1月
僕は失意のどん底にいた。
広げた参考書を見る気力は微塵も無い。今日は朝から机に向かい、イヤホンで耳を塞いで午前中をやり過ごした。数週間後に控えた大学受験へのモチベーションは綺麗に消えていて、頭の中は空っぽだった。机上に並べられた赤本を眺めていると、心が折れた瞬間のことを鮮明に思い出す。数ヶ月前、周囲の人との熱量の差に気付いたとき、努力の差は埋められないほど広がっていることを知った。僕は虚勢を張ることでしかそこにいられないような気がして、赤本を持ち歩き始めた。とても手の届かないような大学の名前を見せつけて、誰かに認められたかった。「弱い自分を知られたくない。」その一心だった。そんな自分に嫌気がさしたとき、誇張することもやめた。逃げることからも逃げた。今は置物となったそれを開く勇気さえも残っていない。ただ意味もなく背表紙を見つめながら、『Nude』を聴いていた。
Don't get any big ideas
They're not gonna happen
「大きな希望を持つな、
どうせ叶わない。」
2月
僕は夜道にいた。
意味もなく外を歩くには寒すぎる季節だったが、今は優しい言葉以上に冷たく感じるものはない。試験の結果を見たときにかけられた言葉は「残念だったね」ではなく、「よく頑張ったね」だった。頑張ることすら出来なかった僕は、とっさに「ありがとう」と答えて家を飛び出した。どのくらい時間が経ったかはよくわからない。どこに行けばいいのかも、どこに帰ればいいのかも、わからなかった。静かな暗闇は新生活への暗い想像と相まって、僕の足取りをどんどん重くした。今にも立ち止まりそうなペースでトボトボと歩きながら、すがるように『Everything in its Right Place』を聴いた。
Everything
Everything
Everything
In its right place
In its right place
In its right place
Right place
「すべてのものは、
居るべき場所に、
あるべき場所に、
相応しい場所に。」
3月
僕は卒業式にいた。
夢、希望、未来について話している大人を、さも聞き入っているかのような顔で見つめていると気が狂いそうになる。今日だけでも何回と繰り返された言葉からは重みも価値も感じなかった。どこかで聞いたことのあるセリフで話を締めた大人に、予定通りに礼を揃える。リハーサルと変わらない、二回目の卒業式だ。「○組、起立」という担任の号令が体育館に響いた。後は拍手の中を堂々とした表情で歩けば高校生活が終わる。どこか遠くの方から聞こえていたすすり泣く声が乾いた拍手でかき消されたとき、僕の頭には『2+2=5』が流れていた。
January has April showers,
And two and two always makes a five
「1月には4月の雨が降って、
2+2はいつだって5だ。」
4月
僕は大学の講義室にいた。
昼休みは食堂が混み合うので、空いている講義室で昼食をとるようにしている。100席以上あるはずの空間には毎日何人かの“一人”がいて、それぞれが顔を見合わせることはない。食堂にいる人たちは僕らのことを知らないし、僕らは食堂にいる人たちを遠くから見ることしかできない。入学式を欠席し、サークル勧誘のチラシを全て捨ててしまった僕は、“じゃないほう”の人間だった。一人でいることにはもう慣れてしまったが、一人でいない人たちを見ることはまだ少しだけ辛かった。菓子パンの袋を開けてイヤホンを耳にさす。迷うことなく選んだ曲は『No surprises』だった。
No alarms and no surprises
No alarms and no surprises
No alarms and no surprises
Silent, silent
「驚きも、悲しみもなく。
驚きも、悲しみもなく。
驚きも、悲しみもなく。
ただ、静かに、ゆっくりと。」
5月
僕は駅のホームにいた。
「今日も誰とも話さなかった」と気づいた時には、黄色い線を越えようとしていた。どこにあるかも知らなかった大学に2時間以上かけて通うことも、通うはずだった大学にいる友人の近況を聞くことも、家に帰ると「楽しんでいる自分」を演じなければいけないことも、全部疲れてしまった。注意を喚起するアナウンスを無視してあと少しのところまで歩くと、警音器が鳴った。『The Gloaming』の一節のように。
They should be ringing
They should be ringing
This is the gloaming
「ベルが鳴る。
ベルが鳴る。
黄昏時に。」
6月
僕は閉め切った部屋にいた。
外に出られない理由を雨のせいにして、大学には行かなくなった。一度折れた心はもうずっと治らない気がする。薄い掛け布団を剥いだり被ったりしながら、梅雨が明けたときの言い訳を考えていた。半年前と同じ、無意味な現実逃避だった。あのときから何も成長していないという自覚は重い腰を一段と重くする。最初こそ心配してくれていた親も、「雨だから」と伝えてからは呆れて何も言わなくなっていた。無理をして誤魔化す必要もなくなったはずなのに、ずっと言い訳を探していた。何かのせいにしたかった。やっぱり何も成長していない。僕はカーテンの隙間から漏れる光に目を背けて、『Let Down』を聴いた。
Let down and hanging around
Crushed like a bug in the ground
Let down and hanging around
「倒されて、這いつくばって。
虫のように地面に潰されて。
また倒されて、這いつくばって。」
7月
僕はマンションの屋上にいた。
一年に一度だけ、普段は誰も入ろうとしない屋上が特等席になる。生温くなった夜風に顔を撫でられると、この日を迎えた実感が湧く。家の中からでも十分に見渡せるから毎年のようにわざわざ足を運ぶのは僕一人だったが、どうしても気持ち悪い夜風を全身で浴びながらでないと気が済まなかった。一年ぶりのいつもの場所に座る。しばらくの間ぼうっとしていると、遠くの空が明るくなって爆音が押し寄せた。毎年見ているはずなのに、いざ目の当たりにすると相変わらず「デカいな」と思った。酷い感想だった。何十回と見ても、僕はその先を感じられなかった。彼らだったらこの光景に何を思うのだろう。僕は勝手に『Street Spirit』の歌詞を想像しながら花火を見つめていた。
All these things into position
All these things we'll one day swallow whole
And fade out again and fade out
「何もかも全部、あるべき場所にあって。
何もかも全部、いつか一緒になって。
そしてまた、消えていく。消えていく。」
8月
僕はSUMMER SONICにいた。
予定時刻から20分以上遅れて始まった彼らのステージは、アンコールの3曲目が終わったところだった。僕は下手側の後方に立ち、一瞬で過ぎていった時間に言葉を失っていた。彼らがパフォーマンスを始めて何万人もの観衆が一斉に歓声をあげたときに、イヤホン越しで聴いていた音楽が実在していることと、自分以外にも彼らの音を聴きに来た人がいることを確認した。そんな当たり前の光景にも驚いた。今まで彼らは僕の中にしかいなかったから、まさに夢を見ているようだった。ライブ会場に来たのは初めて経験で、あと何曲聴けるのか見当もつかなかったが、異常な静寂からもうすぐクライマックスを迎えることを悟った。そんな会場の緊張感はドラムスティックが4回叩かれたときに崩れた。ゆったりとしたギターリフ、それを支えるベース、ドラムの心地良いテンポ。何百回と繰り返し聴いたイントロには割れんばかりの歓声が乗っていた。照明は想像通りの色、目が痛くなるほどの青だ。鳥肌が立つより先に僕は泣きながら『Creep』を叫んだ。
But I'm a creep, I'm a weirdo.
What the hell am I doing here?
I don't belong here.
「でも、俺はクズだし、どうしようもない変人。
こんな所で何をするつもりだ。
ここは、俺の居場所じゃないのに。」
音楽に救われた。
前向きになれた。
人生が変わった。
僕はこう言う人たちのことが、
心底羨ましかった。
僕は僕なりにRadioheadを聴いたのに、
彼らは一度も僕を救わなかった。
それどころか、けっこうな勢いで突き放した。
大きな希望はいつまでも捨てられずに、
身の丈に合わない場所を夢見た。
2+2は何回考えたって4で、
何の刺激もない日々なんて望んでいなかった。
ベルの音は聞かないくせに、
一度だって立ち上がろうともしなかった。
花火を見ても陳腐な感想しか抱けなかったのに、
それでもやっぱり
きっとこれからも
しつこく聴き続けて
突き放されるたびに、
こう呟くと思う。
「でも、俺クズだからさ。」
この作品は、「音楽文」の2017年5月・月間賞で入賞した西村ヨウさん(19歳)による作品です。
クズとRadiohead - 彼らは僕を救わなかった
2017.05.10 18:00