僕と私と怪獣~米津玄師の音楽から~

現在の邦楽シーンはひと言で表せないほど混沌としている。Suchmosのような横揺れ系のずっと寝転んで聴いていたいような心地よいバンドもいれば、夜の本気ダンスのような今日のダンスロックを海外規模にまで押し上げたバンドもいる。他にもこれだけではない様々な個性が入り乱れている。その中で飛ぶ鳥を落とす勢いで現れた者がいる。彼の名前は米津玄師。一度聞くと忘れられない名前だが、その音楽は名前以上に忘れられない。初めて彼の音楽を聴いた時、私が抱いていた巷で売り上げランキングの結果のみで良いと評価されている音楽に対する違和感に、拍車をかけるように、私の耳へ入ってきた。同時に、米津玄師という人間自体は掴むことのできない空気のような存在で私の心に住み始めた。それほど、彼の音楽というのは私にはとてつもなく異端に聞こえ、彼の人間性、世界観についても知りたいと思った。今から、彼の世界観について、彼の “インディーズ”1stアルバム、『diorama』と、 “メジャー”1stアルバム、『Bremen』を比較して、紐解いていきたい。
元々、米津玄師はハチという名義で活動しており、ボーカロイドアーティストとして何枚かCDを出していた。これが、彼の音楽業界への入り口だ。それから、米津玄師に生まれ変わって1番初めに出したアルバムが『diorama』。『diorama』1曲目の “街”はこんな歌いだしから始まる。

《街の真ん中で 息を吸った 魚が泣いた/
全て変わってしまった 砂が落ちた 生活が落ちた》

ここだけで、私は彼のハチから米津玄師へ生まれ変わる覚悟が見えた。『diorama』というアルバムは彼の米津玄師としての誕生を表しているのだ。どんどん前のめりになっていくようなドラムとギター。米津玄師というアーティストが生まれた瞬間、その時から元々、彼の頭の中にあった音楽世界も生まれ変わり、米津玄師という音楽人生の限りある時間の砂時計がひっくり返された。その砂がとぎれることなく次々と落ちていくような音で生まれたての彼の音楽世界がぶつけられたトリッキーなギターのリフが至る所に散りばめられている。誰にでも時に頭が爆発しそうなくらいいろんな考えが巡り巡ってぐちゃぐちゃになってしまう時がある。そんな時に『diorama』というのは自分を映し出してくれているようなアルバムに思える。

《なんとなく不安でさ 日に日に毎日は老いていく/
騒がしい箱庭 ここは誰かのジオラマなのだ》

“Black Sheep”の中の歌詞である。これは私を含めた10代の誰もが一度は思うことだ。自分はこれでいいのだろうかと。自分の居場所というのが自分の理想にぴったり合致していることはほとんどない。しかし、その居場所が誰かの理想のジオラマになっている。のちに繰り返される《楽しいことが待っているさ》というフレーズには、誰もが生きる活力を見出すことが出来るだろう。彼自身、米津玄師として何をしようにも初めてのことが多かったこのときの現状に不安を抱いていたのかもしれない。
それからライブ活動も行い、彼を取り巻く環境が一気に変わった3年後、『Bremen』というアルバムがリリースされた。ジャケットからして、『diorama』と明確な違いがある。『diorama』は白地に黒の線で細かく描かれた魚と街であったが、今作は深緑の地にぼんやりとハートが浮かんでおり、優しいイメージを持っている。CDをセットして再生ボタンを押すと、『diorama』のようなカタカタというような小刻みなビートは聞こえない。凛としたストリングスの音に、力強い、生命力を感じるドラム。以前の彼の作品にはない、遠くを見据えているような展開が待っていたのだ。そう、このアルバムは米津の音楽世界の誕生ではなく、その世界の行く末を表しているのだ。そして、 “Flowerwall” の 「色とりどりの花」 “あたしはゆうれい”の 「林檎」「メロン」など、鮮やかな色の描写が多い。これまでは米津自身を含む私たちの心の殺伐とした内の部分を映し出してきたが、今回は心の豊かな内の部分を映し出している。米津自身、自閉的な性格から内にこもりがちであったであろうが、作曲以外の活動を行ううちに、心がいろんな色に塗られて行ったのではないかと思う。私たちも自分を見つめていると苦しくなり、心が真っ黒になったような気分になることがある。しかし、このアルバムを聞くと、頭に広々とした色とりどりの世界が浮かんでくるのだ。その上このアルバムは愛を高らかに歌っている。『diorama』では、 「嫌い」「 "さようなら」 「険悪だ」など、相手を突き放すような言葉がしばしば使われていた。しかし、『Bremen』では

《ねえ笑おう 手を取ってほら》 (“ウィルオウィスプ”)
《同じものを持って/遠く繋がってる》 (“ホープランド”)

などという、相手を包み込むような表現がよく使われている。今日の悲壮的なニュースをよく聞く社会の中に、このような共生していこうという他人に対する愛をストレートに伝える歌が溢れたら心だけでなく社会も色とりどりなピースフルなものになるはずだ。

このように、米津玄師は3年間で変わった部分も多かった。故に自分の音楽のストライクゾーンから外れてしまったということをリスナーから耳にしたことがある。何であっても注目が集まれば集まるほど批判の数も多くなっていく。米津自身も心が折れそうになることもあるだろう。そんな逆境に対して、『Bremen』の1曲目“アンビリーバーズ”では以下のように歌っている。

《僕らアンビリーバーズ 何度でも這い上がっていく》

彼の音楽への情熱というのは決して変わっていないからこそ、この歌詞を書けるのだろう。そして、この歌詞の主語は「僕」ではなく「僕ら」だ。そう、米津玄師の世界、さらに言うならこれからの音楽シーンというのはアーティストだけではなく、私たちリスナーも作っていくということが明示されている。さて、ここで耳を澄ましてみよう。彼のイラストに頻繁に出てくる奇妙で美しい、あの怪獣の足音が近づいてくるだろう。そこには彼のアイデンティティの全てが詰め込まれている。その怪獣を育てるのは、まぎれもなくこの文章を読んでいるあなたなのだ。


この作品は、第2回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で入賞した松本日花里さん(16歳)による作品です。


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