ポップスターとは何だろう。
星野源との出会いは強烈だった。
2012年に行われた、とある音楽フェス。6組のアーティストが出演するステージの中盤に星野源は現れた。
僕と友人は他のアーティストが目当てで、恥ずかしながら彼については、当時ほとんど何も知らなかった。日常の中で間接的にSAKEROCKの音を聞いていたのは後に知ることになるが、それでもソロデビューしてまだ1年半、僕だけでなく会場の多くの人が星野源とはどんな人なのか、知らないでいたはずである。ステージにふらっと現れた彼は”ばらばら”を奏でた。
それが僕と友人の星野源との出会いであった。
「今日は暗い曲をいっぱいやるよ」と言い、”営業”をやったように、確かに曲は決して明るいものではない。それでも星野源という人間が奏でた音は、手触りの温もりを感じる人間味のあるサウンドだった。MCで「ただ行ってみたいから」と代々木第一体育館のセンターステージへ行き、ただ寝そべって、唄うでもなく歩いて帰ってきた星野源の素朴な人間性に会場は、それまでの空気をすべて塗り替えていた。
フェスが終わった翌日、慌ててCDを買いに走った。特に2ndアルバム「エピソード」はどれだけ聴いただろう。
それから僕と友人はリアルタイムで星野源の音楽を追っていった。作品を重ねるごとに進化していくような姿に、毎回驚かされた。タイミングが合わずライヴが見れなかったのが心残りだったが、それでも作品は欠かさず追っていた。
そんな矢先、星野源はくも膜下出血を患い、その歩みを止めた。完治したかと思われたが、後日再び休養することになる。しかしそんな「地獄」から、星野源はある種本当に「化物」の如く、より大きな存在となって帰ってきた。人生とは、何が起こるのかわからない。そんな当たり前のことに何度も気づかされる。
それからの躍進は、言うまでもないだろう。
シングル「SUN」のヒットから、アルバム「YELLOW DANCER」の頃には、音楽好きだけでなく、より広くお茶の間に星野源という名前が認識されていった。そこからの”恋”というまさに「時代を象徴する」ヒットによって、代々木第一体育館のセンターステージで寝そべっていた男は「国民的ポップスター」となった。
時代と音楽は密接にリンクする。だからこそ僕はなるべくリアルタイムの音楽を大切に聴いていきたいと思っている。なぜなら「時代の空気感」は今を生きる僕らしか感じることはできないからだ。
《僕たちはいつか終わるから
踊るいま》
星野源はまさにそんな歌を唄い、踊った。星野源が過去に影響された音楽を取り込み、自分なりの音楽に解釈して今の時代に鳴らす。過去を今に繋ぎ、時代のチャプターとなって音を未来へ繋げる。ポップスターとは、いつの時代もそんな存在ではなかっただろうか。
満を持してリリースしたアルバム「POP VIRUS」。それを引っ提げ五大ドームツアーが行われた。ツアー毎に会場規模が増えていき、いよいよ、ここまで来たのだ。雨降る東京ドームに僕と友人は居た。
アルバム「POP VIRUS」の楽曲を中心に様々な時代の曲が唄われた。「POP VIRUS」は確かにとんでもない傑作である。それでも、アコースティックな曲はほとんどなく、流行のサウンドを取り入れた楽曲に少し面を食らってしまい、戸惑いもあった。しかし、それはあくまでも僕がアルバムの表面的な部分しか見えていなかったのだと、今回の東京ドーム公演で気づかされた。
たとえば「YELLOW DANCER」の楽曲はライヴでより華やかで楽しい曲に進化した。「POP VIRUS」の楽曲も同様にそう聴こえると思っていた。しかしライヴで聴いたそれは、アルバムで聴いたそれとは印象が全く異なるものであった。もちろん明るさもあるが、そこに相対するような陰が見えたのだ。
暗さがあるからこそ、明るさが生まれる。
インタビューを読み返すと、アルバムは精神的に落ち込んだ時期に書かれ、世間と自分との乖離、疎外感、怒りが込められているという。
闇の深さが光を強くする。闇が深いほど、人はより強い明るさを感じる。「POP VIRUS」というウイルスは、実はそんな蝕み方をする音楽のでないだろうか。
ウイルスとは、毒なのだろうか。ウイルスという言葉は、確かに良い意味で使われることはあまりない。しかし、他者の体内に入り、そこで自己複製を繰り返し、その生物に影響を与える、それは音楽も同じではないか。聴いた人間の身体と頭の中で培養された音楽という種たちは、ひとつとして同じものはないのだから。
《うずくまる事ばかりだけど
少しでも多く
僕らは今を作ろう》
優秀なポップソングというのは、パッと聴いただけでも惹きつけられが、聴く回数を重ねると深いメッセージやアレンジが隠されていて、何度聴いても楽しめる曲だと思っている。
同時に、今のトレンドを掴みながら、それでも時代に流されない普遍性を兼ね備えた曲、それが「POP VIRUS」の楽曲たちなのだ。そしてその普遍性にこそ「ウイルス」が潜んでいるのではないだろうか。
ライヴの中で、東京ドームの後方スタンドの客席で弾き語りで唄われた”ばらばら”はとても印象的であった。
《世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
ぼくらは ひとつになれない
そのまま どこかにいこう》
そこで唄われたテーマは、今の星野源と何ら変わりない。シングル「Family Song」のカップリングであり、「POP VIRUS」にも収録された”肌”の歌詞ではこんなことが唄われるからだ。
《どんな 近づいても
一つにはなれないから
少しだけ せめて》
《きつく 抱きしめても
二つしかなれないから
少しだけ 長く》
世界はひとつじゃない。それぞれの世界を、自らが創り上げていく。
人はいつか死ぬ。
だから一瞬のひとときであっても、せめてそれを持ち寄って唄い、踊り、今を生きる喜びを噛みしめる。それが星野源のLIVEなのだ。だからこそ、どんなに会場が大きくなっても、星野源は星野源のままである。
“ばらばら”で東京の客席の中で一人唄う星野源は、部屋で創っていた時と同じ感覚であったという。
そしてセンターステージでメンバーと”雑談”している時に、リラックスしきった星野源は、東京ドームの真ん中に寝そべっていた。ああ、この人は何も変わってないではないか。
それがアコースティックギター1本で奏でられる曲でも、流行りのサウンドに乗せて唄われる曲も、削ぎ落とした本質は変わらない。「型の違い」だけで印象を決めてしまっていたのは、僕自身であった。
思えば「アルバムでも一番大切な曲」として披露された”アイデア”がすべてを表していたではないか。
星野源そのものを詰め込んだような、キャリアの総括とさえいえるのが”アイデア”である。星野源はその唄ですべてのことに中指を立てたのだ。
またこの人の音楽を、星野源という人を好きになってしまった。そう思わされた夜だった。
“SUN”で引き合いに出されるのはマイケル・ジャクソンである。世界中に愛されて、華々しいステージを魅せてきたはずのマイケルにどこか感じる孤独。
大袈裟かもしれないが、アルバムを制作していた星野源は、同じようなものを感じていたのかもしれない。
しかし”ばらばら”の時、部屋と同じ孤独と共に「5万人の人たちに囲まれて、そこから愛みたいなものを感じれた」とも語った。
星野源が目に焼きつけたであろう5万人に囲まれた景色。それぞれのばらばらな世界を持ち寄って、そのひとつひとつに僕らはいる。確かなものがそこにある。
東京ドームを出たときに、雨は止んでいた。
友人とライヴを振り返りながら歩く気持ちは2012年のあの日と同じ顔であった。
また次の時代に鳴るであろう音楽に期待を膨らませ、確かな今を踊った夜に胸を踊らせながら東京ドームを背に歩き出した。
《いつかあなたに いつかあなたに
出会う未来 Hello Hello》
笑顔でまた出会う未来へ向けて。
この作品は、「音楽文」の2019年4月・入賞を受賞した東京都・サトCさん (31歳)による作品です。
星野源が東京ドームの真ん中で寝そべった日- DOME TOUR 2019『POP VIRUS』によせて
2019.04.13 18:00