ど真ん中を歩き続けるあなたへ - 星野源、ソロデビュー10周年を祝して

星野源、ソロデビュー10周年。

この言葉に思わず胸が熱くなったのは、私だけではないはずだ。
というか、そんな人が世の中には沢山溢れているのだと思う。
そんな沢山の誰かの「ひとり」として、この記念すべき日を全力で祝わせてほしい。

こんな人、なかなかいないと思うのだ。
細野晴臣さんと同じレーベルから「ばかのうた」を発表して10年、この人がアルバムの1曲目で何を歌ったかご存知だろうか。



>世界は ひとつじゃない

>ああ そのまま 重なりあって

>ぼくらは ひとつになれない

>そのまま どこかにいこう

(星野源/ばらばら)



最初に聴いた時の衝撃ったらもう、言葉にならなかった。
(このあたりのアルバムはYELLOW DANCER発売前に遡って聴いていた)
「世界はひとつ」なんて話か割と世間的スタンダードだった気がするのに、この人は何を言っているんだ?と。
ただ、それと同時に「私が欲しかったのは、これだ」と思った。

私はどうにも「みんなとなかよく」ができない。
どうしても趣味趣向はおかしな方向に偏り、好きな話題の大半は理解されない。
皆で同じことを…と言われても、その方向を向けないのだ。
そこはそれなりに取り繕う術を身につけていたから、まあ何とか「分厚い猫スーツ」を被りながら生きてきた。
けど、大きくなるにつれ、そのスーツの中に籠もることを覚えていった。
そこが一番居心地がいいし、なによりも無理せず自分自身でいられるからだ。
けどそれは世間的に「望ましくない」状態だった。
だからこそ、別に誰かと何かを分かち合おうなんて思わなかった。
分かり合えないと見切られるのが、嫌だったからだ。

そんな心に、とんでもなく「ばらばら」が沁みた。



>いつか役に立つ日が来る

>こぼれ落ちた もの達が

(星野源/変わらないまま)



いつも自分は「こぼれ落ちたもの」だ。
なんの取り柄もない、容姿が秀でている訳でもない。
ただ日々を生きている。
誰にも否定されないように、誰とも関わらないように。
2ndアルバム「エピソード」もまた、ひとりで聴くのにピッタリだった。
楽曲は明るくて優しくて、けど不安な心に寄り添ってくれる。
だって、ここにはこぼれ落ちたものがいるもの。
そうやって、私はどんどん沼に堕ちていった。



>遠く曇った

>どうにもならない夜には

>心の針に思い出の溝を当てよう

(星野源/レコードノイズ)



心のどこかに溜まる、澱のようなもの。
そんなドロドロしたものまで、この音楽は昇華してくれる。
何気ない景色が頭の中に浮かび、そして消えていく。
明るいのに、どうしてこんなに暗さに寄り添えるのだろうか。
MVを見てもとにかく面白くて楽しくて、けど、どこかに不穏さを感じていた。
3rdアルバム「Stranger」は生命力に溢れていて、少し眩しいくらいだったのに、そんな不穏さがどうにも好きで堪らなかった。



>君の手を握るたびに

>わからないまま

>胸の窓開けるたびに

>わからないまま

>わかりあった

(星野源/FriendShip)



ここでようやく、リアルタイムでアルバムを聴くようになった。
4thアルバム「YELLOW DANCER」はとにかく踊れるアルバムと称されたとおり、聴くだけで腰が動く。
このアルバムは一気に表舞台を駆け上がった感じがあったし、この頃には只者ではない風格も見え隠れしていた。
それなのに「わからない」私は、こんな歌詞にふっと目を奪われる。
誰かを分かるなんて、一体どうやったらそうなるのか。
そんな毒づく心に「わからないまま」という言葉が沁みこむ。



>ああ 僕らは いつまでも間違ったまま

>世界を変えて走り出す

>ふざけた愛しみを味わったまま

>やめない意味は いつの日も寂しさだ

(星野源/サピエンス)



華やかで賑やかで穏やかなのに艶もある、とんでもない5thアルバム「POP VIRUS」にも、寂しさは密かに潜んでいる。
歳を重ねて、たくさんの経験を積んで、私にも心置きなく話せる人達ができていた。
それでも突然、無性に感じる深い寂しさは健在だ。
誰かに寄れば寄るほど、寂しくなる。
矛盾しすぎだよなあと思いつつも、これを聴いて「そうか、寂しさは走る意味になり得るのか」とホッとする。



そんな最中、世界は姿を変えてしまった。



会いたくても会えない。
会うことは誰かを傷つけかねない、という不安と恐怖。
目に見えない恐怖はゆっくりと首を締めていく。
漠然とした「死」への恐怖。
そんな中で、突然の無料リリースかつ歌や楽器、ダンスなどを重ねようと手を差し伸べた人がいた。



>生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で

>重なり合えそうだ

(星野源/うちで踊ろう)



息をすることさえ苦しさを感じる世界に、光が差した。
「うちで踊ろう」は瞬く間に拡散し、プロアマ問わずたくさんのムーブメントを起こした。
技術的には重なりあえない人でも、それを見ることで少しだけ心が近くなれた。
そして、ようやく少しだけ落ち着いてきた先日、これがリリースされた。



>他人のようで違う

>2人の折り合いを


>家族のように映る

>2人の折り合いを

(星野源/折り合い)



夫婦であっても、もしかしたら恋人や友人であっても、結局のところ「折り合い」を重ねて生きていくのかも知れない。
この曲の英語タイトルは「Halfway」、道半ばという意味らしい。
この先も続く生活は、いつも折り合いながら生きていくのかも知れない。



ほんの少しだけ、10年を遡った。
ここまで振り返って分かることがある。


星野源は、たくさんのことを認め続けている。

それは楽しさや面白さだけじゃない。

人の弱さや儚さ、孤独や寂しさ、どんな心も全部受け止めてくれるのだ。


10年前に「ばらばら」だと歌った世界は、やっぱりまだ「ばらばら」だ。
けど、それはばらばらのままでも「重なり合う」ことができる。
楽しくても寂しくても、どれも全部連れていけばいい。
そのスタンスはデビュー当時から全く揺らがない。
そう、自身だって歌も演技も執筆も、好きなものは全部抱えて連れてきたのだ。
しかも、全部を抱えたままで、そのど真ん中を進むのだ。

それは想像を絶する苦しさに思える。
どれだけ悩んで、どれだけ苦しんで、全部連れていける回答を導き出しているのだろうか。
普通なら諦めてしまいそうなものを、全部抱えて離さないなんて、本当にどうかしている。
もちろん、最大級の褒め言葉としての「どうかしている」だ。

そんな偉業をこなしつつ、何事もなかったかのように「面白いことをしよう」と笑ってくれる。
その揺らがない強さに、私は励まされ続けている。
私はその「ど真ん中」を見せてもらうことで、何よりも笑えるようになった。
これは私にとっての最大の武器だし、鎧でもある。
こうやって過ごせることに日々感謝しかない。

ありがとう源さん、あなたのおかげで毎日楽しいです。
そして、この先もどうか元気に楽しく、面白いことを続けてください。
全力でお供させていただきますから。



そんなわけで、私は今日もこう叫ぶのだ。



星野源が好きだ、と。


この作品は、「音楽文」の2020年7月・月間賞で入賞した北海道・にたこさん(45歳)による作品です。


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