今、ここにいる音楽 - 関ジャニ∞が見せた『ありのまま』の勇気

音楽の真髄を見た。そう思った。

渋谷すばる関ジャニ∞から離れ、事務所を退所すると報じられたことはまだ記憶に新しい。
僕個人としては「ファンになった」と自認してから間もない出来事で、とにかく茫然とした、というのが正直なところ。でも、想定しうる限りの質問を言葉でクリアにしつつ、友が遠くへ行ってしまうことの寂しさも隠さなかった4月15日の会見は、スキャンダラスな印象とは程遠い、真摯な雰囲気だった。
渋谷すばるが今年のツアーに参加しないことは、会見の時点ですでに決まっていた。7月になるとテレビでは各局が『最後のパフォーマンス』『7人揃って最後のテレビ出演』とこぞって取り上げ、様々な番組で彼らの歌を聴いた。
緊張の面持ちで歌い、楽器を持つ彼らは真面目で、あまり器用ではなく、そしてとても熱かった。

不器用。がむしゃら。人間臭い。彼らがそんなワードで語られるのを、今までたびたび目にした。
もちろん、アイドルであり大人でもあるから、いろいろあるだろう。同じ時代に生きている30代として思うが、がむしゃらにただ一生懸命やるだけじゃ大抵は通用しない。
関ジャニ∞は、僕が一つだけ単語を選ぶとすれば、『ありのまま』のグループだ。僕が見ていなかった若かりし頃は、いっぱいいっぱいに虚勢や見栄を張っていたのかもしれない。でも同世代として見る現在の彼らは、自分のことを自分以上に見せようとしない、とても正直な人間の集まりに思える。
『最後のテレビ出演』での彼らの歌は、まさにそれだった。
渋谷すばるという音楽的支柱が去ること、そして後から発表された安田章大の手術やけがのこと。関ジャニ∞は会見や公式発表の場以外でも、ラジオや有料ブログなどで、言葉を尽くして現状を語っていた。前向きであろうとしながらもギリギリの心情でいた、ということを、全員がさまざまな形で、飾らない表現で吐露した。
恥ずかしいことだが、アイドルがこんなにも建前抜きの本音を語ることがあるなんて思っていなくて、だから僕は何度も驚いた。

渋谷最後のテレビ出演として生中継された7月8日の『関ジャム 完全燃SHOW』。全員が楽器を持ち、7人組バンドのラストとして演奏した『LIFE ~目の前の向こうへ~』は、こんなエモーションがテレビで放送されていいのかと思うくらい、痛切だった。叫ぶように歌う渋谷。涙して一瞬歌えなくなる錦戸亮。笑顔をつらぬき、歌詞を噛みしめるように声を張る大倉忠義。全員が自分の持っているものすべて、心にあるものすべてをぶつけているのが分かった。
あらゆる言葉や、上手い下手の観点、もうすべてを超越していた。ありのままを見せることをいとわず、心から一曲にぶつかっている、まさにそれは音楽の真髄だった。
ひりひり痛むようなパフォーマンスで、思わずめちゃくちゃに泣いてしまった。ものすごいものを見た。



6人体制となった関ジャニ∞がWANIMA提供のシングル『ここに』をリリースすると知らされたのは、ちょうどその一週間後のことだった。
渋谷の事実上の脱退とされた、ツアー初日の7月15日。彼がいないステージから「見慣れない景色でしょ」と錦戸が言った、その同じ日に歌うという“力業”感にも恐れ入ったが、すぐに公開されたその歌詞に、本当に心震わされた。

7人で最後に歌った曲『LIFE ~目の前の向こうへ~』と、6人での初の新曲『ここに』は、どちらも未来に向かって進んでいく歌だ。詞だけ見ると、入っているキーワードも似ている。でも、主人公(つまり、歌っている人間)の目線が、まったく違っていた。
『LIFE』では≪あの日描いた夢はまだ この手の中にないけど≫≪あの日交わした約束をずっと覚えているから≫、『ここに』では≪憧れた未来に向かって≫≪散り散りになりそうな思い出を掻き集めて≫と、それぞれ過去から未来までを見据え、≪果てしなくて 道は続いてく≫(『LIFE』)、≪もっともっと遥か遠くへ≫(『ここに』)、と終わらない旅路への決意も見せている。けれど、≪明日の自分を準備して≫≪もう一回、もう一回≫と、一度ずつを必死に越え、なんとか進んでいるイメージの『LIFE』に対し、『ここに』では≪終わらない旅を続けよう≫と、継続する道を俯瞰し、自分の意思で選び取っているのだ。

「とにかく今の自分たちのパフォーマンスを見てほしい」という主旨のことを全員が、そして「7人が6人になるというのは、欠けたひとりの分を埋めるということではない」と大倉がいくつかの場所で発言していたのを見聞きしていた。
『ここに』が『ミュージックステーション』でテレビ初披露された、8月最後の日。歌を聴き、歌う本人たちをテレビ越しに見て、僕はしみじみとその言葉の意味を理解した。
ファンになって浅いとはいえ、音楽から好きになった身なので、歌唱シーンは一通り見たつもりなのだけれど、その日の彼らは見たこともない顔で歌っていた。狙いすまして見せたとは思えない、全力の歌い方。ツアーですでに披露している曲なのに、あの7人での最後の演奏と同じくらい、心を込めて、正直な姿で、「今」の自分たちとして歌っていた。

このご時世、『ありのまま』でいる、というのは結構、難しいことだ。
特に大人になるとそれを痛感する。何かを誤魔化したり忖度したりしない、というのはもちろんだが、等身大で普通に楽に生きる、ということが、まず難しい。SNSの普及でか、『人に見られる』ことに固執する人も増えたし、「盛る」という言葉が日常会話で使われるようになったことも象徴的だ。かといって「まあ、こんなもんでいいか」と思い続けていると人はすぐに怠惰になり、成長が止まってしまう。なかなかバランスが取りづらい。
そんな今、関ジャニ∞は、『ありのまま』を見せつつも前進し成長していくところを見せてくれる。
その動向を追いかけ応援してくれる存在がいる、という前提を持っているのがアイドルだ。長いスパンで見守っているファンにとって、成長や変化というのは醍醐味だろう。そういう意味では、実に8年前の『LIFE ~目の前の向こうへ~』と新曲『ここに』の違いは、アイドルの歩む道として「らしい」ものなのかもしれない。
けれどやっぱり、6人で歌う関ジャニ∞はそんな理屈はすべて超越し、ぶっ飛ばしていた。
お互いに聴かせるように向き合い、肩を組み、笑い、カメラをにらみ、客を煽っていた。声の力強さと高揚、歌ににじむ意志の響きに涙が出た。
≪ここにいる!!≫正直でいることを努力してきたからこそ、たった今の、ありのままを見せられる。≪進むんじゃない 進めるんだぜ!!≫主体的に動き、自分の言葉で話そうと努めてきた、彼ら自身の歌だ。
時にがっかりし、怯え、不安を抱えても、自分で選んでまっすぐ進めばいい。強い勇気をくれる歌だった。



関ジャニ∞は「自分たちをバンドだと思っていない」のだと言う。演奏だけでなく、作詞作曲も編曲もする。主体的に音楽に向き合い、けれどミュージシャンで『ない』という認識。そんな存在を好きになったのは初めてで、不思議な感覚だ。けれども、それこそが音楽そのものだ、という感じもする。
アイドルならではの音楽。もしくは、アイドルにはできない音楽。そういうものもあるのかもしれない。でも、その場にいる誰かが、その誰かにしか出せない音や声で奏でるから、歌は生まれる。歌が生まれるところに音楽はあるし、音楽は何でも内包できるのだ。
関ジャニ∞のファンになる前、いやなってからも、心のどこかで『アイドルの音楽』というものをフィルターを通して見ていた。そう気づいて、僕は再び大いに恥じた。

≪また逢えたら歌おう リズム刻んで踊ろう≫
≪また違う日を歌おう いまを刻んで行こう≫
『ここに』はそんなフレーズで終わる。
イヤホンで聴きながら、人生の長い道のりを進んでいくうち、誰かと再会するというイメージが浮かんでくる。楽しい「違う日」を思いめぐらすのが簡単じゃないこともあるが、そういうときはその想像の風景の中に、逢いたい人を置けばいい。

渋谷すばるは、関ジャニ∞が音楽にまっすぐ向き合うための橋を掛けていたのだ。そんなことを思った。グループのために楽器を始めたメンバーもいる。真ん中にいた彼が去って行ったとしても、渋谷が掛けた橋を渡ったから、彼らの道はさらに遥か遠くへ続いていくだろう。
道の先で逢いたい人に会えたなら、そうしたら歌を歌えばいい。踊ればいい。なんてシンプルで、嬉しいことなんだろうか。
そのとき同じ場所にいる相手と、一緒にただ楽しめばいい。
それができるから、音楽って素晴らしいのだ。


この作品は、「音楽文」の2018年10月・月間賞で最優秀賞を受賞した東京都・矢野レゴさん(32歳)による作品です。


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