MPLS:かつて私が訪れたミネアポリスという街 - ミネアポリスは暴動の街ではなくて、プリンスが生まれて、育って、音楽を創造して、最期を迎えたところです

「よりによってミネアポリスから」と言う言葉が頭をよぎった。発行日が1985年4月21日となっているCBS・ソニー出版の『プリンス(著:ジョン・ブリーム)』に記載されている、プリンスのテレビ初出演(注:実際は2つ目)の初っ端に司会者:ディック・クラークがプリンスにかけた言葉で、彼をムカッとさせたという一言だ。

 にわかには信じられなかった。ミネアポリスのブラックの46歳男性ジョージ・フロイド氏がホワイトの警官に首を膝で8分46秒に渡って押さえつけられ窒息死したという。何てことだ。私の知っているミネアポリス(以下MPLS)は、そんな街ではなかったはずだった。実際に行った事は2回しかないが、俗に言う「物騒なアメリカの街」なんていう印象は皆無で、寧ろ温厚で笑顔が多い住人を称した「ミネソタ・ナイス」という呼び方があると知って「なるほど」と思っていたくらいだった。特に1991年に生まれて初めての海外として、社会人になる直前に単身で訪れた時はプリンス関連のイベントやコンサートが開催されていなかった時期ということもあり(世界中とか全米からファンが集まるタイミングではなくて)、現地の普通の人々と接する機会も多く尚更そう思った。

 空港で「観光に来ました。プリンスが好きなんです。」と告げた入国審査官の人は「プリンスが好きなのか?よく来たね!」と笑顔で迎えてくれたし、歩き巡ったCDやレコード屋さん(カセットテープもいっぱいあった)の人も親切(あるいは最低でも東洋人を小馬鹿にする様な人は皆無)だったし、滞在中に通ったグラム・スラム・MPLS(プリンスがオープンしたナイトクラブ)ではショップ店員さんもとても良くしてくれたし、DJもやたら親切でブース横でプレイをガン見してたら声をかけてくれて「へぇ~、日本からわざわざ来たんだ。じゃぁ、もし待っていられるなら、営業時間が終わったら二階(一般客は立ち入り禁止エリア)も見てみるかい?」とわざわざ案内してくれたし、せっかくMPLSまで来たんだから自分の一部をこの地に残していこうと(←馬鹿?)多少ビビりながらも現地の床屋に入って伸ばしていた(というより入社前だったので散髪を放置していた)髪の毛をごっそりカットして髭も剃って貰ったら、理容師の男性は「おっ、なかなかいいんじゃないか?」とかおだててくれるし店内に居た女性もにっこり「プリティよ」とか言ってくれるし、良い想い出ばかりだった。

 そんなMPLS:愛するプリンスの聖地である彼の地でこんなことが起こってしまうだなんて。極めて狭い体験・視野からは、あそこで起きるならアメリカのどこで起こっても不思議じゃないとすら思った。プリンスが生前最後のオリジナル・アルバムとして発表した『ヒット・アンド・ラン フェーズ・ツー(HITnRUN Phase Two)』のオープニングを飾るのは、2015年4月のボルティモアで6人の警察(ホワイト3人・ブラック3人)に拘束された後に死亡したブラックの25歳男性フレディ・グレイ氏を直接の動機として作られたであろう“ボルティモア(BALTIMORE)”だった。

>「平和というのは、単に“戦争が起きていない”という以上に意味があること」
>「そこに正義がないのなら、平和ではない」【抜粋歌詞の当方の意訳】

 1968年4月4日にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(以下、キング牧師)がテネシー州のメンフィスで暗殺された翌日、ジェームス・ブラウンは暴動の危険も指摘される中、「ボストン・ガーデンのライヴ会場に、あるいはそのライヴの生放送でテレビの前に人々を集めて秩序を維持し、暴動を起こさないためにも」コンサートを敢行し、アメリカ国内の多くの都市で起きた暴動をボストンでは防いだという話はその筋では有名だ。2015年にプリンスが素早く行動を起こし、既に暴動が起きてしまったボルティモアで、負の連鎖を断ち切るべく5月10日にコンサートを行った理由の1つには、規範とすべきジェームス・ブラウンの姿もあったことだろう。

 今回のMPLSの悲劇後の5月29日にプリンスの遺産管理財団であるプリンス・エステートは、5年前の5月10日に開催したボルティモアでのコンサート『RALLY 4 PEACE(平和のための集会)』に先駆けて2015年5月2日深夜にMPLSのプリンスのスタジオ:ペイズリー・パークで開かれた少人数の『DANCE RALLY 4 PEACE(平和のためのダンス集会)』でのプリンス&サードアイガール(PRINCE & 3RDEYEGIRL)の演奏から “ドリーマー(DREAMER)”をYouTubeで公開した。

 5年前の当時にもSoundcloud等で公式に公開された40分(編集版)のライヴ音源から1曲のみの再公開だったが、17分に渡る演奏だ(現時点ではまだ公開されている)。私はこの演奏を聴き直して、今更ながら唸ってしまった。プリンスの挨拶と悼みの言葉、そして故人の名前にかけてお願いした「グレイ」色のものを身に着けて来てくれた来場者への感謝を述べて観客の歓声後に一旦シーンとした中、静寂を破るギターから演奏が始まる。

>「キング牧師がバルコニーの血の海に横たわるまで、自分が違っている(different)だなんて知る由もなかった」【抜粋歌詞の当方の意訳:差別への言及】

 キング牧師の有名な「私には夢がある(I Have a Dream)」と希望を語るスピーチを敢えて逆のニュアンスで引用していると思われる、悲惨な過去の出来事や厳しい現状について描写した上で激しく次のような歌詞を歌うプリンス。

>「それをただの夢(事実ではないこと/たわごと)だと言うのなら、僕の事も夢想家(ドリーマー)と呼びたいんだろ」【ライヴでの抜粋歌詞の当方の意訳】

 本来アルバム(『ロータスフラワー(LOTUSFLOW3R)』)では5分半ほどだった演奏が3倍以上に長くなったのは、中盤に多くのギターやキーボードのインプロヴィゼーションによる演奏が挿入されているせいだ。激しいギター・ソロもあれば、時に奇怪で、時に美しく、時にフルート(尺八?)のようなキーボードの音色が響く中で、特に私の耳を刺激したのは、まるでヘリコプターのプロペラ音を模したかのような音だった。キーボードが響く中で鳴っているので、恐らくサードアイガールのドナ・グランティス(Donna Grantis)が弾いているのであろう。プリンスのサンプラーの音だったらすいません(でも嬉しい)。それに、私はプリンスがキーボードを弾きながら同時にギターを弾くのを観たこともあるので、余計音だけだとわからないのだけど。

 アルバム・ヴァージョンの歌詞の後半には、こんな緊迫した場面が登場する。
>「君はこれまでに、車のハンドルをきつく握り締めたことはあるかい?」
>「警察のサイレンが、どうか君の横を通り抜けて行きますように、と祈りながら」
>「ヘリコプターが頭上を旋回し、恐れが深くなっていく中で」【抜粋歌詞の当方の意訳】

 やるせない気持ちが増してしまうのは、プリンスがこのライヴでは上の2つ目の歌詞を下の様に変えていて、当時の地元の警官を、あるいは自分たちの強さを信頼していたところだ。

>「『チャンハッセン』で会おう、僕らは夜間の警官も恐れてはいない。」【ライヴでの抜粋歌詞の当方の意訳】

 まぁ、確かにチャンハッセンは今回の事件が起きてしまったパウダーホンよりはかなり西に位置するが、更にプリンスはこう続けている。

>「でも、僕はずっとチャンハッセンに住んでいたわけじゃないんだ」
>「僕は、僕は、以前はプリマス(通り)、ラッセル(通り)やペン(通り)辺りに住んでいたんだ」
【ライヴでの語りの当方の意訳】

 プリマス?(Plymouth)私は思った。プリンスが1992年に発表したアルバム『ラヴ・シンボル』(後に彼の名前となったシンボル・マークが正式タイトル)には、最後に“サクリファイス・オブ・ヴィクター(THE SACRIFICE OF VICTOR)”という曲が入っている。そしてアルバム・ブックレットの同曲にはこんな歌詞が出て来る。

>「キング牧師が殺された——-《陰謀》——-そしてストリートを
>奴らは燃やし始めた——-《プリマス》」
【アルバム日本盤の歌詞カードより:《 》内はCDブックレットの英語歌詞と同様に実際は鏡文字で印刷されているし、歌われてはいない】

 辞書を引いてもピンとくる答えが出てこず、当時は何を指すか良くわからなかったのだが、今はインターネットで楽々検索ができる時代。調べてみると、1967年の夏に、MPLSのプリマス通りで暴動が起きたことがあるという(丁度私が生まれるちょっと前で、前年にも最初の暴動があったとのこと)。プリンスが9歳になったばかりの頃だ。ユダヤ人たちが所有する店に、若いブラックの人たちが火をつけたりしたとのことだ。キング牧師の暗殺が1968年だから、厳密に言うと前後関係はちょっとおかしいし、プリンスが実際に暴動の炎を目にしたかは知る由は無いが、プリンスもリアルタイムでそういう中を生きてきた人なのだ。そして、彼が最初のバンド、ザ・レヴォリューションのメンバーにユダヤ人のドクター・フィンクを入れたのは、必然だったのだろう。

 同曲にはこの様な歌詞も登場する。
>「1967年 公立高校のバスに僕は」
>「何の疑問も持たない連中と乗っていた」
>「奴らは政治的道具として使われたのさ」
【アルバム日本盤の歌詞カードより】

 これはプリンスの原体験としてときおり目にする、「差別撤廃に向けたバス通学(Desegregation Busing)」のことを指している。この曲では続く歌詞も含め皮肉っぽい書き方もしているが、プリンス・エステートのウェブサイトにある「Map」のページでは、彼が「差別撤廃に向けたバス通学」に則り2つの小学校で学んでいて、これらの経験がMPLSの人種的な不均衡に目を開かせることになったとし、「ここに生まれてとてもラッキーだったね。何故なら人種問題における抑圧と平等という両面を見たから」というプリンスが1997年のミネソタ・マンスリー紙に語った言葉を引用している。

 前述の“ドリーマー”と“サクリファイス・オブ・ヴィクター”は、ギターが轟くバッキバキなロックと野太いベースがビンビンに響くバリバリのファンクというある意味とても対照的な曲なのだが、歌い出しのメロディーが良く似ている。何なら互いの歌詞を入れ違いにしてもしばらく歌えるくらいだ。偶然なのか意図的なのか分からないから、プリンスに尋ねることができたら良いのだけど、彼はもう居ない。そして、そんな問いはプリンスには心底どうでも良いことのような気もする。でも、もし彼が「良く気が付いたね」とか言ってくれたら、私はその言葉を胸に生き続けるのだろう。

 時を戻そう。前述のMPLSのプリマス通りの暴動については情報も少なく、ユダヤ系ホワイトとブラックという更に別のレイヤーがかかっているであろう暴動を単純化して説明する能力が私にはない。辛うじて構図としては、スパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)などが入り易いのかもしれないとは思う。映画では、イタリア系ホワイトとブラックという設定だが、ジョージ・フロイド氏の死去後に初めて観た娘(テーマ曲とも言えるパブリック・エネミー(PUBLIC ENEMY)の“ファイト・ザ・パワー(FIGHT THE POWER)”やそのミュージック・ビデオには馴染みがある)は正に今でも何の違和感なく通じるストーリーに「この映画、何年の映画なの?」と、驚いていた。私も別の意味でショックだったのは、映画のメイキング映像でスパイク・リーがこう言っていたことだ。

>「おれ達が今やっていることを20年代にやっていた人がいる」
>「パイオニアがいるんだ」
>「これから その意思を継いで進んでいけばいいのさ」
【映画DVD収録のメイキング映像の字幕から】
 
 1920年から数えたら、今は100年後だ。道は長い。“サクリファイス・オブ・ヴィクター”の歌詞は、こんな歌詞で終わっている。

>「僕の足は疲れるかもしれないけど、僕は歩き続ける」
>「この道を歩き続け 目的地に着いた時」
>「その時僕はわかるんだ」
>「その時僕の名前はヴィクター(勝者)になるんだ」
>「アーメン」
【アルバム日本盤の歌詞カードより】

 今年の5月に我が家に久々に海外から届いたレコード(しばらく海外通販で中古レコードやCDを買うのを控えていたし今後もできるだけそうしようと思っている)があって、全部で4枚なのだけど全てプリンスに関連する曲かアーティストのものだった。そしてその半分の2枚のレコードは社会問題・人種問題に関わる曲と言っても過言ではない。別にMPLSの悲劇が起きた後に「今こそこれを買わなきゃ」と注文したわけではなくて、その前に注文したものだ。プリンスの曲の半分はそういう関係のメッセージなのだ、なんて暴論が言いたいわけではないけど、彼にとっては決して珍しいトピックではないくらいは言いたい。因みにそのブツは、プリンスのレコード・レーベル:ペイズリー・パークから発表されたベテラン・アーティスト2組による2枚のプロモーション用12インチ・シングルで、1枚はメイヴィス・ステイプルズ(Mavis Staples)の “ザ・ヴォイス(The Voice)”、そしてもう1枚はファンク大明神ジョージ・クリントン(George Clinton)の“ペイント・ザ・ホワイト・ハウス・ブラック(Paint The White House Black)”だ。両方とも(たぶん)初めて聴くヴァージョンが収録されていた。タイトルからも察して欲しいし、ヴァージョン云々ではなく、機会があったら聴いて歌詞も読んでみて欲しい。今は色々と手段がある。我が家でストリーミング契約しているApple Musicでもメイヴィス・ステイプルズのアルバム“ザ・ヴォイス(The Voice)”は聴くことができるし、英語歌詞ならワンクリックで表示される。何故か似たような時期(1993年)に同じレコード会社から発売されたアルバムなのに、ジョージ・クリントンの“ヘイ・マン…スメル・マイ・フィンガー(Hey Man…Smell My Finger)”の方は聴けなかった(G.クリントンも契約が色々と複雑な人)が、Paint The White House Blackで動画検索すれば、アイス・キューブとドクター・ドレー(from N.W.A aka Niggaz Wit Attitudes:主張するニガー—映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』の大ヒットも記憶に新しい)、チャックDとフレイヴァー・フレイヴ(from前述のパブリック・エネミー)らそうそうたるメンバーも入れ替わり登場するミュージック・ビデオを観ることが出来る。

 先の映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』の中で、私が自分に一番近いと思ったのは、ピザ屋の店長(イタリア系ホワイトの)の息子の弟の方だった。理由の詳細は、映画のネタバレにもなるので割愛する。
 スパイク・リー監督は人種問題をテーマに据えた2018年の映画『ブラック・クランズマン』で、プリンスが1983年に黒人霊歌をピアノ弾き語りでカバーした“メアリー・ドント・ユー・ウィープ(Mary Don’t You Weep)”(fromアルバム『ピアノ&ア・マイクロフォン 1983』)をエンドロールで流している。プリンスはこの曲を日本でも歌っている。厳密に言えばシンボル・マークさんの時期になるが、1996年1月17日の武道館公演。ジェームス・ブラウンの“セックス・マシーン(GET UP I FEEL LIKE BEING LIKE A SEX MACHINE)”のファンキーな演奏に続けて、この曲もバンド演奏でやっていたのだ。
 私が初めて聴いたケンドリック・ラマーのアルバム『グッド・キッド、マッド・シティー(good kid, m.A.A.d city)』で彼がラップしていたことは、アメリカを牛耳っている奴等が有利になるように作り上げられた社会システム/構造の中で、常に抑圧された側であるのに本来の自分である『よゐこ』で居ることの困難さ、『悪いことが当たり前になっている街』での仲間たちからの同調圧力や犯罪と隣り合わせのストーリーだった。
 N.W.Aの『ストレイト・アウタ・コンプトン』では、逆の立場での同調圧力が印象に残った。メンバー達が警官からいちゃもんを付けられ、警官達に道路にうつ伏せにさせられる時、メンバー達に厳しい態度に出るのはブラックの警官だ。その警官は立場上そうせざるを得ない人なのだろうが、警官としての立場とブラックであることのアイデンティティの間で葛藤が無いはずはない。裏切者ともレッテルを貼られるだろう。
 そして、そういった同調圧力だとか、あるいは「●●だからこそ、〇〇の世界で一人前として認められるには、〇〇以上に〇〇であらなければならない」何ていうのは、私たちの日常に転がっていることだ。後者については、黒人/白人、女性/男性、貧困層(の出身)/富裕層、何て言葉はすぐ出て来るし、ありきたりな言葉だが「●●の敵は●●」なんて言葉があること自体がそういうことだろう。
 MPLSで先々月に起きた悲劇では、ジョージ・フロイド氏を殺害したホワイトの警官以外に3人の警官が告訴されているが、そのうちの1人がイエローだったことも私にはショックだった。自戒の念を込めて「われわれアジア系米国人は反黒人感情を長引かせることに加担し、白人至上主義から利益を得ている」と発言したアジア系米国人の権利擁護団体の人も居た。
 ボルティモアでフレディ・グレイ氏の死に関係したとして起訴された警官6人中、3人が無罪となり3人は起訴が取り下げられたと言う。州検察官のマリリン・モスビー氏はブラックの女性で、その行動力から強い期待と支持を受けていた人だそうで、プリンスが開催したボルティモアでの“RALLY 4 PEACE”コンサートにも招待されていたようだ。彼女にとっても無念の起訴取り下げ時の模様は『検事はグレイさんの死は殺人だとの考えに変わりはないとしつつ、警官たちの罪を問うには刑事裁判制度の「真の、本質的な改革」が必要だとも語った。「本件を100回審理しても、同じ結果になるだろう」と検事は述べた。』【CNNの日本語ウェブサイト2016.07.08】とのことだった。根は深い。

 私には、人種差別におけるブラックの人たちの本当の意味での怒りや哀しみや祈りをわかることはできないだろう。だからこそ、ニュース掲示板やSNSに短絡的に「いや、『Black Lives Matter』とか言うけど『All Lives Matter』(全ての命が大切)でしょ」と「正しいことを言ってやった」風に書き込んだり(←いや、現在の社会構造が本来当然であるべき「全ての命が大切」であることが全く前提になっていないから敢えてそう言っているんでしょ。…ビリー・アイリッシュがぶち切れるわけだ【洋楽ブログ:中村明美の「ニューヨーク通信」2020.06.01】)、「黒人の命“も”大切だ」とか「黒人の命“は”大切だ」とか「黒人の命“こそ”大切だ」と言った色々な訳の言葉尻を捉えて『Black Lives Matter』という問題の入り口・上っ面だけでやりすごしておけば良いことだなんて到底思えない。

 私の『プリンス:心のベスト10』にランクするであろう大好きな1曲に、アルバム『カオス・アンド・ディスオーダー(chaos and disorder)』収録のご機嫌なサウンドの五穀豊穣ロック“(ザ・)セイム・ディセンバー(The Same December)”があるが、そこにはこんな歌詞がある。

>「昔こういうボールがあった」
>「真ん中にまっすぐ線が入っていて」
>「片側は黒でもう片方は白」
>「どちらもほとんど理解していなかった」
>「互いに今がどんな時なのか教えようとして」
>「一生を費やすのだということを」
>「相手の言うことに」
>「全然関心を持っていなかったからさ」
【1996年アルバム日本盤の歌詞カードより】

>「昔々 このボールの真ん中に1本の線が入っていた」
>「片側が黒でもう片方が白」
>「お互いなにもわかっちゃなくて」
>「自分の事情を知らせようと一生を無駄にした」
>「その間ずっと言われたことは聞いていなかった」
【2019年再発アルバム日本盤の歌詞カードより】

 今年のプリンスの誕生日である6月7日、プリンス・エステートのツイッターは一つのメモをツイートした。そこには彼の文字でこう書かれていた。

> この広い世界の中で
> ブラック、ホワイト、レッド、イエロー、男の子、あるいは女の子
>(の間の)『不寛容(INTOLERANCE)』よりも醜いものは存在しない
> 『不寛容(INTOLERANCE)』


 プリンス、貴方が恋しいよ。


この作品は、「音楽文」の2020年8月・月間賞で入賞した神奈川県・isakanaさん(52歳)による作品です。


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