KANA-BOON 一番星に願いを - 4thアルバム『NAMiDA』と2017年の彼らに寄せて

せっかく華のJKになれたのに、飛び乗る予定だったアオハルに見事に乗り遅れて絶望している。最近とにかく同世代のファンが眩しすぎて適わない。

女の子は眩しい。
自分が若く考えが至らない事を自覚している程度に賢しく、その青年期特有の直情性によって引き起こされる多少のお転婆は許されるご時世だと知っている程度に狡猾な美しい十代。ライブの最前で泣いている少女って世界中の何よりも強い、しかも「このバンドに救われました」だとか「邦ロックは酸素、このバンドが永遠に好きです」なんてセリフが本当によく似合ってしまう。大仰にも聞こえるそんな言葉を高らかに宣言できる青さがあんまり美しいものだから、こちらは口を噤んで羨望と嫉妬で綯交ぜになった目線を逸らすしかない。救われた少女とロックバンドという完璧過ぎる構図、多感な十代が言うからぎりぎりアリな言葉。口にするには恥ずかしすぎて鼻で笑ってしまう、でも密かに憧れの言葉でもあるのだ。
陸で息をするよりも文章の中を泳ぐ方がずっと自由な私には、思っていても口にできないことがあまりにも多すぎる。
だから今から私の好きなバンドと、彼らのアルバムの話をする。

タイトルが『NAMiDA』だと知って、冗談じゃないよと笑ってしまった。3rdアルバム『Origin』のリリースから1年7ヶ月。その間(厳密に言うと2017年上半期)既に彼らには酷く泣かされている。

2月のある日、寝惚けたまま目的もなく付けた朝のニュース。
聞きなれたバンド名。
お、と思って顔を向ける。
目で何気なくテロップをなぞる。
テレビには見慣れたメンバーの顔が映っていた。

遠くでパンが焼けた音がした。
意識からずっと遠いところで、日常がチンと音を立てた。
朝食や身支度そっちのけで声を殺して泣いたその日、学校にはお陰様で無事遅刻した。

どんな感情より先に不安や心配が先に訪れた。非常に似通った状況となり一定期間活動を休止したバンドが音楽の世界にぽかんと開けた空席の存在とその物足りなさが、頭の中の不安を生々しく想像させたからだろう。
Vo.谷口が語ってきたバンドの夢はどうなる?もうすぐリリースされる予定のシングル『Fighter』は?アニメのオープニングにはそのまま適用されるのだろうか?今動画サイトにMVが公開されたら、どんなコメントがなされるのだろうか?
ああ、彼らは今、元気だろうか?何を考え、どんなことを思っている?今どのような行動を取ろうと計画している?
今、どんな顔をしている?

彼らの音楽に溢れた人生を、いつの間にか当たり前だと思っていた。そろそろ前のアルバムから一年経つけど新曲なりアルバムなりはまだですかと図々しく期待さえしていた、己の惰性に気がついた。

あの状況下でそう簡単に動きは取れないと理解していながらもやはり不安で、公式やメンバーが何か言ってくれないかと期待した。情報を発信する手段を彼らは持っていたし、私達はそれを受け取るには十分すぎるほどのツールを手に入れていた。見たくないものが見えるのを承知でやはり情報を求めた。彼等本人の言葉じゃなければ信じたくないのもあったと思う。

その結果、ネットやテレビ、自分自身の中で、見たくなかったものを沢山見た。
突然誹謗中傷を浴びせてくる匿名性の悪意に「貴方が何を知っているんですか!何も知らないくせに!」と答えたツイートを何度も見た。
ファンが知ってる彼らの情報なんてググれば出てくる。MCで言ってる、音楽誌のインタビューかWikipediaでも見れば完璧に押さえられることばかりだ。
「何も知らないくせに」という言葉がここまで刺さるなんて。ぐうの音も出ないとはこの事だ。

SNSで個人の思考や思想が手に取るように不特定多数の人間に伝わる今日、ファンの行動が良くも悪くもそのまま彼ら自身への評価へと繋がるから下手な事は出来ないと邪な心が働いた。思慮深く客観的視点を持つ成熟したファンを演じようとした。
大嘘もいいところだった。悪意を持ってメディアに切り取り・誇張された彼のジョーク、収録された演奏シーンのみの音楽番組への出演を「騒動について言及なし」と報道したニュース。
力任せに電源を引き抜いたテレビの黒い画面には、右手にコンセントの紐をぶら下げ悔し泣きする未熟なファンそのものが映っていた。大事な宝物に気安く触られベタベタと汚れた指紋をつけられる感覚が、不快だった。
やはり彼らの味方にしかなれなかった。でも同時に、ワイドショーで訳知り顔で唾を飛ばしコメントする御意見番よりずっといろんな感情を抱いていたとも思う。彼のキャラ性もありネットでこの騒動が冗談のネタとして使われた事も、記事の横に青い下矢印が付いてあっという間にトレンドに消費されたことも、全然「良かった」とは思えなかった。

ファンとは言うものの所詮私は彼らの客であり他人だ。彼がプライベートでどう暮らしていようと当事者じゃない人間は口を出す権利は持っていないし、そもそも人様の問題に偉そうに首を突っ込めるほどよく出来た人間でもなければそんな余裕もない。今までこの持論に従ってきたが、いざ問題に直面して彼のプライベートにおける選択が仕事に支障をきたすとなるとやはりそこまで割り切れなかった。
何かの悪い夢なんじゃないかと信じられなかった、この一件でバンドの音楽まで否定する人がいるのが悔しかった、何よりこのバンドを好きだったからこそ、整理しきれない気持ちがあった。矛盾した感情にまみれて、悲しみの矛先を見つけられずに途方に暮れていた。

「私は曲が好きだから彼らが好きだった。プライベートで何があっても関係ない」
賛同のいいねは押せなかった。そんな事があるか、曲しか好きじゃなければ私はラジオは聞かない、テレビは見ない、インタビュー記事は読まない、ライブなんて行かなくたって音源で満足出来ていた。

間違いなく愛していた、彼らの笑い声を。何気ないトークを。表面しか知りえないけど、液晶に反射する人間性を。愛していた、愛していたのだ。何も知らないけど、結局客だけど、でもただひたすらに。ひたすらに敬愛していた。
今更彼の倫理がどうとか御託を並べたって全くもってナンセンス、だって彼が関係を隠しながら舞台に立っていた過去のあの瞬間、私は彼らの音楽を好きだと思ってきたのだ、今更足掻いて何になる。
惨めだ、嫌になるくらい狂信者、ファンだった。
後々公開された公式サイトの「ファンの皆様へ」というタイトルが泣けた。内容云々より先に、私が彼らのファンであるというその大前提に目が止まって、今更のようにそうか私はファンなのかと思い出したらなんだかせり上がってくるものがあった。
そこで初めて、好きだったバンドに対して一瞬でも揺らいでいた自分を見た。

音楽が生活必需品ではなかった事を思い出した。音楽がなくたってきっと私は生きていけるのだ。それどころか、無人島に一つだけ何かを持っていくとして生きるか死ぬかを左右するその一つにウォークマンはきっと選ばない。音楽はきっとこれからも私の中で贅沢な嗜好品以上のものにはならないのだと思い知った。邦ロックが酸素だなんて、笑わせてくれる。
余裕があるから愛せるものだった。愛し続けることに苦しみがあるのならもう止めてしまいたいと、確かに願った。

ファンという言葉の意味が自分の中で少し変わり、自分が音楽を純粋に好きだと言うことが許せなくなっていた時、4th ALBUMのリリースが発表された。

女の子は飽きっぽい。
気がつけば永遠の愛を誓った恋人の写真が全てのメディア欄から消えている、『別れました』という名前の元カップル垢がTwitterの中で死んでいる。
だから私はきっと冒頭で挙げた少女に憧れながらも嫌悪してしまうのだ。そんな澄んだ目で、そんな真っ直ぐな顔で、そんな浅はかな約束をして。
彼女は大事なものから自分が飽きてしまった時の事なんて想像しない。薄情で移り気な自分の汚さなんて都合よく忘れている、だからあんなに綺麗なのだ。最高に嫌な奴、ああでも凄く羨ましい。

このアルバムが、私の中での分岐点になる。そう思って発売を待っていた。
彼らのアルバムを手にすると、なんだか緊張してばかりだ。Originの時と同じように、フローリングに正座して畏まってプレーヤーのスイッチを入れた。

以前より格段に厚みの増したドラムに重なるフィードバックノイズ、そして軸のしっかりと通った骨太なサウンド。ローポジションで奏でられる挑戦的で挑発的なリードギターが突出しすぎない程度の主張をして耳に心地よく、いい意味でアグレッシブとしか表現のしようがない。軽快だが安定した低い重心。骨格がしっかり形成されているのに、自由奔放でしなやか。こんな矛盾を成立させる音楽なんて、知らない。
フルドライブの頃から光っていた谷口の押韻技術は更なる精度を増し、ただの「気晴らし」と名付けるには勿体無さ過ぎる一曲目、【ディストラクションビートミュージック】は始まった。
『アッパーなビートに任せて/ただ体踊らせて/真っ赤な目でもいまに変わっていくから』
真偽など知らない、あくまで私自身がそう感じただけだ。でも、まるでこの言葉はNAMiDAというアルバムがどのような目標を持って作られたかを語るようだと思った。散々泣かせた後でまたそんなことを言って、彼らはこれからこの赤くなった目を変えると宣言しているようだと。
ライブを意識して作られていることがひしひしと伝わってくるような、確信犯的キラーチューン。彼らは自分たちの魅せ方を理解し過ぎている、最早嫌味な程に完璧な掴みだった。
一曲目の余韻から抜け出す前に生々しくて気怠げな熱が気侭に深層を泳ぎ始め、サビで一気に突き抜ける。好戦的なのにどこか怠そうな重みは3rdアルバムの【机上、綴る、思想】や【anger in the mind】を彷彿とさせた。人は耳から得た情報で衝撃を受けると顔から鳥肌が立つ事を初めて知った。彼らの原点回帰で得た答えが、この【人間砂漠】で息をしていた。
喜怒哀楽が流れるようなグラデーションを描いて表現されたこのアルバムの立役者は、個人的に【Fighter】だと思っている。タイアップとなったアニメに忠実に作り込まれた音が自然と戦闘機の冷たい金属を連想させるからだろうか、怒りと哀愁が溶け合ったそれはまるで初めからこのアルバムの3曲目になる事を意識して作られたかのようだ。
イントロの泣きのアルペジオ。これだけでもう聴き手を泣かせる気満々なのが伝わってくる。そしてそれに連れられるように始まるシンプルなリズムが逆に直接訴えかけてくるような気迫を帯びて迫り来る。Gt.古賀のしっとりとした音作りが切ない。柔らかく伸びる谷口のファルセット、彼の優しい声が良く似合う【way back no way back】。別れを歌うAメロの歌詞はガラス細工のように繊細なのに、サビで僅かな未練を残しながらも真っ直ぐ前に歩いていくような強さが伺える。
彼らが今作った曲だから、こんなに力強くて健気なのかもしれないと思った。
明るい曲調で出会いと別れを歌っている【バイバイハロー】は、感情を天気に喩えて客観視する歌詞に自分の感情に対して置いた距離感を感じる。爽やかな曲調とそれがちょっとアンバランスで、これがまたしっくりと来てしまう。クリーンな音作りで比較的ゆっくりと聴かせに来る古賀のギターソロ、彼が弾くギターは本当に表情豊かだ。
徐々に盛り上がりを見せるイントロから、リードギターの一音を起爆剤にガツンと入り込んでくるリードトラックの【涙】。元恋人に対しての感情が真っ直ぐで、爽やかなメロディに乗せてするりと吐き出される余分な屈折のない透明度100%な若さが気負わず滑り込んでくる。MVも橋の上でぼんやり黄昏れる少年と、その橋の下を潜り過ぎていく少女の乗った遊覧船の位置関係がねじれの位置にあるのも暗示的だった。
完璧に平行ではない、でもこれから先二度と交わらない二直線。『それでも』という逆説の接続詞から先は何も語られないのがもどかしい。
昨年11月にリリースされた【Wake up】。力強いDr.小泉のドラムから伸びやかに演奏が始まり、布団を恋しがる寝惚けた頭を少しずつ冴えさせていくような芯のある優しいメロディが、時折ネガティブな言葉を織り交ぜながらもサビに向かって上昇していく。

ああ、朝といえば思い出すことがある。
先程からこの言葉にとても執着している所から分かるだろうが、「永遠」という言葉は私にとってある種の呪いだ。
永遠という言葉は、何故あんなに軽はずみに口にできないのか口から発した途端嘘臭く響くあの音は、どうして本当に嘘になってしまうのか。
この疑問について答えをくれたのは、ある協会の牧師だった。
「職業上たまに結婚式で『永遠の愛を誓いますか?』とか言うんですけどね、『はい誓います』って言われた時つい『まあ愛は有限ですけどね』って心の中で思っちゃうんですよね」
絶句する私をちらりと見て、彼はふふんと笑って言った。
「愛は無限でも、永遠でもありません。
いつかなくなってしまう有限なものを他者に与えるから意味があるんです。限りある愛を与えることに痛みがあるから、意味があるんです」

「愛には限りがあります。結婚式で僕らは『永遠の愛を誓いますか?』と尋ねるけど、ないんですよ、永遠の愛なんて。
あの『誓い』は、覚悟をするということです。前の日に何があっても、どんなにひどい喧嘩をしても、朝毎にまた相手を愛し直すところから始める覚悟をする。毎朝毎朝それを繰り返して、限りある愛をできる限り永遠に近づける覚悟はあるか、僕らは訊いているんです」

わざとらしく布団を離し、陰険な態度で背を向けて眠りについた。枕で低く押し殺した嗚咽を聞こえないふりをして腕を組み、こめかみを引き攣らせながら冴えた目を閉じた。
でも朝が来たら、もう一度相手に恋をする。アラームを片手で止めて同じタイミングで体を起こしたら、ちゃんと「おはよう」と挨拶をする。ごめんと謝ることが蒸し返すことになるのなら、どちらも口には出さずに向かい合って朝食を摂る。黙って相手が入れてくれたコーヒーを飲み干したら、カップの底には普段入っていないハチミツが溜まっている。

そういうことらしい。まあ、知らんけど。

谷口は【それでも僕らは願っているよ】がFM802で初オンエアされてから暫くしたある日、ブログで上半期の騒動に触れた。
怖かった、と彼は言う。内容を読んでみると彼がその中であげた不安はどれも語尾が受動的で、活動の進退を決める最終決定権が彼ら自身になかったことを想像させた。彼らの一番の消費者であるファンがどれだけ願っても、彼ら自身が活動を続けたいと思っても、それが叶わなかった可能性が無きにしも非ずだったということが怖かった。

一昔前こそ「色恋があってこそ芸事に艶が出る」なんて言われたが、今は隣国のミサイル発射と政務活動費の使い道、そして倫理から外れた不貞行為にとにかく厳しい世の中だ。音楽シーンの切り替わりに加え、間違いなくこの騒動も彼らの人気には関係している。サラリーマンがクライアントに恋人の有無や既婚であるかを申告しなくても責められないし誰も傷つかないのにバンドマンではそれが通用しなくなってきているのだってそれに然り。懐古される一昔前のロックにだって絶対に女性ファンはいた、今日のロックとのちがいなんて「ジャンルの客層に若者、特に学生や女性のファンが増えたこと」、そして「それを巧みに利用した生産者側の商法戦略によりそれらが付け上がったこと」くらいだ、これまでウィンウィンな関係だったのだから今更騒いでも仕方がないとしかいいようが無い。とにかくこの一件で彼らから離れたファンも一定数居る、ほぼ間違いなく。それには抗えない、だって彼らは今まで、そんな世の中から評価され愛されてきたのだから。
時代が違えばこうはならなかったかもしれない。でも彼らは「彼らが最も評価されるタイミング」、即ちこの時代で出てきたからここまで売れた。私だってこの時代にこの年齢だったからこのバンドを好きになったのだ。此処からが正念場なのも想像はつく。
もう、仕方がない。自分がどうするかは決めた。
私は見たいのだ、彼らの新章を。

夏なんてとっくに過ぎた、あと1年はあんな猛暑御免だと思っていたのに、こんな所にまだ夏があった。よくよく考えてみれば初めての夏曲、ただフェスで踊らせるだけの曲で済ませないところが憎い。平成生まれ超インドア派の彼らが生んだどこか懐かしい曲調の夏色ナンバー、【Ride on Natsu】。リズム隊の音の厚みが確実に増した今だからこそこんな曲が生まれたと思うと胸が熱い。
踊り遊ぶように軽やかなギターと、中盤で登場するBa.飯田のスラップが小粋な【ラストナンバー】。巧みに織り交ぜられるファルセットの脱力した軽さが活きる洒脱な曲、彼らはこんなことも上手いのだと改めて思い知らされる。
彼らが初めて「応援歌」と言い切った【バトンロード】、騒動後最初に出したこの曲は、何方かと言えば彼ら自身に向けて歌うような力強さが印象的だ。

『未来を君と追い抜いて/見たいのさこの目で新章を』【バトンロード】

彼らが告げた新章の始まり。初期衝動を彷彿とさせる、でもそれを更に塗り替えると彼らは宣言した。

青年が守り、熱気が最高潮に達したタイミングで放たれた『DOPPEL』。

『まだ少しでも僕を覚えてる?』『曖昧にremember,remember』『忘れたら悲しいな』『忘れないでくれよ』『いつか忘れてしまう生き物だから』『日々のスピードの中/全部忘れてしまうのかな』『忘れたら、君を忘れたら』

忘れないで、覚えていて、思い出して、想像してくれ。

爽やかさや勢いも勿論素晴らしいが、この盤のエンジンのように感じたのはその根底に隠れている、忘れること・忘れられることを当然の摂理と受け入れ諦めるようなリアリスティックな落ち着きと、その無常感の中でも抱かずにはいられなかった希望や野心の迸るような熱量だった。

彼らが得意とした軽快なメロディーと四つ打ちのリズムを寄せ集め、リボンをかけて渡された『TIME』。軽やかな疾走感と共にフルスロットルで駆け抜けていくそれは、満ち溢れるような彼らの自信そのもの。

新たな挑戦と原点回帰を目標として、聴き手に新しいKANA-BOONの聴き方を提示した『Origin』。彼ら自身が抱いていた不安や過去への羨望に踠き這いつくばりながらも確実に前進するそれに、胸が熱くならないわけがなかった。

昔の彼らが良くて今がイマイチだなんて思わない。ただ、得意な事ばかりを選び続けるのではなく迷いながらも自ら苦悩しつつ道を選び突き進むそのいじらしさは間違いなく愛おしい。軽やかなリズムや突き抜けるハイトーンボイスの裏に見え隠れする流行り廃りへの諦めにも似た感情、でもその奥で尚ギラギラと光る双眼。これをこれから先ずっと見ていられたら、きっとそれ以上の幸せはないと思ってしまう。

新章の幕開けはNAMiDA。Originで12に戻った時計の針がまた時間を刻み始める。新しい朝、新しい軌跡が始まる。

バンド、もっと広く言うなら音楽の世界は星空のようだといつも思う。毎年新たな星が発見されたり怒涛の勢いでたくさんの流星が空を横切りそして消えて行ったり。そういえばある日どこかの冥王星はオフィシャルTwitterに「大事なお知らせ」というリンクを載せて準惑星になった。
星の数は多い、音楽の形はそれに倣うようにこれから先形を変えていくだろう。選択の幅はより広がる、分母は日々膨らんでいく。

穏やかにゆったりと、でも追いつくのを待ってくれはしない速さで流れていく【一番星】。

『輝いた隙間から流れ星を抱いて/わずかでも希望を持って 待ち合わせしようね』

天体は巡る。流行り好きで我儘な地球が勝手に公転するせいで、音楽シーンは次々と切り替わる、嗜好を変化させた己を棚に上げ「終わった」などと抜かす。未だに天動説を信じているように思う。

私の、私の一番星が摩耗されるものか。すり減るどころか磨きあげられより一層眩しく輝く私の一番星が、どうして摩耗されるというのだ。
主観100%で勝手に決めた一番星、自分から見失うわけにいかない。
天体は常に巡る。きっと太陽との位置関係や緯度の所為で、星が見えなくなることだってある。夏にオリオンが見えないように、南半球からスバルが見えないように。星が地平線すれすれに逃げたなら南極でも太陽の裏でもどこへでも行こう。

初めて聴いた時、「悪くないけど特別好きにはならないなぁ」という印象だった彼ら。なんでこのバンドを好きになったのかなんて全く意味がわからない。意味がわからないからワクワクする、ひょんな事もあるものだ、これだから人生はなかなかやめられない。

私は音楽に救われただろうか。
多感な十代の半ばだがもう一生の中で自分のために泣く分の涙はもう使い果たしたと思っている。
音楽は確かに私のそばにあった。でもそれが直接窓辺に足を掛けた私の手を掴み平手打ちして馬鹿野郎と泣いてくれた訳では無いのだ。音楽は確かに私のそばにあった、でも最後の選択はいつだって自分で決めた。満足には生きられない、でも潔く辞められないこの人生を今生きることを決めたのは私だ。
音楽に救われてはいない、音楽に生かされてもいない。押しに弱く流されやすい質な割に案外ちゃんと自分の力で生きることを選べていると思う。義理や恩義は何一つないのに、どうしてこうも音楽から離れられないのか、本当に謎だ。

【それでも僕らは願っているよ】
この曲が『NAMiDA』のラストトラックを務めた理由。この曲の背景について、谷口があらゆる音楽誌で語ることの意味。彼らが出演した様々なフェス会場で必ず飯田の騒動に触れ、頭を下げてきたこと。『音楽で返していきます』という言葉の意味。
飯田の騒動を経て生まれたこの曲を4thアルバムのラストトラックとして背負い続ける意味が要だと思う。
まるで何も無かったかのように笑い、音を鳴らし、夢や希望を歌うことだってできたと思う。自分でも嫌になるほど彼らに甘いグズグズなファンだから、もし彼らがその道を選んだとしてもきっとそれを受け入れていた。

リズムギターに引き連れられ始まる演奏。階段を一段飛ばしでゆっくり昇っていくようなリードギターのエフェクト。上を向くのでも下を向くのでもなく、地平線をなぞる視線の位置。相手を元気づけようと空元気を振りまくのでもない、ずんと沈んだ暗さもない。選ばれる序盤の言葉もやはりネガティブだ。
『それでも』
リードトラック【涙】でも、ラストトラックのこの曲のタイトルにも使われた逆説の接続詞。意図的に繰り返すのではなく、自然と何度も選んでしまう言葉には、何よりも深層深い感情が表れる。
『涙とともに流してしまえよ/きりがないほど打ちのめされるけど/それでも僕らは願ってしまう/明日は笑っていられますように』

「きりないないからええよもう」と投げ捨てていた彼らが、それでもと上を向く。

こんなに早く過ぎた48分を今まで知らなかった。私はNAMiDAを聴き終わった後、泣かなかった。
熱く濡れた目では視界を歪ませてしまう。彼らの新章を見届けるのに、きっと涙は邪魔だ。

女の子は泣かない。
夜に絶望的な気持ちになるのなら、もう今日の自分は見切って寝てしまえ。
明日、彼らにまた恋をしよう。彼らの音楽がある世界を生きよう。
音楽が生活必需品でないこの世界で、音楽に救われていない私は彼らを、KANA-BOONを選択し続けていたいのだ。
『アッパーなビートを聴かせて/まだ終わらせないで/またリピートで朝まで』

またリピートで、朝まで。


この作品は、「音楽文」の2017年11月・月間賞で最優秀賞を受賞した兵庫県・沖村瑠奈さん(16歳)による作品です。


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