『ノストラダムス』
彼は迎える1999年「滅亡」を大予言していた。
それは地球規模のはずが、まさかのピンポイントだった…。
結婚してわずか6年、私はまさに青天の霹靂を味わう。
夫が突然姿を消した。
普通にいつも通り夫は出勤。
その日は夫の誕生日。
当時4歳になったばかりの息子は
「父ちゃんにオメデトするの!」
と似顔絵を描き、私もケーキを焼いてまだかまだかと夫の帰りを待ち侘びていた。
待てど暮らせど車を車庫に入れるエンジン音は聞こえず、ついに日付を越してしまった。
息子も待ちくたびれて、泣きながら眠ってしまった。
朝を待って夫の携帯に電話をする。
何度掛けてもお決まりのアナウンス…。
連絡がつかないまま1週間目、突然夫がフラっと戻って来たかと思うと、何も言わずに下着やスーツ類を大きなカバンに詰め出した。
「なぁ。どこで何してたん?どこ行くつもりなん?」
そう問い詰めた私の胸ぐらを夫は突然掴み、壁に叩きつけ何度も何度も殴った。
何が何だかわからない…。
痛い…。
物音に驚いて息子が目を覚まし、鼻血だらけの私を見て震えて固まった。
思わず息子を抱きしめて泣いた。
「息がつまるんや!」
たったこれだけの言葉を残し、それっきり夫は戻らなくなってしまった。
とにかく生きな…息子を守らな。
取るものとりあえず、息子の手を引き実家に戻ると母は泣き、父が怒り狂っていた。
「〇〇くんが急に来て、娘と孫返したるわって息巻いて出て行った。何があったんや!」
と言われた。
本当に何も分からない…。
後に興信所に調べてもらったら、夫はすでにかなり前から別の暮らしを始める準備を着々としていて、直後に知らない女性と生活を始めていたことが分かった。
ギャンブルで焦げつき数年前から金融機関に多額の借金をしていて返済に困っていたらしく、その女性が夫に貢ぐようにお金を都合していたとのこと。
マンションの賃貸契約日は夫の誕生日だった…。
あっけない。
あの大地震の時に身を呈して守ってくれた人は何処に行ったんや…。
なんやったんや、この月日は…。
その後夫は離婚の協議にも応じず、放置されたまま刻々と日は経っていく。
このままでは息子を干上がらせてしまう。
とりあえず実家に身を寄せ、当時自宅近所でパートの事務仕事を始めていた私は社長に直談判して正社員に切り替えてもらい、遮二無二働いた。
通勤は実家から往復3時間…。
残業のない曜日や休日は夜に飲食系のダブルワークも始めた。
偶然、保育園にも1名だけ空きがあった。
夜は両親とお留守番。
息子にとってもまさに忍耐の日が始まった。
離婚が成立していない場合、月々の保育園代は夫婦の収入で算定されるのでかなり高額だった。
私は自分のお昼ご飯を抜いて節約し、日々働き倒した。
忘れたい…何もかも…
泣いてたまるか!
とにかく自分を奮い立たせて能面のような顔で毎日を過ごしていた。
そんなある日、残業が思いのほか長引いてしまい最寄駅までのバスも無くなり、なんとか終電に間に合うようにと、バス通りを歩き始めていた。
すると後ろからバタバタッ!と、足音が私を追い掛けて来た。
「待って!俺、今から大阪市内へ配送便出すから、ついでに乗って行きや!」
と同僚の同い年の男性が声を掛けてくれた。
「駅まででええよ。あとは電車で帰るし。」
遠慮しながら答える私に
「家、〇〇(実家の住所の地名)やろ?ちょうどそっちの店舗に納入あるねん。乗ってけや。」と、多少ぶっきらぼうに温かい眼差しで繰り返す。
疲れ果てていた…。
「うん。」
トラックの助手席に乗り込んだ。
無言でただ疲れ切った目を前に向け、どれくらいの時間が経ったのだろう…。
「ちょっとコンビニ寄ってコーヒー買ってくるわ。」と言って彼はトラックを止めた。
ぶら下げて来た袋から自分の缶コーヒーを取り出してドリンクホルダーに入れて、袋を私に手渡した。
「ほい!何も食ってないやろ。」
中にはメロンパンと牛乳が入っていた。
「ええよ、大丈夫!帰ったらご飯あるし。」
遠慮する私の言葉を遮るように
「なぁ。CD掛けてもええ?とにかくさ、コレ聴いて欲しいねん。食いながら一緒に聴こう!」
そう言ってCDをカーステレオに入れた。
またトラックは走り出した。
うねるギター音…
ダカダカダカダカ!胸を躍らせるドラム…
安定したベースのリフ…
《新聞を読んで メシをかき込んで 出かけてゆくぜ 今日も爽やかに Oh yeah…》
"ドビッシャー男"
久しぶりのロックだ!
しばらく音楽を聴くことも遠のいてしまっていた私は心がフワッと軽くなって、メロンパンに手を伸ばした。
「エレカシさん!ええやろー。俺の神様やねん。」そう彼は言いながらコーヒーを飲む。
そして…
重厚感のあるリズム隊の
ダダッダダ!から間髪入れずに歌い出すあの歌…
《悲しみの果てに 何があるかなんて 俺は知らない 見たこともない ただ あなたの顔が 浮かんで消えるだろう 涙のあとには 笑いがあるはずさ 誰かが言ってた 本当なんだろう いつもの俺を 笑っちまうんだろう》
ストレートな歌詞。
真っ直ぐで淀みのない声。
"悲しみの果て"
力強くもあり、儚げでもある少しハスキーな宮本さんの声は私の渇ききった心にストーンと何かを訴え掛けてきた。
心にブワッと温かい風が吹いた…。
目が熱い!胸が熱い!
泣いていいの?泣けばいいの?
止まらない…声が漏れる。
気づくと大声を出して子供のように泣いていた。
彼はトラックを路肩に止め、慰めるでもなく呆れるでもなく、ただ黙ってジッと前を見つめていた。
"かけだす男" "孤独な旅人"…
アルバム「ココロに花を」の曲が流れる中、少しずつ落ち着きを取り戻した頃。
「俺な…」彼が静かに話し出した。
「九州から出て来て、こっちの大学に入ってさ。大阪で就活もしたんやけど、氷河期でなかなか仕事決まらんくて…ほんまに苦しい時に"悲しみの果て"がテレビから流れて来てな。カッコ悪いくらい泣いたんよ。
それからここに就職決まって、早朝から夜中まで毎日キツくてさ…
今でもクソ!辞めたる!って思ったらいつもエレカシさんの曲聴くねん。大将(宮本さん)はレーベル解雇された時も自分を信じて曲を書き続けて、もがき苦しんでこの曲を生み出して起死回生したんやて。
この曲聴いてたら、辞める気になったら逆に今の苦しみなんか乗り越えられるかって思える。悔しかったら泣いたらいいねん。
でもその後に笑ったもん勝ちやって…。な!」
不器用な言葉の羅列だったけど、この不器用さに救われた気がした。
変に説き伏せられたり慰められたりするよりも、その時の私にはその温度感がありがたかった。
涙交じりのメロンパンの味も、私の心を温めてくれた。
この日を境に、残業で遅くなると彼の運転するトラックで帰ることが増えた。
私たちの間には、お決まりのようにエレファントカシマシの音楽が流れていた。
いろんなアルバムを日替わりで聴く…。
《啣え煙草 部屋に帰れば 傷跡ひとつ 赤い薔薇》
《僕はひた走る どんな悲しい思い出も 全て後ろにして 君は赤い薔薇 華やぐ季節 この町に 永遠に咲き続ける花》
"赤い薔薇"
無骨無頼な彼にとって、美しくはないけど傷あとがあっても癒せる存在でありたい…。
そんな気持ちが私の中に芽生え始めていた。
そんなある日の帰り道…
「今度の日曜、仕事早めに終わってライブ行こう!フェスティバルホール!」と言われた。
シフト制の仕事で日曜は比較的業務も落ち着いていた。
日曜は息子が待ってるからなぁ…。
迷った。
でも気持ちは抑えられなかった。
親に「日曜、会社の人らと打ち上げがあるから…」と嘘をついてしまった。
そして日曜日、彼と待ち合わせして手を引かれてフェスティバルホールに。
1階の真ん中列の後方。
十分、臨場感の味わえる場所で初めて宮本浩次という人を目撃することに…。
焦げるほど熱く、壊れそうな儚さと襲いかかる狂気…そして底知れない優しさをたたえた眼差しに息が止まりそうになった。
何?この人は…。
神様?それとも悪魔?分からん!ヤバい!
気づけば彼の上着をちぎれんばかりの強さでギュっと握りしめていた。
その手を彼はそっと上着から外して繋いでくれた。
"悲しみの果て"では堪え切れずに大粒の涙が…。
彼はあの時と同じように何も言わず、真っ直ぐ前を見ながら繋いだ手にキュッと力を込めた。
そしてアンコール。
地鳴りのように力強いギターのリフ!
脳の裏側を殴りつけるようなドラム音!
「歌」というよりも苛立ち、怒り、焦燥感、世間に対する憤然たる思い…叩きつけるような「言葉の粒」をすごい熱量でぶつけてくる…。
見えた!これが宮本浩次!
《お前正直な話 率直に言って日本の現状をどう思う?
俺はこれは憂うべき状況とは全然考えないけれども かといって素晴らしいとは絶対思わねえな俺は》
《ただなあ 破壊されんだよ駄目な物は全部》
"ガストロンジャー"
声が出なかった。
ライブ終演。
ホール近くの川沿いのベンチに座って二人で缶コーヒーを飲みながら、私は無言になっていた。
「良かったな!」「カッコいい!」
あまりの衝撃に、そんな簡単な言葉が出なかった。
それが自分に足りないものと向き合う日の始まりになった…。
その後も変わらず、トラックでのひと時が私たちを繋ぐ唯一の時間だった。
ただあのライブの日以来「宮本さんにあって、私にないものって…。」
と自問自答する時間にもなっていた。
彼に対して答えを出せない…。
それは自分がまだまだ弱く、自信がないから。
じゃあ私のプライドって何?
アイデンティティって何?
こんな自分じゃ彼は愚か、大切な子供も守れない!
強くなりたい。
みっともなくのたうち回って、胸を張って誇れる自分になりたい…。
《破壊されちまうんだよ 、ダメなもんは全部》
耳の裏に張り付いて離れないフレーズ。
そして、温かい彼の思いに甘えそうになっていた自分を振り払い、母として1人の人間としてまず立ち上がる覚悟を決めた。
彼の真っ直ぐな思い…自分に芽生え始めていた彼への思い…。
嘘は一点もなかった。
それを封印して「個」として世間の風に立ち向かうことを決意した。
全くもって不器用な奴…
自分でも呆れてしまった。
でも、宮本浩次という人も不器用に丸腰で世間にぶつかりながら、自分の紡ぎ出す音楽に信念を持って歩んでいる。
傷だらけになりながら、倒れても倒れたまんま胸を張って歌い続けている。
ある日の帰りにトラックの助手席から彼に「あんな…私、会社を辞めて転職することにした。」と切り出した。
無言の時間が流れる。
「今の仕事じゃ息子とご飯も食べてあげれんし。実家の近くで再就職することにした。
息子はさ…この2年近く、寂しくても私に一回として寂しいって言わんかったんよ。でも分かるねん。帰って寝顔見たら、ほっぺたに涙の筋がいってるねん。たまに早く帰ったら、私が玄関開ける前に中から開けて「あーちゃん!おかえり!」ってニッコ〜って笑って飛びついて来るねん。
私が今、守るもんはこの笑顔やと思って…。
それをやり遂げることが出来たら…また出会える日が来たら…そしたら…」
あとは言葉にならなかった。
彼も泣いていた。
実家の近くにトラックは着いてしまった。
《嘘つきじゃないさ 時間が過ぎただけさ
涙こぼれて ただそれだけ
僕ら そうさ こうして いつしか大人になってゆくのさ いざゆこう さらば 遠い遠い青春の日々よ
あぁ 俺は 何度も 何度も抱きしめたけど
あぁ もはや 君は 遠い遠い思い出の中》
"さらば青春"
20代最後の歳…。
青春と言うにはお互いが悲しみを知り過ぎてる。
壊してはいけないもの。大切にしなければいけないものを知ってしまった頃。
そんな時代に2人がこうして出会ったことや共に生きることを選べないことに、意味があるはず。
無言のまんまお互いがそう感じながら、少しの時間が流れた。
「頑張ろ!」
彼は潤んだ目でニコっと笑って言ってくれた。
その日から私はエレファントカシマシを封印した。
それから時が経って2017年。
息子は大学4年生になって、人生の岐路に立つ年齢に成長していた。
高校生になってからは、大学受験の塾代や参考書を買うお金もバイトで工面しながら、夜もほとんど眠らずに勉強をして、私の苦労を少しでも軽くしようと国公立大学の理学部数学科にストレートで合格。
4年になって大学院受験と高校数学教員免許取得という二刀流を成し遂げるまでになっていた。
かたや私は長く勤めた会社が経営難に陥り、たくさんの社員がリストラを余儀なくされ、私たち残る社員も給与大幅カットという事態に。
積年の中で育まれた愛社精神を整理し、無念の思いで退職を選んで新たな道を歩み始めていた。
慣れない仕事に疲弊する中、ある日の帰りにCDショップへ…。
そこで両手両足を広げてハンドマイクを持って飛び跳ねているあの人が目に入った。
「来いよ!」
そう言われた気がした。
All Time Best Album「THE FIGHTING MAN」
自然に手が伸びていた。ためらいの気持ちなどなくレジに進んで買っていた。
家に帰り早速パソコンにCDを入れる。
"今宵の月のように"
懐かしい声に無言で耳を傾ける。
そして…
《悲しみの果てに 何があるかなんて 俺は知らない 見たこともない ただ あなたの顔が 浮かんで消えるだろう》
"悲しみの果て"
あの時、大声で泣きじゃくったこと。
少ししょっぱいメロンパンの味。
不器用に真っ直ぐ前を見ていたあの人の面影。
浮かんだ言葉はただ一つ…「ありがとう」だった。
その心の呟きと一緒に耳に飛び込んできた歌…
《明日もがんばろう 愛する人に 捧げよう ああ 君に会えた四月の 四月の風》
"四月の風"
もう会えなくなった彼に強くなった自分を、笑顔で生きてる自分を捧げよう…。
聞こえてる?ありがとう!
目から熱いものが止めどなく溢れ落ちた。
それから、私は可能な限りライブに赴くようになった。
あの時は手を引かれて行ったエレカシのライブ…。
今は1人で、自分と向き合う大切な時間になっている。
そしてまた、私はエレカシに救ってもらう瞬間を迎えることに。
突然のガン宣告…。
予兆らしいものは全くなかった。
疲れやすくなったくらいだった。
会社の健康診断で「要検査」の診断が出て、病院で精密検査を受けて発覚した。
多臓器への転移は事前検査では見つからず、リンパ節転移の可能性は五分五分と言われた。
現実味を帯びる「命の終末」への恐怖。
年を越えて新春ライブに参戦後すぐに手術に臨んだ。
腹腔鏡での臓器切除で、数日間水を飲むことも出来ない日々。
痛みと虚しさと向き合う毎日。
そんな時もエレカシの音楽が側に居てくれることで心が支えられた。
"あなたのやさしさをオレは何に例えよう"
"今を歌え"
"何度でも立ち上がれ"
夜の闇の中で恐怖に苛まれた時も私を温かく叱咤してくれた。
切除した腫瘍の細胞検査の結果、幸い心配されたリンパ節への転移は認められなかった。
ステージⅡの後期…あと少し発覚が遅れていたらリンパ節まで転移していたという段階だった。
人間みんな命の終末に向かって歩いている。
その日はいつか分からない。
その瞬間を迎えるまで、自分らしく力強くありたい。
そう思って前を向ける今…。
またエレファントカシマシに、宮本浩次に救われた。
この日のためにあの時"悲しみの果て"に出会えたんだ。
心の底からそう思った。
術後の経過も良好。
3月17日、主治医の許可ももらえたのでさいたまスーパーアリーナでの30周年ツアーファイナルに母と息子と共に参戦した。
アンコール…
"四月の風"
《何かが起こりそうな気がする 毎日そんな気がしてる ああ うるせい人生さ そう 今日も 何かがきっとはじまってる
何だかじっとしてられない 誰かが何処かで待ってる ああ 短けえ人生の中で 誰かが何処かで待ってる》
そう歌う宮本さんの目から見る見る優しい涙が溢れていた。
私も声を押し殺して泣いていた。
その数日後に息子の大学の卒業式があった。
私も行きたかったが仕事があった。
「もうええよ!大学やで!親はこんでええの!」
そう言ってスーツを着て息子は出掛けて行った。
仕事帰りの電車で、二次会帰りの息子とたまたま一緒になった。
ニコッと笑って紙袋から何かを取り出した。
「はい!学位記!卒業証書な。」
と見せられたそれは、本当に立派なものだった。
「おめでとう…。」
私は胸が詰まっていた。
「俺の…やけど、これはあーちゃんの卒業証書でもあるんやで。ありがとうな。一生懸命働いて俺を大学まで行かせてくれて。頑張って長生きしてや。」
こら!電車の中やで…
と言うことも出来ずに涙が溢れた。
あの時のしょっぱいメロンパンが、私のココロにパッと一輪の花を咲かせてくれた瞬間だった。
この作品は、「音楽文」の2018年8月・月間賞で入賞した大阪府・ゆうままさん(47歳)による作品です。
メロンパンが咲かせた「ココロに花」 - エレファントカシマシが私に与えたもの
2018.08.10 18:00