椎名林檎が作り出した何千人もの「あたし」を - 林檎の楽曲と共に年を取る

椎名林檎は40代になった心境をこう語った。

「憧れていた年齢。何を(歌詞に)書いても生意気だと言われないだろうという喜びがある」

年齢を重ねることに抵抗のある女性は少なくない中で、椎名林檎はそれを真っ向から否定した。





私が、自分よりもちょうど10歳上の椎名林檎を好きになったのは中学生の頃。特に好きだったのは「17」という曲だった。

全編英歌詞で思春期特有の孤独を歌っており、当時の私は必死に電子辞書を引きながら「まるであたしの曲みたいだ」と思った。

『I go home alone
like it watching the nameless people
surfing subwaystraveling somewhere “…nowhere…”』
/椎名林檎「17」


何聴いてるの?と尋ねてきた友人に、コレおすすめだよ、とMDを渡した。
友人は翌日私にこう言った。

「すごい良かった。あたしの曲だと思った」

椎名林檎は罪な人だ。私自身に寄り添ってくれるようで、私と全く同じように「自分の曲だ」と感じる少女がゴマンといる。
椎名林檎の歌うその孤独を、私と林檎の二人だけが共有できる感情だと錯覚してしまっていた、そんな自分を恥じた。




椎名林檎は私たちに何を見せてくれたんだろう。
きっと「あたし」を見せてくれた。「あたしのことを歌ってくれている」と錯覚した何千人ものオーディエンスが、鏡をのぞきこむように彼女の歌う姿に釘づけになる。





椎名林檎は休業を経て東京事変というバンドを組んだ。
私はそのことに強く反発した。実際こういう人は多いと思う。
「椎名林檎は好きだったけど東京事変は最初聴けなかった」という人。

それはなぜかというと、当時の若い私には「完結した椎名林檎」が否定されることが耐えられなかったからだ。
東京事変で林檎が輝けば輝くほど、「やっぱりあの初期のナース服で歌うやつはやらされてたんだね」や「エロい歌詞ばっかで狙ってる感強かったもんね」などの声が聞こえて、いわゆる私が好きだった頃の椎名林檎を否定されているような気がした。

「東京事変になってから、林檎が本当にやりたい音楽がやれてるんじゃない?」と当時の恋人が分かったような口を聞いてきた。「東京事変の方が音楽性が深いし」と続けて言われたのを覚えている。
じゃあ椎名林檎はどこに行った。あれは、あたしだ。あたしを返してよ。
そう思うと悔しくて仕方なかった。



大学に入ってから、同じように林檎が好きだった友人に出会い、さかのぼるように再び東京事変も追い始めた。
あれだけ抵抗したくせに、聴いたらやっぱり好きだった。すんなり受け入れられた。
そして2008年の林檎博、今でも鮮明に思い出せるあの胸の高鳴り。ステージから放たれる光と、ハツコイ娼女のイントロ。

『神秘は識らない 己が奇跡だとは』
/椎名林檎「ハツコイ娼女」


椎名林檎は奇跡だ。手放しちゃいけない。
林檎自身はそれを知らなかったのかもしれない。







20代前半、母になった私は大きな不安を抱えていた。
小さな赤ちゃんを見つめながら「人間をひとり守る」という責任を重く感じていた。とにかく夜泣きが止まず、毎日がひとりぼっちのように思えていた。

ふと手を止めた。忘れていた音楽が流れてきたのだ。
懐かしい歌詞なのに、初めてちゃんと読んだような気持ちになった。


『手を繋いで居て
悲しみで一杯の情景を握り返して
この結び目で世界を護るのさ』
/東京事変「夢のあと」


この「夢のあと」は、林檎が出産後に9.11をきっかけに書いた曲だと言われている。「悲しみで一杯の情景」はあのニュースの光景、「この結び目」は林檎と息子の繋いだ手のことだ。


17歳の孤独を歌っていた林檎が息子と手を繋いでいる。
その2004年に発表された曲を、2011年の私が聴いていた。

また、「あたし」だ。「あたし」を歌ってくれている。思春期なら思春期の「あたし」を、母になれば母になった「あたし」を。私は椎名林檎の音楽とともに年齢を重ねている。

胸が震えた。そして私も、小さく頼りない赤ちゃんの手のひらに触れ、ほんの小さな結び目を作った。

林檎の声に背中をさすられたようで心強かった。聴いている間だけ、ひとりじゃないと思えた。




分かっている。きっとこの曲だって、私じゃないだれかが「あたしの曲だ」と思っているはず。
でも、だからいいのだ。椎名林檎は。







1998年にデビューした椎名林檎は、昨年で20周年を迎えた。
唯一無二のその立場は揺るがない。今こそ彼女にはこう歌ってほしい。


『誰もがわたしを化石にしても 貴方に生かして貰いたい』
/椎名林檎「旬」


女の旬は若いうちだと誰が決めたんだろう。
何歳になっても、あなたは旬だ。誰もあなたを化石にしない。

これからも椎名林檎は、いくら年齢を重ねてもたくさんの「あたし」を創り出す。私たちは林檎の楽曲と共に年を取る。

きっと新たな歌詞を読んでは「あたしの曲だ」と言い、同じように言う誰かに嫉妬する。そして過去に救われた数々のメロディーを口ずさんで生きていく。
そういうものを私は音楽と呼びたい。音楽の力と呼びたい。


この作品は、「音楽文」の2019年10月・月間賞で入賞した広島県・ちゃこさん(31歳)による作品です。


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