積み重なった声の行き先 - 菅田将暉 LIVE TOUR 2019 「LOVE」を見つめて。

2019年9月5日。「菅田将暉 LIVE TOUR 2019 “LOVE”」 東京公演、初日。
満員のフロアの中、開演を待ちながら私はどこか不思議な想いでいた。
菅田将暉のライブに来るのは初めてで、全曲知ってはいるけれど、正直なところ歌えるかと聞かれたら自信はないし、これまでの活動をずっと追いかけ続けてきたわけでもない。倍率20倍だと聞いた今回のツアーには、もしかしたら私よりもふさわしい人が来るべきだったのかもしれないと、ライブグッズを身に纏ったファンに囲まれながら思う。
だけど、このライブに行きたくて仕方なかった。歌声が聴きたくてたまらなかった。今日まで聴き続けてきたアルバムの実像を、私は掴みたかった。

2019年7月10日に発売された菅田将暉のセカンドアルバム『LOVE』。
二ヶ月が過ぎようとする今でも、毎日といっても過言ではないくらいこのアルバムを聴いている。「良い」とか「最高」とか「素晴らしい」とか、称賛の言葉だけではまとまらない何かが私の中に棲みつき、その感情とこの二ヶ月暮らしてきたけれど、それが一体何なのか。疑問と心地良さを抱えながら、11曲47分を繰り返しているのだ。

2017年に歌手デビューする前から、俳優・菅田将暉の活躍は充分に知っていた。単館上映の映画が好きな私は、観る映画に良く出演している彼の存在を、個人性を高める活動をしている俳優の一人だと、勝手ながら認識していた。

スクリーンの中の菅田将暉は、社会の隅でもがき、自分の不器用さに苦悩し、時に狂気の中にいた。異なる役柄を演じながらも、一貫して漂う独特な空気。形容しがたい存在感を魅力的だと感じた。

そのせいか、歌手デビューを知った時、自分の抱く印象とすぐには結び付かなかった。数年の飛躍ぶりを考えると、この選択肢もあるのかとも思うけれど、菅田将暉が纏う、不思議な気配が薄れていくような感覚をどこかに覚える。今までみたいな作品には出なくなるのかなぁと、先走る妄想を止めるかのように、頭の中に浮かんできた映像があった。

それは、いつか観たバラエティー番組で、吉田拓郎の『人生を語らず』を、ギターの弾き語りで一節歌っていた姿だ。息を多く含んだ声と、どこか朴訥で自由な歌い方は、曲と抜群に相性が合い、この人は自分を良く理解しているんだろうなと思った。ギターは確か始めて間もないと話していて、その少しぎこちない所作とは反対に、歌いっぷりの良さが気持ち良く、選曲と歌声に表れた菅田将暉の素顔に、強く惹きつけられた記憶がある。それを思い出した私は、どんな曲でデビューするのか興味が湧いていた。


2017年6月7日。デビュー曲『見たこともない景色』は、王道とも感じるギターロックだった。一度聴くと忘れない耳に残るリフと、サビのキャッチーさ。
<泥臭くていい かっこ悪くていい そこから見える景色 同じ景色を見よう>背中を押す熱く前向きな歌詞。
サッカー日本代表の応援CMソングに使用されたメッセージ性の強いこの曲を、今の菅田将暉が歌う事に意味があるのだと私は解釈した。
疾走感のある早いテンポに、文字数の多い歌詞と高音が続く、歌唱力が問われるであろうデビュー曲を、彼は見事に歌いあげていた。フォークソングにぴったりと重なっていたあの声は、高らかにロックを鳴らしていて、菅田将暉は多才なんだなぁと、謎に寂しくなった。

あまりにも整いすぎた歌手デビューを前に、これは俳優が音楽活動を始める芸能文化の1ページにすぎないのか、何か大きなプロジェクトの一環なのかと、これまで目にしてきた、スクリーン内の菅田将暉との距離を脳内で往復する。きっとすんなりと受け入れる人が大半だろう。何も思わない人もいるかもしれない。これは身勝手な聴き手の懸念なのだと自分を抑えた。
歌手デビューは菅田将暉にとって新たな挑戦であることに間違いなく、決意表明にも似た気概ある歌唱に、感服するような気持ちになったのも事実だった。けれどその日以降、私は菅田将暉の音楽を聴く事はなかった。


それから約一年半後の2018年12月。生放送の音楽番組で、3rdシングル『さよならエレジー』を歌う菅田将暉の姿があった。
これまで発売された数曲を、ふと耳にした事はあったけれど、久しぶりに真っ正面から聴く歌声に、良い声だなぁと思わずつぶやく。この歌声を初めて聴いた、あの時の感覚が蘇る気がした。
『さよならエレジー』の、歌謡曲を感じるアレンジと叙情的な歌詞が、菅田将暉の持つ声の深みと溶け合い切なさを倍増させている。低音にこもる憂い、サビでの高音は、狙った音程を捉えた後さらに遠くまで響いていく。ああ思い出した、この声の距離感。

もう何年も前に聴いた、始めたばかりのギターで奏でたほんのワンコーラスは、二番の途中で歌詞を忘れて中断するというオチまでついた、出逢い方としては拙いものだったかもしれない。それでも、あの時の記憶がずっと頭の片隅にあるのは、この歌声が私の胸の中で着地したからだ。

菅田将暉の歌声は、形を変えてこっちへ向かってくる。
時には言葉を側におくように、時には波のように揺れながら音の隙間を自由に行き来し、時には迷いなく直線的に放たれる。その自在な声の飛距離は、聴き手の感情に比例し、いつの間にか心のあちこちに足跡のように残るのだ。
テレビに映る姿を観ながら、自分が通り過ぎてしまった一年半の音楽活動を考える。左足でリズムをとることも、語尾まで丁寧に歌うことも、嬉しそうにバンドメンバーを見つめる回数が多いことも、何よりも、こんなにも全身全霊で音楽を楽しんでいるなんて知らなかった。

菅田将暉にとって音楽は、無くてはならないものへと存在を変えたのだろう。そして今も変わらず音楽に挑み続けている。歌う彼の瞳は、声が届くもっとその先を見つめているようだった。
歌手デビューを知った一年半前、理想像を押し付けて勝手な枠組みを作った、過去の貧しい価値観がみぞおちの奥でうごめく。その時に抱いた疑念が、俳優活動との両立でさらに磨かれた表現となり、自分に跳ね返ってくる。今からでも遅くないのなら、菅田将暉の音楽を知りたい。テレビ画面を見ながら、この歌声と出会いなおせたことを痛感した。
            

それから7カ月が過ぎた、セカンドアルバム『LOVE』の発売日。店頭でCDを購入するのは、いつだってワクワクする。
真っ黒な背景のジャケットには、手書きで綴られたLOVEの文字と、肩からギターをぶら下げ顔を伏せたまま、両手を前に差し出して輪を作る菅田将暉が写っている。顔を写さないジャケット写真。これが何を意図するのかと考えるとまたワクワクが増す。(私が購入したのは、初回生産限定盤で、その他に通常盤・完全生産限定盤と、三形態それぞれジャケットは異なる)

『LOVE』はタイトル同様、菅田将暉が敬愛する豪華制作陣の参加により、発売前から話題を集めていた。もちろんそこに興味はあったけれど、菅田将暉が何を歌うのか、音楽を通して何を想い、求め、考えているのかを知りたかった。
米津玄師石崎ひゅーい、秋田ひろむ(amazarashi)、柴田隆浩(忘れらんねえよ)のそれぞれが提供、参加した楽曲が続いた後、菅田将暉自身が作詞作曲を手掛けた『ドラス』が始まった。勢いよくギターとドラムが重なるパンクサウンドに胸が高鳴り、歌い出しの歌詞を聴いた一瞬、時が止まる。

〈勘違いしないでくれ
このドラマに最終回なんてものは多分ないんだ〉

 数々のドラマに出演し、最終回を迎えては、また新たな作品を送り出してきた菅田将暉が、曲の冒頭に選んだ言葉。それは俳優として、もの作りを生業とする人間として、膨らみ続けた叫びに聞こえた。

ドラマ、映画、音楽、文芸、美術、挙げていけばキリがないほど、この世界は創作で溢れている。その多数の選択肢から、私たちは好きなものを意識的に選び取っているのだと思う。そうしてこれまで手にした作品は、自分の何に形を変えたのだろうかと考える。時が経つにつれて、忘れてゆくのは自然なことかもしれない。けれど、作品と共にあった時間の中で、一体どれだけそこへ心を傾けたのかと胸に問う。ドラマの最終回、映画のエンドロール、曲のアウトロが終わると、同時に繋がりを絶つことに慣れてしまってはいないか、自分の中の流行で、使い捨てるように扱ったことはないだろうか。

『ドラス』はこうも呼びかける。

〈頬を伝う透明な液体を
すごいねで片付けちゃうのは
なんだか寂しいね 〉

退屈な日々を変える何かを探し、作品の向こうへ期待を寄せる。圧倒的な表現を、立ち竦むほどの感動を芸術に求める。それでも、受け取った感情の行き先をうまく決められずに、言葉足らずのまま置き去りにして、また消費を続ける。それは、観たつもり、聴いたつもりにはなっていないか、今ここで私たちは振り返るべきなのだと思う。

〈あぁ憧れたあのディレクターは
  五臓六腑を抉ってトロフィーを受けた
  唖然とたじろぐ我々を尻目に
  ワインを呑みほし一人で真っ赤に燃えて眠った〉

作り手の葛藤と創作に没入する美しさが描かれた歌詞に、どこか物悲さを覚えた。
私たちは、今観ているドラマが少しずつ出来上がっていく様子も、今聴こえる曲にどれだけの時間が費やされたのかも、作品が誕生する瞬間も知らない。だからこそ、できることがあると思いたい。
先入観を捨て、想像力を超え、目の前のものと向き合ってみる。その時間と力は、やがて捧げられるトロフィーへと変わるのかもしれない。

駆け抜けるようなスピード感が、間奏後にふっと緩まり、静った空間にギターが響く。その音色に合わせて、語り掛けるように聴こえてくる声。

〈もう少しいっしょに夢を見ようよ
目が醒めることを言わないでよ
わかってるから わかってるから
夢を見ようとしているんじゃないか
だからもう少しいっしょに夢を見ようよ〉

フィクションという夢を生きる時間と、現実を生きながら夢を見る時間。二つの世界が共存する、俳優であり歌手である菅田将暉にしか作れなかったこの曲は、溢れる創作と娯楽の中で迷っている私たちへの道しるべのようだ。
現実から離れるためではなく、現実を助けるために夢を見る。
菅田将暉の歌う夢は、きっと盲目的になることではなく、しっかりと眼を開き、現実を見つめるためのもので、この曲もこのアルバムも、菅田将暉が見せてくれる夢だとしたら。

この夢の中で、心を開き、思考し、どこまで踏み込んでいけるのか。 包まれているようで試されているのかもしれないと思ってしまうほど、パンクロックの中で放熱された菅田将暉の叫びと歌声に命を感じていた。

『LOVE』に収録されている11曲は、どれも個性的で似通わない。カントリー調のサウンド、荒々しくもどこか渇いたロック、しっとりとしたバラード。個々として成り立つ世界観を持ちながら、1枚のアルバムとして聴いた時には、バランス良く存在している。
その音像の中で歌われる、君と僕。私とお前。僕とあなた。僕ら。菅田将暉の音楽には、いつも相手の姿がある。その場所で生まれた愛情や葛藤を、自己完結しようとせず伝え続ける音楽は、独りよがりにならない強さを教えてくれる。
むくむくと広がり続けるアルバムへの想いを抱えながら、私はライブの日を待っていた。



初めて見るステージ上の菅田将暉は、どこまでも自然体だった。
手首をくるくると返しながら、細い身体をくねらせてリズムの中で踊り、バンドメンバーを振り返って、子供のように飛び跳ねては楽しさを共有する姿に、役名も、制限された画面やフレームもない、歌手・菅田将暉がここにいることを自覚する。

始まってから一向に冷めることのない熱気と歓声に、これだけの人が彼を待っていたのかと驚いたけれど、自分ももちろんその一人で、俳優を本業とする菅田将暉の音楽が沢山の人に知られるのは、とても意味のあることに思えた。

ライブ中盤、米津玄師が作詞作曲、プロデュースした『まちがいさがし』が始まると、それまで会場を包んでいた興奮は静寂へと変わった。

〈まちがいさがしの間違いの方に
  生まれてきたような気でいたけど
  まちがいさがしの正解の方じゃ
  きっと出会えなかったと思う〉

キーボードの音色が優しく寄り添う歌詞を、一つ一つ噛み締めながら歌い始め、ストリングスが響きわたるサビでは、湧き上がる想いを解放するかのように両手を広げる。連なる高音の音階を丁寧になぞりながら、途中、歌声が高まる感情に覆われるような瞬間があった。それは、菅田将暉自身も初めて知る感情が、この曲を歌うことで芽生えた瞬間を目撃した感覚だった。米津玄師から受け取った『まちがいさがし』を歌うことの意味を、彼は今でもずっと、考え続けているのではないかと想像させた。

楽曲提供を多く受ける菅田将暉にとって、曲の向き合い方とは、歌い慣れていくものではなく更新されていくものなのかもしれない。その姿を見ながら、いつかまたこの曲が聴ける日を夢見た。

ライブは続き、次々と『LOVE』の曲が披露される。アルバムでは終盤に収録されている曲が、ライブでは序盤に披露されたり、もちろんその逆もあった。(え、ここで来るのか!)(まだ心の準備が…)(待ってました!)と一喜一憂する自分が可笑しく、どうやら頭の中では、収録順で記録されていることに気付いた。それぞれの曲の前後関係や、タイム感まで、どこかうっすらと身体に染み付いていて、聴き続けてきた曲のはずが、妙に新鮮に感じていたのは、そのせいだった。
そんな事は久しぶりで、歌詞カードを読み込んだり、クレジットを調べたり、イヤホンの左右で聴こえ方の違いを感じたり、音楽の楽しさを何度も教えてもらっているなぁと、ステージの上を見つめると、そこには誰よりもこの時を楽しもうとする笑顔の菅田将暉がいた。

ライブ本編が終わり、アンコールに応えて一人で登場した菅田将暉は、椅子に座りアルバムの話を始めた。敬愛する音楽家に自らオファーし、出会いの中でこのアルバムができたこと。俳優としての自分しか知らないはずなのに、出来上がった曲には、自分自身が存在していたこと。役として生きてきた時間の中に、自分が息づいていた不思議さを覚えたこと。ゆっくりと、これまでを振り返るように話す姿は、少し安堵しているようにも見えた。菅田将暉だからこそ演じきれる役柄があるように、菅田将暉じゃなきゃ生まれない音楽に出会えていることを実感する。
それから、ある曲に触れて、想いを話した。

「今回のアルバムの中の『りびんぐでっど』っていう曲あるじゃないですか、ドレスコーズの志磨さんが作って下さった曲なんですけど」
志磨遼平(ドレスコーズ)が手掛ける『りびんぐでっど』は、ドラムとベースを軸とした音数の少ないサウンドに、不規則なリズムが絡み合い、その音の構築が癖になる奥深い曲だ。この曲の存在が、アルバムにより一層の膨らみを持たせているようにも思う。

「あの曲って、異なる言葉が並んでるんですよ。例えば…自然な演技、とか、静寂がうるさすぎる、とか。そういう表現方法でつくられてて。面白いですよね、なんか、そういうことも(音楽を通して)知れたりして」
去りゆく恋を描く歌詞には、〈おわりがはじまる〉〈あの頃のような未来を〉〈かしこいぼくは おろかもの〉など、一見、矛盾した言葉が集まっている。初めて聴いた時、不安定な心情を表現するための対比だと思っていたけれど、その後読んだインタビューで、それが“オクシモロン”という言葉の修辞法だと知った。
この曲を歌った前後ではなく、今のタイミングで話したのは、観客それぞれの想像を壊さないためなのか、偶然かは分からないけれど、改めて、菅田将暉は伝えることから逃げない人だと感じた。きっと、純粋に曲を聴きたい人もいるだろうし、それぞれの味わい方があると思う。けれど、知らないことに出会い、知識を得ることで、楽しみが広がり理解が深まることもある。菅田将暉にとって、音楽がそうであるように、わたしたちにも、それを伝えてくれているのだと思った。

ステージの中央に一人座ったままの彼は、ギターを手にとり、バンドメンバーに子供が生まれたことを受けて歌詞を書いたという『ベイビィ』を弾き語り始めた。
その姿に、ギターが良く似合うなぁと今更ながら思う。そういえば、まだ音楽活動を始める前、最初に歌声を聴いた時も、彼の手にはギターがあった。そう考えると、菅田将暉が音楽に導かれ、歌うことは決まっていたのかもしれないなぁとも思えてくるけれど、大切そうに弦を抑え、飾ることなく歌う姿を観ると、分かってくることがある。

〈ベイビィ その大きな手で
 小さな朝を 迎えにいくんだ
 ベイビィ その大きな手で
 ギザギザな 夢 を振りほどいて
 ものさし を 作れ 〉

未来に向けたてのひらで、これから何を掴むのか。迷ったり、手放したりして、やがてそれが自分のものさしになっていく。『ベイビィ』は、可能性に満ち溢れた子供たちだけに贈られたものではなく、ものさしの尺度に悩む大人たちが、立ち止まるきっかけをくれる曲だ。自分のものさしを人に預けず、自ら作り続けてきた菅田将暉の想いが表れている。

音楽を始めた頃は、こんな風に活動が広がっていくことを、彼は想像していただろうか。様々な人や作品が巡り合わせた、ふとした始まりだったのかもしれない。彼を取り巻くあらゆるものの中で、菅田将暉は、その手で歌うことを選んだのだろう。その手でギターを弾き、その手で自分の音楽を探し続け、今ここにいる。
菅田将暉の音楽は、積み重なった意志と、出会いの結晶なのだ。

残り数分のライブを目に焼き付けながら、ずっと考えていた答えに辿り着く。この二カ月の間、私は『LOVE』を通して、自分を育てていたのではないだろうか。
アルバムを通して響く愛や情熱や覚悟は、生きていくための燃料のようなものだ。言葉にするだけなら美しく、眺めているだけでは傷つかない。意志を持つからこそ出会えるものだと、菅田将暉は自分自身の生き方を歌声に響かせている。そのメッセージを繰り返し受け取り、私は自分の中の“ものさし”を、見つめ直し、少しずつ育んできたのだと思う。
これからも、その“ものさし”は、ぶれたり、ねじ曲がったり、折れてしまったりするかもしれない。けれど、それはそれで良いと何だか思える。その時には、この歌声を聴き、またゆっくり自分を見つめてみればいい。


ライブが終わりを告げた後も、フロアには余韻が残っていた。あまりにも満たされた頭の中で浮かんできたのは、これからも、菅田将暉は歌い続けていくだろうという確信と願いだった。
完全燃焼しながらも、まだ何かが秘められているようなライブを観て、この歌声の先を見つめていきたいと、強く思った。どんなペースだとしても良い、菅田将暉の音楽を奏でてほしい。
まだ知らないその音に、どんな風に向き合えるだろうかと、未来を想う。今ここから、また自分を積み重ねていこう。

誰もいなくなったステージが、希望で滲んでいた。


※ライブMCは、記憶を元に書いたので、一語一句が正しいものではないです。
※本文に記載された歌詞は、菅田将暉『見たこともない景色』『LOVE』の歌詞カードより、原文のまま引用しています。


この作品は、「音楽文」の2019年11月・月間賞で最優秀賞を受賞した東京都・永島歩さん(32歳)による作品です。


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