おもちゃの車が繋いだもの

 2016年10月11日、私はクラスメイトのAちゃんと武道館に向かっていた。初めての武道館、初めてのワンマンライブ、そして初めてで最後のGalileo Galilei。すでに開演時間まで10分をきっていて、九段下駅の階段を駆け上がりながら私の心臓は痛いくらいに激しく動悸を打っていた。原因はよくわからない。緊張か、興奮か、昨日からの熱のせいか、はたまたAちゃんの飼い猫のアレルギーが出たのか。Aちゃんは何度も振り返って私を気遣ってくれた。

 私がガリレオのことを知ったのは結構前だ。YouTubeでおすすめに上がってきた動画のタイトルに惹かれて聴いた曲が"管制塔"だった。彼らの出身地である稚内の凍てついた風景とともに流れる、透き通った歌声に切ない気持ちでいっぱいになった。

《望んだ未来が来るのかって不安でいつでも僕ら少し震えてた》《僕らが飛ばした希望の紙飛行機の事をいつまでも君と話していられたらいいのに》《管制塔 二人が夢見た未来が/見えるでしょう 綺麗でしょう 僕には見えるよ》《管制塔 どんな未来でも/受け容れるよ 変わらない 僕らのままで》

 10代の私たちの焦りや不安、自分が変わっていくことへの自覚とは裏腹にずっとこのままでいたいと思うこの気持ちを、こんなに素直な言葉で表現してくれる曲が今まであっただろうか。この曲が作られたのは彼らが10代の時だという。私と同じくらいの年齢で、こんなに心を揺さぶる音楽を奏でることができる人たちがいることが、信じられなかった。いや、逆に10代の彼らだったからこそこんなに共感を呼ぶ歌詞が書けたのかもしれない。何度も動画を再生した。
 その後他の曲も聴いたけれど、なんとなく"管制塔"ほどの感動が感じられなくて、それっきり私はガリレオのことを特に気にとめなくなった。

 私とAちゃんはバンドを組んでいる。中高一貫校に通っているので、中3で軽音部に入ってもう3年間活動していることになる。初め、5人のクラスメイトが集まった。ギター2人にベース、ドラムはAちゃんで、ボーカルが私だ。初舞台は夏休みに他校で行われたイベント。先輩が参加させていただいたということで、私たちの代で先方をガッカリさせるわけにはいかないと、みんな必死で練習した。かなり真面目なバンドだったと思う。メンバー間の対立があったりして学祭には5人で出ることはできなかったけれど、次の年の2月には自主企画で開催したライブが成功した。楽しかったし、充実感も達成感もあった。
 ところが高校生になった時にメンバーが3人になった。ギター2人が抜けたのだ。仕方なく私は慣れないながらギターやキーボードを弾きながら歌うことにした。手探りでの活動が続いた。学祭への出演も辞退して、他校の子にライブハウスでの企画に誘われても断って、ひたすら練習に励む日々。と言っても今まで中心になって練習計画を立ててバンドを引っ張っていたメンバーが抜けてしまったので、ただ同じ曲を繰り返し演奏することしかできない。明確な目標がないから当然やる気が起きずになあなあになっていく。気づけば煮詰まってしまいお菓子を食べながらダラダラだべっている。なんのためにバンドやってんだろ、と反省しつつも、具体的に何をどう改善したらいいのかすらわからないまま、ズルズルと時間を無駄にしていった。
 夏休み最後の日に3人で未確認フェスティバルを見に行った。10代のアーティストが自分たちの楽曲で勝負する、いわば音楽甲子園だ。ガリレオは、この未確認フェスティバルの前身である閃光ライオットの初代グランプリ。会場には同世代の人が溢れていて、多分この人たちも大半がバンド組んだりしてるんだろなーと思うと、なんだか不思議な感じがした。本戦であるその日は、デモ音源審査とネット投票とライブパフォーマンスを通過した何組かのグループが順番にステージに上がって演奏する。中には私たちと同じ3ピースのガールズバンドもいて、親近感を覚えながらプログラムを覗き込み、3人してはしゃいでいた。
 やがてパフォーマンスが始まると、私たちは一気に彼らの演奏に引き込まれた。もちろん演奏のレベルが高かったのは言うまでもないが、何より、ステージ上の10代のアーティストたちはとてつもなくカッコよかった。溢れ出る生命力や情熱を糧にして自分たちの音楽で観客を惹きつける姿はキラキラと眩しくて、ひたすらカッコいい。
 何が同年代だ。この人たちのいる世界は私たちとは全然違う。そう感じるのと同時に一方では、私もあそこに立ってみたいという欲求が頭を擡げてくることにも気づいた。あんなふうにステージに立ってたくさんの人の前で歌ったらどんな感じがするんだろう。きっとすごく気持ちいいだろなぁ。
 帰り道、何度も「来年は私らも挑戦してみない?」と聞いてみようと思ったけれど、その度に「今のレベルで?」と自問する自分の声がそれを妨げた。それにもし仮に2人が賛成してくれたとしても、自分の作ったものが果たして相手に受け入れてもらえるのかと考えると、自信がなかったし不安だったのだ。
 結局それからも私たちのすることは変わらず、とうとうベースの子まで抜けると言い出した。それが一昨年の秋の話。
「他にやりたいことができたから練習には出れないけど、誘ってくれたらできる限り弾くから」
 申し訳なさそうにこう言われたら「わかった」と返すより他にない。実際その時の私たちの状態なら、いっそ解散したほうが良いようにさえ思えた。頭の中で一瞬、「逃げ遅れた」という声がして、そんな風に感じた自分にいや気がさした。どうなっちゃうんだろう、と虚しい気持ちでいたところにAちゃんに「どうする?」と尋ねられた私は反射的に、「絶対続ける」と答えていた。意地になっていただけなのかもしれない。でもこのまま終わるなんてかっこ悪くてとてもじゃないができなかった。
 とはいっても2人でできることといったらせいぜいカホンとアコギで弾き語りくらいしか思いつかず、一応学祭には出ることにしたけれど、私は依然として「自分たちの曲が作りたい」という願望をAちゃんに打ち明けることもできないでいた。
 それにはもう一つ理由がある。2人体制になって少しするとお互いのこともだんだんわかってきたわけなのだが、どうやらAちゃんにはあまり人前に立ちたいというような願望というか野心みたいなものがないようなのだ。大したレベルでもない私が言うのもなんだが、Aちゃんのドラムのセンスはかなり高くて、それは周りも認めている。だから私からしたらずっとお遊びのセッションしかしないのは本当に勿体無いとしか言いようがなかったし、せっかく曲がりなりにもバンドを続けてきたんだから、もっと色々挑戦しないとバンドやってる意味がないとも思っていた。
 のだけれどこれまでずっと一緒に活動してきた割には私たちはあまり積極的に関わってはこなかったので、そんなぶっちゃけた本音をぶつけられるほど打ち解けていない。お互いどことなく気を遣ってしまって練習していてもなんとなく一歩踏み込めずにいたのだ。
 それでもとりあえずの目標である学祭に向けて練習を重ねていたある日、珍しくAちゃんの方から私に頼み事をしてきた。
 「10月にGalileo Galileiの解散ラストライブがあるんだけど、付き合ってくれない?」
 ガリレオが活動を終了するらしいということは知っていた。久しぶりに再生したガリレオの動画のコメント欄に書き込まれた、解散を惜しむコメントもいくつか目にした。フェスなどのイベントに一緒に行く時の言い出しっぺはたいてい私だったので、ちょっと新鮮だった。夏前からAちゃんがガリレオにハマっていることも知っていたし、何よりいつも付き合ってもらってばかりだから、もちろんOKした。それにAちゃんが私を誘うことなんて、何度も言うが初めてだったので、なんとなく私に心を開いてくれたようで嬉しかったのだ。
 OKしたは良いものの、私が知っているガリレオの曲は"管制塔"くらいだったので、予習のためにAちゃんにガリレオの3rdアルバム『ALARMS』を借りた。個人的な前置きがかなり長くなってしまったが、こうしてやっと私は本当の意味でGalileo Galileiと出会った。

 というわけで、実は私のガリレオのファンとしてのキャリア(?)は一年にもならない。そういう意味では数年来のファンからしたら、私のようにファンになってからの日が浅いヤツがベラベラとガリレオについて語るのは不愉快かもしれないが、そこは大目に見てもらって存分に語らせていただきたいと思う。結果から言えば私はガリレオにどハマりした。
 『ALARMS』というアルバムはかなりの曲者だった。1回目に聴いた時はサラサラとしてあまり印象に残らなかったクセに、2回目に聴いた時にはどの曲もずっと前から知っているように懐かしくて、それでいて未知の生き物に遭遇したような珍しさが感じられた。聴けば聴くほど愛しさが増すのに、繰り返し聴いてもちっとも飽きが来ない上に、聴くたびに新たな発見がある。
 ガリレオの魅力の一つは、アルバムによって全く違った色を見せてくれるところだろう。それはそのままガリレオの歩んできた歴史とつながる。デビューアルバムであるミニアルバム『ハマナスの花』は、"ハマナスの花"や"胸に手をあてて"など、これからの行方を探っているような初々しさを感じさせる。1stアルバムの『パレード』には、"僕から君へ""18""四ツ葉さがしの旅人"など、ガリレオの覚悟や主張がいっぱいに詰まっているし、歌声や音も比較的力強い。一転2ndアルバム『PORTAL』は、"Imaginary Friends""Freud""星を落とす"といった曲にみられるおとぎ話のように軽やかでエレクトリックなサウンドと歌詞が特徴だ。
 ミニアルバム『Baby,It's Cold Outside』の"リジー""夢に唄えば"ではまどろむようなひっそりとした雰囲気が楽しめる。そして『ALARMS』。私はこのアルバムに入っている曲の中で微妙だとかイマイチだと感じる曲がない。電子音はだいぶ減っていて、透明感のある歌声といい、サラサラとしたギターといい、この上なく上品で静謐で、白樺の林の中で木漏れ日を浴びているような気分にさせられる。"パイロットガール""愛を""死んだように"と、一つ一つの曲に物語があるのに、アルバム全体のトーンは統一されているところもすごい。
 さらに『See More Glass』では透き通った歌声に爽やかさと疾走感がプラスされて"サニーデイハッピーエンド""Mrs.Summer""プレイ!"といった清々しい夏の始まりの予感の中にどことなく憂いも感じられる楽曲が仕上がっている。ベストアルバムである『車輪の軸』をのぞく実質ラストアルバムである『Sea and The Darkness』は、ボーカルの歌声やギターのサウンドにより深みと陰りがでたためか、今までにはなかった色気に溢れているし、"カンフーボーイ/Kung Fu Boy"や"ウェンズデイ/Wednesday"、"ブルース/Blues"など、これまでは目を向けられていない暗い側面も展開されていて、全体的にどこか凄みが感じられるようだ。
 彼らの魅力はそれだけにとどまらない。曲調によって柔軟に変化する、体に染み込むようなボーカル尾崎雄貴の歌声や、弟である尾崎和樹のペダルを上げたままのスネアが特徴的な力強いドラム、ここぞというところでさりげなく花を添える佐孝仁司のベースライン、優しく寄り添うようなChimaさんのコーラス、シンプルだが聴けば聴くほど心を掴むメロディ、思わず口ずさみたくなる滑らかさと、相反するようにどこまでも素直な切実さを持った歌詞。
 調子に乗ってそれっぽいことを書き連ねてみたが、正直言ってガリレオの何が私の琴線に触れる決定打となったのか、自分でもよくわからない。まあでも個人的な音楽のヒットなんて感覚的なものだから無理に言葉にすることでもないし、言葉にすることで私を魅了するものの正体がわかるとは思わないので、伝わる人にガリレオの魅力が伝わればそれでいいのだが。

 『ALARMS』を皮切りにドップリとガリレオにハマってしまった私はそれから毎日のようにAちゃんとかなりマニアックなことで盛り上がったりして("クライマー"の最後のほうの「刹那」の擦れ具合いがいいとか、"さよならフロンティア"の2番のサビの、《時計の針》の高音の抜けが絶妙だとか、わかる人にしかわからない、というかもはやお互いにもよくわからなかったけれど)興奮状態で「最後の日」を待っていた。ところが、なんともアホらしい限りだがちょうどライブを翌日に控えた日に見事に風邪を引いた。久しぶりに39℃台の熱が出て、いつもより2時間近く早く寝床に入ってからも悪寒と咳が止まらなかった。
 翌日には熱はだいぶ落ち着いたとはいえ、学校を休んでライブに行ったなんてことが万が一親にバレたら、なんと言われるかわかったもんじゃないので、半ば無理矢理登校した。それが結果として病状を悪化させたのか、夕方にはまた37℃まで熱が上がっていた。平日なので翌日も通常授業だ。帰るのが夜遅くなるため、その日は比較的九段下駅に近いAちゃんの家に泊まることになっていた。授業が終わると私たちはいそいそとまずAちゃんの家に向かった。Aちゃんのお母さんに言われて体温を測ってみると、37.2℃。2、3℃サバを読む。それでも当然心配された。けれど、今日を逃したら多分一生後悔することになる。なんとか相手を説得し、とりあえずマスクやネックウォーマーで人に移さないよう対策はしたが、迷惑であることには変わりない。
 開場の30分前までに行くつもりだったが、電車に乗ってしばらくして時間を1時間読み間違えていたことに気づき、慌てて会場に駆け込むハメになってしまった。このあたりから心臓が自己主張を始め、それはチケットに記された2階の席についてからも一向に止む気配を見せなかった。今夜、Galileo Galileiという一つの歴史が終わってしまう。体はこれから起こる出来事に対して身構えているのに頭は妙にふわふわとして現実感を伴わず、周りのざわつきが次第におさまっていってもそれは変わらなかった。
 やがて会場が暗くなった。ステージにメンバーが登場し、「ハロー」という尾崎雄貴さんの声。ラストライブが始まったのだ。

 一曲目は"クライマー"だった。数日前に知った、大好きな曲。ガリレオにしてはわかりやすい希望に満ち溢れた歌詞と、突き上げるような旋律。

《僕らの山を登っていたんだ/すりへってくのは 時間だけじゃない」《自由を知ると翔びたくなって/あふれる気持ちに気付いてしまうよ》《今にも届きそうだよ 近づくたびにきらめき/目の前に広がる 僕らのための景色》《これからだって 僕の肺は/上って降りるまで呼吸できるよ/辿り着いても"もっかい!"って感じ/目指すその頂点》

 本物の尾崎さんの声は、CDで聴いていた時よりずっと荒々しくて瑞々しくて、ガリレオとしての彼らの音楽が聴けるのはきっと今日が最後なんだという思いが突然胸のあたりにすとんと落ちてきて、気づけば右目から一滴だけ涙が頬を伝った。出会ったばかりなのに。
 2階席だったせいもあるのかもしれないが、私たちの周りの観客はとても静かだった。たまに手拍子が起こる程度で、あとは漂うように体を揺らして音に乗っている。上から見る限りアリーナの盛り上がり方も似たような感じで、全体的にゆったりとした空気が具合の悪い私にはちょうどいい。曲の合間のMCでも、メンバーは低い声で他愛ないことをぼそぼそ喋っていて、その落ち着いた雰囲気も心地よかった。そんな調子から一変して、信じられないくらいカッコいい"明日へ"、澄み切った声がどこまでも広がる"さよならフロンティア"と続いていく。成長した声で歌われる"夏空"や閃光ライオットバージョンの"管制塔"は、昔からのファンにとっては感慨深かったのではないだろうか。
 セットリストは過去に遡るように設定されているということで、ライブが進むにつれて隣や後ろの人の口から「懐かしい......」といった呟きが漏れ聞こえてきた。途中からはライブでの定番の曲へと移り、裏声と地声の切り替えが神がかっている"老人と海"......正直、こんなに時間が短く感じたのは初めてだった。まだ30分も経っていないような気がしたのに、最後の曲になった。心臓は依然として存在を主張していて、このまま早鐘を打ち続けたら一生分の脈を使い果たして死ぬんじゃないかと本気で心配になる瞬間もあった。せめてライブが終わるまでは死にたくないなと思っていたら、どうやら終わりが近いらしい。呆然としている私の耳に、「みんなで歌える曲を持ってきました」という尾崎雄貴さんの声が聞こえた。
 "Birthday"。奇跡かと思わずAちゃんの顔を凝視してしまった。ナマの"Birthday"が聴けるなら死んでもいい、とまでは思っていなかったけれどまさかこの曲を演奏してくれるとは思っていなかったので、これは本格的に私の命は尽きるのかもしれないと不安になった。恋い焦がれていたBirthdayはもうなんか嬉しすぎて逆によく覚えてない。サビの途中で照明がついて、コーラス部分を会場中で大合唱した。オクターブ上で「一体僕は何になるんだろう」と歌い上げて、歓声の止まない中、ガリレオが去っていく。と、誰からともなくコーラスをアンコール代わりのように歌い始め、いつしかもう一度会場がひとつになっていった。
 再びステージに上がって"Imaginary Friends"、"Sea and The DarknessⅡ(Totally Black)"、再アンコールでの"ハローグッバイ"と"車輪の軸"を演奏してくれた彼らの口から観客への感謝は伝えられたのに本人たちの気持ちが語られることはほとんどないまま気がつくとラストライブは終わっていて、なんとなく肩透かしを食ったようなあっけなさを胸に抱えぼんやりと私たちは帰路についた。道々2人して「終わったね」とか「嘘でしょ」とか「え、どーしよ」とかバカみたいに繰り返してはいたのに、私の中ではまだイマイチ実感が持てずにいたため、特に喪失感をおぼえることもなかった。そうやって、わりとあっさりと武道館での一夜は幕を閉じた。幸い熱も下がり、心臓も通常営業に戻ってくれたので、翌日は猫アレルギーで瞼を腫らしたこと以外特に体調の異常なく過ごせた。相変わらず思い出したようにガリレオの活動終了をAちゃんと嘆きあうことはあっても、当の本人たちにさえあまり悲壮感が見られなかったこともあってなんだか寂しいのかもしれないけれどどうすればいいのかわからないような状態だった。

 ガリレオを好きな理由なんて結局は未だにわかっていないけれど、たゆたうように音に身をまかせる観客の姿を見た時にわかったこともある。ガリレオの曲は私を受け入れてくれるのだ。押しつけがましい感動を歌う訳でもなく、無理に価値観を見せびらかしもせず、鼓舞したり背中を押したりするのでもなくて、「これが僕らだよ。受け入れるのはあなたの自由だ」というように私たちにむけて自分を開いてみせて、それと同じようにごく自然に私たちのことも受け入れてくれる。それはまるで秘密を共有しているように心地いい。私たちは秘密を大切にする人とだけガリレオを共有したい。そう考える人はきっと他にもいると思う。
 私は極度の人見知りだ。初対面の人とは目を合わせるのがやっと、声が小さくて滑舌も悪いので相手に聞き返されて気まずくなるのがめんどくさいからできれば会話もしたくないし、上手く話せる自信もない。要するにコミュ障というやつ。それでよくボーカルなんてやってるなと我ながら呆れてしまうが、こればかりはしょうがない。で、失礼だが私の知る限りAちゃんも決してコミュニケーション能力が高いとは言いがたい。そんな私たちにとってガリレオの、来る者拒まず去る者追わずじやないけどある意味そんな感じのスタンスはぴったりなのではないか。私たちみたいに他者と積極的に関わるのが極端にヘタな人間にも、ガリレオは秘密を打ち明けてくれる。
 私とAちゃんの関係は、ガリレオという秘密を共有することで変化した。ライブを指折り数えては楽しみで待ちきれなくなったり、思い返しては余韻に浸ったり("バナナフィッシュの浜辺と黒い虹"でゲストとして登場したAimerのマイクがしょっちゅうハウってしまったこと、雄貴さんの"老人と海"の発音が滑らかすぎて、ロージェント・ミーと聞き間違えたAちゃんが知らない曲だと思って焦ったこと、"四ツ葉さがしの旅人"の出だしで雄貴さんが間違えてストップをかけたこと......Aimerをエメと読むのも初めて知った)、終了を惜しみあったりすることだけではない。お互い前より言いたいことに躊躇わなくなった気がする。ガリレオはただのキッカケにすぎなかったのかもしれないが、Aちゃんも私と同じように感じてくれていたら嬉しい。
 私とAちゃんは今、曲作りに挑戦している。私が詞を書いて、Aちゃんがそれにコードをつけて。夏には北海道に旅行するつもりだ。その時までには未確認フェスティバルに音源を送らないかと提案したい。

 ガリレオが活動を終了した理由は当たり前だが本人たちにしかわからないわけで、まして最近になって突然ガリレオにハマった、謂わゆるにわかである私たちには想像もつかないのだが、一つ言えることは、バンドという一つの生き物みたいな共同体から誰かがいなくなる、又はバンド自体がなくなってしまうということは、当人たちにとっても周りにとっても少なからず痛みを伴うだろうということだ。
 ラストライブからしばらくたって、ガリレオを失ってから時差を持って襲ってきた痛みを解消するために、予習では通して聴けなかった『Sea and The Darkness』のアルバムをTSUTAYAで借りた。想像以上の濃い闇が吐露されていることに戸惑ったが、アルバムの最後の曲、"ボニーとクライド"を聴いた時にその戸惑いは掻き消えた。

《戸惑う必要もないほどに満ちるのが/自分の生き方だったんだ》《恐れないずっと永遠に 燃え続けてみせるわ》《自分のためだけの太陽 焦がされていたい》《止めないでずっと永遠に 誰にも渡しはしない》《自分のためだけの太陽 焦げついて/飛び続けるのは楽じゃないけど 言わない》

《誰かのカードを横目でみつめてる/くだらない連中は 文句だけはたれる》《疑う必要もないほどに信じればいい/自分が踏んだ道 だけ》

《もう戻れない 取り消せないと私に怒鳴り 責めているんだと感じたけど/そんなのわかっている/自分の生き方だったんだ》

 ボニーとクライドは犯罪者であるにも関わらず、ある種英雄的な見方をされている一面もあるらしいが、私にはこの歌詞がGalileo Galileiとしての決意のように感じられた。ガリレオは「終了」という選択をしたが、それはきっと、決して痛みを伴うだけには終わらないのだと私は信じたい(なんならサリンジャーみたいに死んでから何年か後に公開されるような音源を用意しといてくれてもいい、くらいの心積もりだが、その頃には私も多分この世にいないだろう)。
 彼らは今までの自分たちを「おもちゃの車」と表現したが、私とAちゃんを繋いでくれたものはそのおもちゃの車に他ならない。彼らが一体どんな成長と変化を遂げて私たちのもとへ戻ってきてくれるのか、楽しみにしながらいつまでも待っていようと思う。


この作品は、第3回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で入賞した東京都・彩葉ろいさん(17歳)による作品です。


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