にすわって食べながら、頭上の冷たいわたしのことを改めて考えた。わたしはさっき――あのSEが始まってから三人が手を振って去っていくまで――あいつを見返そうなんてそういえば少しも考えなかった。意識すらせずに、笑いながら手をつかんで一緒に飛び跳ねていたな。もう大丈夫だとしぜんに思えた。彼らの音に出会ったとき感じたあの体温が、今はわたしの底のほうへすっぽりとおちて静かに湧き出している。あんなふうに満たされた気持ちになれたことはなかった。自分に対して、初めてやさしくなれた、そんな気がした。

 やさしさ。わたしが10-FEETから、いろんな意味でもらったのはきっとそれだ。
 友達が貸してくれたCDの中にあった「ヒトリセカイ」のMVを見たとき、彼らのたたずまいに目が釘付けになった。てっきりすごい笑顔で歌っているんだろうと思っていたのだが全く違うのだ。ノリのいい突き抜けるような曲調に反して、薄暗い中で演奏する彼らの顔にはあちこちに痣が浮き、着ているスーツも蹴られでもしたかのように汚れている。なにより、幾度も大写しになるTAKUMAの表情は、何とも言いようがなくゆがんで、どこか悲しそうだった。中津川のステージで、「みんな仲良うできる?このあとネットで喧嘩したりせえへん?ほなもうちょっとやろか!」と笑いながら叫んだ彼の顔が思い浮かんだ。そうか、あれは、傷ついた人のやさしさだったのかと、わたしはそのとき気付いたのだった。

 嗚呼 ひらがなみたいな愛や優しさを
 まっすぐに見つめれない そんな日がありますか

 ひらがなみたいな愛や優しさ。中津川で感じたのはまさにそれだった。力強く、自由で、単純な思い。わたしは確かに救われたと感じた。けれど、彼らも天性の人ではなかったのだ。何の構えもためらいもなくやさしい人ではなかった。周りへ向けることも、受け止めることすら難しかった経験、そういう自分に傷ついたこと、似た人がほかにもいるのを知っていた。あの空の下で限りなくひらけていた彼らのやさしさは、その暗さの上でこそ、あんなにも強かったのだ。
 単純なものは軽蔑されやすい。わたしもそうだった。その結果、埋めがたい亀裂が自分の中にできてしまったのだけれど。
 10-FEETのやさしさは、その単純さは、いろんなものを抱え込んでいる。たぶん、わたしが絡めとられていたような気難しさも、冷たさも。悩みながら迷いながら、他人や自分に傷つきながら、失望したりもしながら、それでも彼らは臆さない。ひたむきだ。強靭にすべてを包み込んで、途方もなくおおきい。
 あたたかさ、おおらかさ、やさしさ。理屈っぽくなって単純なものを毛嫌いしていたわたしが、だんだんと自分に許せなくなっていったそれらを、10-FEETに出会って取り戻せたような気がするのだ。彼らの、おおきな手のひらみたいな音楽が、間違いなくまっすぐにふれてくれたこと、そうして思い出すことのできたものたちを、ずっと守っていきたいと思う。きっと守っていける。わたしはもう大丈夫だ。

 最後に、10-FEETのお客さんへ。わたしが10-FEETを大好きになれたのはあなたたちのおかげだ。ツアー「Fin」のチケットを取るに至ったのは、中津川で見たあのたくさんの背中や100パーセントの笑顔が、頭のなかにずっとまぶしくあり続けたからだ。本当にかっこよかったんだよ。10-FEETの三人がそれぞれひとつの太陽なら、「4号」は絶対あなたたちだ。お客さんまでこんなに丸ごと好きになれるバンドに出会えたこと、わたしも今はそこに飛び込んでいけることを、心底うれしく、誇りに思う。ありがとう。あの背中に、そのむこうの三人の姿に、また会いに行こう。

 “いつかいつかはまた会える大人になっても大丈夫”! ―「2%」10-FEET


この作品は、「音楽文」の2018年4月・月間賞で入賞した愛知県・nyoさん(21歳)による作品です。


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