私にとってJAMとは - THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2017

昨年の大晦日、THE YELLOW MONKEY(以下 イエローモンキー)のJAMがお茶の間に流れた。イエローモンキーが再集結をし、この曲で紅白歌合戦に出場したからだ。再集結後、JAMをテレビで披露するのはこの時が初であった。活動休止からの解散、そして再集結を果たした彼らの一年間の締めくくりとも言えるJAM。全国でどれくらいの人々が特別な思いを持ってテレビを見つめていたのだろう。私もその中の一人である。また、彼らのことやこの曲を知らなかった人々に与えた衝撃も大きなものであったと思う。この音楽文にも、たくさんのJAMに対する思い入れやエピソードが寄せられている。その中の一つとして、私もこの特別な曲について書いてみることにした。

私がJAMを初めて聞いたのは、中学生の頃だった。今から約5年ほど前になる。当時、私は学校に通うことが出来なくなっていた。簡単に言えば、不登校だ。原因は色々あった。勉強しても勉強してもテストの点が上がらず親と衝突し、自分で自分が嫌いになった。教室に居れば、いつも誰かが誰かの噂話をしていて、そんな環境も嫌いだった。教室はとても息苦しい場所だった。そして最大の理由は、部活内でいじめに遭ってしまったことだ。気だけは強いから平気なふりをずっとしていたけれど、平気な訳が無かった。毎日が辛かった。こんな気持ちになってまで、行かなくちゃいけない学校って何だろう。私には学校なんていらない。そう思った。そう思って、学校へ行くのを止めた。これで安心して毎日過ごせる。そう思っていたのに、学校へ行かないことによって今度は親との関係が上手くいかなくなってしまい、家に居ることも辛くなった。親には本当に申し訳なかったと今は思う。親は突然学校へ行かなくなった娘を心配してくれていただけなのに、それすら私は受け取りたくなかったのだ。そうして、私自身も、私の感情も、どこにも行き場がなくなってしまった。そんな鬱屈とした毎日を過ごしていた頃、たまたま見ていたテレビで放送されていた、昔の曲の映像をまとめた音楽番組の中で私はJAMに出会った。90年代ヒットソング。きっとそんな特集だったと思う。

〈Good Night 数え切れぬ Good Night 罪を越えて〉
〈Good Night 僕らは強くGood Night 美しく〉
前の曲の映像が切り替わり、サビから曲が流れ始めた。知らない曲だったし、ここまでは何てことなく聞き流していた。この次のフレーズから、私はテレビに釘付けになることになる。

〈あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も 皆昔子供だってね〉
学校にも行かず、何者でもない。友達とも大人とも上手くやっていくことが出来ない。今から思えば、「子供じゃないけど絶対に大人ではない」自分に、このフレーズが突き刺さったのだと思う。衝撃だった。そして、衝撃はこの後も続いてやって来た。

〈外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに〉
〈「乗客に日本人はいませんでした」 「いませんでした」 「いませんでした」〉

〈僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう〉
〈こんな夜は逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて〉

僕は何を思えばいいんだろう。僕は何て言えばいいんだろう。それは、当時の私がいつも考えていることだった。「どうして学校に行けないの?」色んな人が色んな感情で私に尋ねてくれた。でも、分からなかった。思うことはたくさんあるはずなのに、そのどれもが大人に説明するための役には立たなかった。

〈君に逢いたくて 君に逢いたくて〉
〈また明日を待ってる〉

…今、すごい歌を聴いた。もう一度今の曲を聴きたい。サビだけじゃなく、全部を聴いてみたい。次の曲に切り替わった画面を前にして、そんな思いが沸々と湧いてきた。

その後、私は図書館のCDの棚の中からイエローモンキーのベストアルバムを見つけて借りた。目的はもちろんあのJAM。自分の部屋で、何度も何度も繰り返し聴いた。涙がボロボロ溢れてくることもあれば、歌詞に自分を重ねて強くなれることもあった。こうして、JAMは私の人生に必要な曲になった。

初めは2番の歌詞に衝撃を受けていたこのJAMだったが、何度も聴いていくうちに変化があった。
〈素敵な物がほしいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う〉
この詞が、私に寄り添ってくれるようになったのだ。

学校へ行かなくなった頃、JAMに出会う少し前から、私は様々な音楽を聴き漁るようになっていた。父親の70・80年代の洋楽のCDから、J-POP、歌謡曲まで。ロックというジャンルも初めて知った。それは、勉強から遠ざかってしまって、友達と過ごすこともなくなってしまったから始めたことだった。しかし、いつしか音楽を聴くことは私の生活の中に欠かせないことになっていた。憧れのスターもたくさん出来た。暇を潰すために聴き始めた音楽が、学校から切り離されて宙ぶらりんになっていた心の隙間を埋める役割を果たしてくれていたのだと思う。こうして音楽を好きになれたことは、私にとって幸せなことだった。何度もそう思ったし、今でも本気でそう思っている。
けれど、私は何をしているんだろうと虚しくなる瞬間もたくさんあった。自分から学校なんていらないと思ったくせに、やっぱり学校で楽しく過ごす同級生が羨ましかった。どうして普通のことが自分には出来ないんだろう。音楽は手にしたけれど、とても大きなものを失った気がした。音楽より手にしていたかったものがある気がして、心の拠り所である音楽を聴くことさえ嫌になりそうな時もあった。そんな時は、いつもこの詞が助けてくれていた。そう、
〈素敵な物がほしいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う〉。
今私がしていること。今私に必要なこと。それはそうか、これなんだ。そう思えた。この部分を聴く度に、君は間違ってないよと言われている気がした。学校も本当は欲しい。友達はもっともっと欲しい。でも、それは私がどんなに欲してもお金では買えないし、私の気持ち一つでどうにか出来るものではなくなっていた。けれど、私は私が好きな歌たちのことを信じていていい。学校を手離して手に入れた音楽を嫌いにならなくていいんだよと、何度も何度もこのJAMに教えてもらった。

そんな中学生活にもちゃんと卒業はやって来てくれて、私は高校生になった。不登校でもなんでもない、ごく普通の高校生活を送った。でも、JAMが私の“好きな歌”であることは、ずっと変わらなかった。

イエローモンキーが再集結をし、紅白歌合戦でJAMを歌ったあの日。今までCDでしか聴いたことの無かったJAMを演奏する4人を初めて目の当たりにした。ありがとう。あの時から今まで、ずっとありがとう。心の中で、何度も何度もお礼を言った。最初にテレビでJAMを聴いたあの時に流れていた映像よりも、4人はずっと渋く格好良くなっていた。私は、軽音楽部でバンドを組み、ベースを弾く大学生になっていた。

先日行われたイエローモンキーの東京ドーム公演「SUPER BIG EGG 2017」の初日に参加することが出来た。東京在住ではない私だが、もう大学生なのだ。東京ドームでの公演が発表された時から、バイト代を貯めて必ず東京まで観に行くと決めていた。あの時味方でいてくれたロックスター。彼らはCDの中にしかいなかったはずなのに、あの日は同じ空間の中にいた。その中でJAMを聴いた。頑張ったねと言われているような、とても偉そうだけど私からも「頑張ったね」とロックスターへ伝えたくなるような、そんなJAMだった。たくさんの好きな歌を歌いながら数え切れぬ夜を越えて、私は今日ここまでやって来たのだ。偉い発明家にも、凶悪な犯罪者にもなれそうにない私だけど、今日の今日まで音楽が大好きでいる。それは、紛れも無くJAMのおかげだ。

私にとってJAMとは、「今までもこれからも、たとえ世界が終わろうとも歌い続けていく“好きな歌”」なのである。


この作品は、「音楽文」の2018年1月・月間賞で入賞した福岡県・マナミさん(19歳)による作品です。


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