「死ぬまで一生愛されてると思ってるよ」 - クリープハイプ10周年、私30周年に寄せて

クリープハイプ

30歳になった私が、クリープハイプの音楽に出会ってから7年ほどになる。社会人2年目、23歳。友人に勧められて聴いた『蜂蜜と風呂場』が出逢いだった。個性的な声が紡ぐ詞に射抜かれ、当時リリースされていたCDを手に入れ貪るように聴いた。
初めてライブで聴くことができたのは2016年。『たぶんちょうど、そんな感じ』の仙台公演だった。
クリープハイプに出会ってからの7年、クリープハイプが7つ歳をとり、現メンバーになって10周年を迎えた。私も平等に7つ歳をとり、30歳を迎えた。
今回、10周年ツアーである『僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上はやっぱりクリープハイプで出来てた』の公演に行くことが出来た。ライブの仔細をレポートに書き起すには、私なんかよりももっともっと優れた文を書く人がいるはずだ。私しか書けない文章は何か。
クリープハイプと共に歳をとり、私の人生にはいつもクリープハイプの音楽があった。私は私のことしか書けないけれど、クリープハイプを愛する人全員に、クリープハイプと共に生きてきたその生き様があるはずだ。
「クリープハイプに支えられて生きてきました。」こう思っている人は多いだろうし、間違いなく私もこう言える。言葉にすると、えらく簡単に聞こえる。〝支えられる〟ということは、その前に〝倒れそうになる〟ということだ。まだ30年しか生きていない私でも、〝倒れそう〟になったことも、踏ん張れずに〝倒れた〟こともたくさんあった。その度に、運命を呪い、未来を憂い、周囲を疑い、自分を責めた。
24歳。遠距離恋愛していた彼と別れ、すっきりした反面もう一生会わないであろう彼を思うと後悔する夜。『山羊、数える』を聴いて、〝小さな思い出も大きな段ボールも、そのうち片付くよ〟という言葉を信じて眠りについた。
25歳。大体は上手くいかなかった日々を、同じく大体上手くいかなかったのかな、と思わされた〝きっと2人なら全部上手くいくってさ〟という『オレンジ』の歌詞に投影した。
26歳。理不尽なことの積み重ね。上からの重圧と下からの期待。ここを見限った同期は仕事を辞めた。毎日帰宅する車の中、ふと流れた〝嘘をつけば嫌われる 本音を言えば笑われる〟〝何と無く残ってみたものの やっぱりもう居場所はない〟と歌う『二十九、三十』が辛くて、でも〝前に進め 前に進め 不規則な生活リズムで 〟と、まるで私の連日の夜更かしまで見透かされているような歌詞に身を委ねられた。(ちなみに私は定時出社定時上がり、仕事の中身こそ辛かったが、全く不規則な生活リズムで過ごす必要はないのだが。)
『世界観』というアルバムが発売され、店頭で受け取ってから家まで待てずに車で聴き、無駄に1時間流した山道で『バンド』が流れた時。クリープハイプが、このバンドが存在してくれた、出逢ってくれた嬉しさと感謝とで涙が止まらなかったことも覚えている。
27歳。久しぶりに彼氏ができ、一緒にクリープハイプを聴いた。同じく音楽好きの彼はクリープハイプが好きと言ってくれて、それはとても嬉しい反面、「クリープハイプの本当の良さはこの人にはわからないんだろうな」と腹の底では最後まで思っていた。何様なのか、なんだか当時の彼にもクリープハイプにも申し訳ない気持ちである。もちろん今も当時の彼はクリープハイプの本当の良さはわかってないだろうなと思っている。本当の良さって何だよという話だが。
28歳。前述の彼との大失恋。そりゃあもう落ち込み、寝食すらままならず実家に逃げ込み酒を飲んで、這うように仕事に行っていた。いつもどんなときもそばにいたクリープハイプの音楽が、この時初めて聴けなくなった。歌詞の全てが私のことを歌っているようで、胸が締め付けられて涙が止まらなくなって辛かった。聴けなくなったが、頭の中では何度も何度も聴いたクリープハイプがなぜか流れて止まなかった。その度また泣いた。不思議と彼とクリープハイプを聴いた思い出は蘇らず、「あいつにはやっぱりクリープハイプの良さはわからなかったはずだ」とその時また思った。申し訳ないとさっき書いたが、そんなことはやっぱり思っていないかもしれない。
29歳。そんな中で毎日を必死に生きた。死にたかったが、生きた。クリープハイプのアルバムの特装版をまだ幸せだった時期に予約していた。「これだけは、受け取ろう。」毎回待ち遠しかったクリープハイプの新譜。今回は半ば義務のように待った。受け取り、癖のようにフィルムをとりCDをセットする。再生ボタンを押した時、胸がドクンと高ぶるのがわかった。毎日闇の中にいた。期待と少しの不安、嬉しさでドキドキする感覚を久しぶりに味わい、また涙が止まらなかった。ここ最近の負の感情に付随する涙ではなく、「生きてクリープの新譜が聴けてよかった」と安心した涙だった。
30歳。クリープハイプは10周年。迷わず応募したチケットが当選し、友達とはるばる車で3時間。泣きながら泣きながら、クリープハイプを噛み締めた。どの曲にも余すことなく私の思い出や感情や記憶が刻み込まれていた。それをクリープハイプの生の音楽がすべて呼び起こし、吐き出し、また飲み込んでゆく。ああ、クリープハイプを愛した私は、クリープハイプにもまた、愛されていた。
私が、『僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上はやっぱりクリープハイプで出来てた』とは言えないと思う。でも、『僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上はクリープハイプがそばにいた』と、絶対に言える。

10年後の目標は、とりあえずみんなそこそこ元気でクリープハイプの20周年ライブにいくことだ。また10年分が溢れて泣くことになるだろう。生きなければいけないな、と思う。その時には、10周年ライブでお腹にいた小さな命も小学生になっている。初めて一緒に参加した10周年のライブ、20周年の時には一緒に参加してくれるだろうか。
クリープハイプの20歳、私の40歳。今は想像もつかなくて、本当にたどり着けるのか不安な旅路でもある。

今回の記念すべきライブ。そして私も三十路に突入。本当にいろんなことがあった。クリープハイプも私も。必死で生きて、時に死んだように生きて、それでもなんとかここまでやってきた。これからもきっとそう。ここからの10年、またいろんなことがあるだろう。これまで以上に死にたくなることもきっとある。でも、『もう大丈夫だから』と歌ってくれるクリープハイプがいる限り、私は『大丈夫』だ。

クリープハイプはこれまでの私の人生を語るには欠かせない。そしてこれからも、僕の喜びの8割以上、僕の悲しみの8割以上、僕の苦しみの8割以上、すべてまたクリープハイプと共に生きてゆく。だからクリープハイプにはどうか、いつもライブで歌ってくれるように『死ぬまで一生愛されてると思ってるよ』と思い続けて、存在して、休みながらでもなんでも、歌い続けてほしい。

改めて。クリープハイプ現メンバー10周年おめでとうございます。どうかお身体にはお気をつけて、一緒にその時まで歳をとってゆきたいです。
泣きたくなるほど嬉しい日々が待ってると信じて、これからまた生きてゆく10年の8割以上をクリープハイプと共に。またいろいろなことがある。笑うことも泣くことも、全てを終わらせたいほど悩むこともあるだろう、クリープハイプも私も。でも、これだけは。
今日も、明日も、10年後も、泣いても、笑っても、例え死にたくなったとしても。

「死ぬまで一生愛されてると思ってるよ」。


この作品は、「音楽文」の2020年12月・月間賞で最優秀賞を受賞した秋田県・ふじいさおりさん(30歳)による作品です。


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