尊きプロセスの果ての「世界制覇」へ―― 壮大なロマンを抱く4人組[Alexandros]

 漆黒のスーツ、レモン色のドラムセット、端正なルックス、そして不敵なオーラ。しかし始まったのは爽快でポップなギターリフが印象的な“ワタリドリ”――。なんとも絶妙だ。余計なものは全て削ぎ落とされているけど強靱な精神は備わっている。そのスマートさがたまらなくカッコよかった。爆風を食らったかの如き衝撃的な一目惚れを生まれて初めて味わった。彼らほどロックスターな人たちはいないと直感的に確信できるが彼らは一体何者なんだ?―
 私はこの日から[Alexandros]の虜になった。

 不動のフロントマン・川上洋平(Vo・G)率いる[Alexandros]は確固たる意思を秘めた壮大なロマンを抱いている。その爆発的なカリスマ性に関して彼らの右に出る者はいない。

 私が[Alexandros]に出逢ったのは忘れもしない2015年6月19日。大学受験に失敗し、気がおかしくなるほど自分の将来について考えていた。彼らがデビューした年齢になるまで私にはあと10年ある。この10年間がどんな風に過ぎ去っていくのか、不安だった。不安や恐怖をちらつかせないように勉強に勤しんでいた。そんなとき彼らに心奪われた。そして耳にした“starrrrrrr”。彼らはこの曲の中で《この場所で この乱れた時代で/傷付きながら 己の歌を刻んでいく》と宣言し自らを奮い立たせている。「俺らはこれからこうするつもりだけどお前はどうなの?」と真正面から聞かれているようでドキッとした。汗だくになりながら歌い・かき鳴らし・叩きまくる彼らを見て、やっと「私」を客観的に見ることができた。さて私はどうする? どうしたいんだ?
 ――これから先のことなんて全くわからない。でも[Alexandros]に出逢ったことで新たに1つ叶えたいものが生まれた。それは今までの自分からは到底想像もつかないものだ。誰もが無謀だと言って笑うだろう。でもこれだけは絶対に誰にも譲れない。意地でもその夢を掴むのだ。だから私も彼らのように他人への妥協は振り払い、ひたすら「私」を貫いていく。だって《どこまでも 私は私だから》(“starrrrrrr”)。行けるところまで行ってみよう。激励してくれる彼らにいつか胸を張って報告ができるように。喜んでもらえるように。
 “starrrrrrr”はRUSH BALL 2012の際、川上が夜になってもオーディエンスを沸かせる他のバンドに悔しさを感じたことから生まれたシャイニングアンセムだ。フラメンコのように情熱的に力強くかき鳴らされるアコースティックギターが序章となり、すぐに水風船が弾け飛んだように本章の幕が切って落とされる。民族音楽のように巧妙なリズムを刻むドラムや遠くで嬉々として鳴り続けるピアノなど様々なギミックが盛り込まれており、世界各地の曲がマッシュアップされているような広大さに身体が共鳴する。《光る誰か見て 私は泣いた/己と見比べ ただただ泣いた》(“starrrrrrr”)と歌いながらも負の悔しさを全く感じさせない。プチッと弾けた水風船によって散りばめられた水滴は光を浴びて瞬く間に輝き出し、地中から押し上げられるようなエネルギッシュなパワーを放つ。野外で鳴らされるべき奥行のあるサウンドは圧巻だ。感じる波動に躍動せずにはいられない。《泣けば良い 誰より笑えば良い》(“starrrrrrr”)というパッセージが川上の高音にのってどこまでも広がりダイレクトに心を揺さぶる。この言葉が無限の包容力で[Alexandros]と私たちを受け止めてくれた瞬間、[Alexandros]の気迫とオーディエンスの熱量がキラキラした溢れんばかりの星屑を振りまいて柔らかな炎色反応を起こす。“starrrrrrr”でしか起こり得ない魔法だ。なぜ彼らは悔しさの中でこんなにも果敢に攻める曲をつくったのか、私は疑問だった――。
[Alexandros]には孤高のプロローグとプロセスが刻まれている。音を紡いで曲を織りなしそれを旗として掲げ、拳を突き上げて進んできた。しかし、デビュー叶わぬ大学時代。心身共に疲労困憊したサラリーマン時代。「世界制覇」どころかフェスのトリさえも務められない悔しさの中、英姿を貫いたインディーズ時代。まさに青天の霹靂たる改名。ここでは語り尽くせないほど多くの困難があった。そんな彼らを思うと“spy”も“Forever Young”も涙なくしては聴けない曲だ。彼らは《果たして本当に此所は/私が望んだ舞台か?》(“spy”)と自らに問いかけ《This is my road》(“spy”)という1つの答えに辿り着いた。その問いは愚問だと言えるほど確信に満ちた人生の必然性を歌い上げて《全て駄目になって/奈落の底に落ちたって/苦しみは目指す者にしか現れぬもの》(“Forever Young”)という命題を私たちに証明してくれている。その上で悲しさも悔しさも全部肯定して《七難八苦を我に与えよ》(“Forever Young”)と人生に向けて宣戦布告をし、《ありもしないストーリーを/描いてみせるよ》(“ワタリドリ”)と言い放つのだ。「弱さなんて放っておいても滲み出るものだから弱さを売りにはしたくない」という川上の言葉通り、[Alexandros]は飽くなき探求心と闘争心をもち、“starrrrrrr”も“spy”も“Forever Young”も“ワタリドリ”も涼しげなポップカラーで染め上げる。どの曲もほのかに甘さを感じさせるカラフルなメロディーラインとリズミックなバックサウンドが体中に響き渡る。
 ――負の悔しさを感じさせない理由がここにあった。

 2015年6月17日、[Alexandros]の通算5枚目となるアルバム『ALXD』がリリースされた。1曲目はブレイクファクターたる“ワタリドリ”。名刺代わりという位置づけの最高にポップでキャッチーなロックチューンだ。しかし2曲目の“Boo!”は早々に良い意味で期待を裏切ってくれる。チープな枯れたエフェクトとプラスチックな歪んだコーラスのダルさに酔ってしまい、UFOで行われているディスコパーティーへ迷い込んでしまったようだ。終盤の常識はずれな加速度で予期せぬノックダウン。「バロメーター振り切れるぐらいのスピードで急かしてビビらせようぜ」という彼らの魂胆が見え見えで思わず失笑してしまう。しかし驚くのはまだ早い。お経のように早口でまくし立てる“ワンテンポ遅れたMonster ain't dead”を筆頭に、音階の波がなめらかに満ち引きする“can't explain”、録りっぱなし感満載のインタールードとなる“Buzz Off”、ホーン隊を交えたビンテージ調の“Droshky!”、『オペラ座の怪人』ロック版を思わせるアレンジの“Dog 3”など実にトリッキーな面々が顔を揃えており、ポップとメタルの共存が[Alexandros]のコアとも言えるギラギラ感を演出している。
 アルバムタイトルは狙ったわけでもないのにほとんどセルフタイトルになったそうだ。深い意味もなく付けていた仮タイトルの『ALXD』が感覚的に一番しっくりきたから。それだけの理由だ。バンド名を冠したアルバムを世に出してバンド史上最高ヒットを叩き出し、それは奇しくも凄まじい勢いで飛翔を遂げた2015年にリリースされたアルバムであった――。決して迎合せず狙わない彼らがシーンにぶっ放したその紛れもない事実は「奇跡」というより「輝跡」だ。感覚という極めて流されやすい不安定なものでこの結果を叩き出してしまうのだ。[Alexandros]の精神とストーリーから見ると、狙ってないのに導き出されたという偶然性よりもなるべくしてなった必然性の方を強く感じる。本当にさすがだ。運命めいてる。目論まずにそのような結果を出す並々ならぬポテンシャルの高さにただただ圧倒されると共に、時の流れをも味方につける力を持っているのだと痛感させられる。そしてこの出来事は[Alexandros]のプロセスの中でも際立って光輝く大快挙として刻まれた。
 一方、アルバム1曲1曲進むごとに彼らがここに至るまでの道のりが思い起こされ、リアリティを持って目の前に映し出される。本人たちが奏でるBGMのような曲たちに浸っていると《中途半端な満足じゃ/事足りぬ様になって/現在に至る》(“Run Away”)で[Alexandros]のストーリーがようやく現在に繋がった。愛おしいほど不器用で単純な彼らが歩んできた道は決して楽なものではなかった。普通の人間だから目の前にある道をただ歩くしかなかった。しかし川上はアルバムのファンファーレとなる“ワタリドリ”に寄せて「歌詞でバンドのことを書いてるときが一番楽しい」と語っていた。それを聞いたときグッと込み上げるものがあり、思わず私は泣きそうになった。「なんていいバンドなんだ」という言葉以外見つからなかった。それは何の飾りも必要のない最高級の賛辞だ。彼らに出逢って私の人生は180度変わった。ロックってこんなにも豊かで鮮やかで楽しいものだったんだと教えてくれた。新しい世界へと連れて行ってくれたのだ。そんな[Alexandros]のプロセスはとてつもなく尊い。彼らがどんな思いで曲を作っているのか、どんな思いで今このステージに立っているのか、どんな思いでパフォーマンスしているのか、どんな思いで笑っているのか――。そのことを決して忘れることなく誠意と感謝の気持ちを持って彼らが創り出す音楽に触れていきたい。アルバムラストの“Coming Summer”は《大地》《奏で》《身体》という壮大なキーワードが並ぶ中で超然としたハードなギターが放たれ、エンディングのギターソロとストリングスのアンサンブルは神秘的な清さを紡ぎ出している。そのシアーな澄んだ透明感は私たちにほほえみかけて優しく包み込んでくれるだけでなく、[Alexandros]の未来をも保証してくれているようだ。
 『ALXD』越えのロックオペラたり得る作品は二度と現れないと言い切れる。なぜなら『ALXD』は[Alexandros]の4人が主人公のノンフィクションストーリーであり、彼らの尊い人生の縮図だから――。しかしそれに止めを刺す決定的な理由はまだ他にもある。最後の曲“Coming Summer”のエンディングのギターソロと最初の曲“ワタリドリ”のオープニングに同じフレーズが使われているというアレンジには荘厳不可侵なサーキュレーションが秘められているのだ。 [Alexandros]の連鎖、そして循環――。これほどまでに完璧なストラクチャーを前にして表わす言葉が見つからない。クレイジーな第一印象が見事なまでに一変。こんなにも深遠なのだと知った瞬間、思わず空を見上げて深呼吸をした。含み持つ決して朽ちることはないエンドレスなストーリーは、型にはまらず縦横無尽に走り回るロックバンド[Alexandros]の名を絶えず世界に知らしめる原動力となるに違いない。

 最高傑作『ALXD』から半年後の12月2日、シングル『Girl A』がリリースされた。表題曲“Girl A ”は際限なく繰り出される真っ赤なレーザービームが似合う危険なナンバーだ。圧倒的な破壊力で悪ぶる重低音。デジタル感が謎多き雰囲気を醸し出すエレクトロニックサウンド。オープニングのサイレンと同時に自分の心の中の隠微な陰が黒光りし、不気味な光を宿し始めた。しかしその陰は《私がいなくたって》《あなたが生き続ければいい》で究極の献身へと変わる。ぼんやりとしているけれども「私は一人だ」という確かな孤独を感じたところで、曲は暴走しカオティックなクライマックスへと突入する。2分50秒という刹那に荒れ狂う暴威を振るいまくったサウンドのダメージは計り知れない。サイケデリックな重低音がずっと鳴り続けている。
 “Girl A”は献身を歌ったラブソングだ。[Alexandros]のラブソングはいつも手の届く場所で繰り広げられるリアルな恋愛を感じさせる。そして一般的なラブソングとは確実にテンションが違う。歌詞においてもまわりくどい言い回しは絶対になくド直球。加えて“Girl A”のように轟音にのせて献身を歌うというアレンジと歌詞のちぐはぐ具合がたまらなくいい。初々しい恋愛やちょっぴり艶な恋愛、はたまた失恋を描いていても馴れ合いやぬるさがなくどこか潔さが潜んでいるから余計にハマってしまう。その1つ“She's Very”。タイトルや力強いオープニングから激しい恋かと思いきや、男性の女性に対するコンプレックスやそれに翻弄される男心が歌われている。“涙がこぼれそう”はゆったり始まったと思いきや、The Rockと言える硬質なサウンドへ急に変貌しまた落ち着く。ハイブリッドなサウンドの繰り返しだ。《涙がこぼれそう》というたった1つの言葉に嬉しさと悲しさが遠慮がちに同居しており、歌詞に描かれた情景の切なさが胸に染み入り涙をさそう。“Leaving Grapefruits”は軽快なピアノフレーズで始まったと思いきや、哀愁漂う失恋が描かれている。しかし失恋したあとのなんとも言えない身軽さをピアノやタンバリンが軽やかに色付けしている。“Dracula La”はロックの王道たる駆ける8ビート。サイエンティフィックでキュートなナンバーかと思いきや、変拍子の場面や《彼から奪い去りたい》《あなたに奪われたい》という歌詞が小悪魔なアンドロイドを思わせる。新しいラブソングの境地だ。

 [Alexandros]はシビれるほどシャープでクールな気骨のあるバンドだ。がっつり心奪われるけどあっさり塩味の良質な中毒性がある。日常生活に疲れ飢えて音楽を請うと、完成された音楽を差し出してくれ劇的な浄化によって大きな幸せをもたらしてくれる。そのときあまりにも純度の高いエクスタシーへと陥るのだが、必ず日常生活へと引き戻し躊躇なく思いっきり背中をド突いてくれる。優しい言葉で慰めるのではなく後ろから蹴り上げるのだ。“Kick&Spin”はその象徴的なアンセムだ。《笑われたなら/笑い返せば良い》(“Kick&Spin”)という言葉のハンパじゃない説得力と打撃力。研ぎ澄まされたパンチの効いたサウンドが体中を巡り、いい意味でささくれ立たせる。切なげなメロディーと共に大粒の涙を流しながら踊り乱れたくなる。迸るような情熱が凝縮されたキラースピードでラストまで駆け抜けていき、待っているのは《I know I know I'm not too late》(“Kick&Spin”)というラストシーン――。だめだ、涙が止まらない。彼らが吐き捨てた言葉を全身全霊で受け止める。曖昧知らずの真っ直ぐな言葉の殺傷能力は相当だ。容赦なく斬り込んできて爽やかに一刀両断する。しかしこの攻撃的なアンセムは「今の精神を築いてくれたものすべてに対しての感謝の歌」なのだと明かしていた。人間の真髄に触れたような温かさがじんわり胸に伝わる。どんなにバッキバキなサウンドで鋭い言葉でも優しさが溢れているのだ。
 そして[Alexandros]を語るときになんと言っても外せないのが「カッコつける」という美学だ。それが4人のバックボーンになっていると言っても過言ではない。あれほど黒が艶やかに映える人たちを他に知らない。バンド名の括弧にも表れている通り、彼らはどこまでもキメてくる。それでいて本当に妬ましいほどカッコいい。しかし「最初からそういうわけではなかった」と彼らは言う。1つ1つレンガを積み上げるような努力を重ねて[Alexandros]という名の要塞を4人で築き上げた。川上は「血と涙と汗の結晶」と語っていた。比類なき努力で築き上げられた鉄壁のカッコよさ。そして今や圧倒的な実力を兼ね備えたロックバンドの筆頭格としてシーンに君臨しているのだ。頑なだけど無邪気に弾けるスパークリングな彼らはダイナミックかつスタイリッシュで、辛みと清涼感と遊び心と煌めきを併せ持つ。ハマったら抜け出せない瑞々しい魅力がそこにはある。
 そんな彼らにはいつも驚かされてばかりだ。我々の予想を根底から覆し、期待を遥かに超えてくる。もはや不意打ちすぎて予想不可能であり、「やっぱり」という言葉は出てこない。というか彼らは私たちにそんなことは言わせない。しかし聴けば「確かに[Alexandros]だ」と思わせる。凡人離れした振り幅を持ちながらも自分たちを失わないのは、もはや[Alexandros]が1つのジャンルと化しているからだ。曲、パフォーマンス、ファッション、言動、人柄――。何一つ欠けても[Alexandros]じゃない。そんな一種の緊張感の中でも絶えず昇華し続け堂々たる化学変化を遂げる。[Alexandros]と何かを掛け合わせて新たな[Alexandros]が誕生するという無敵の方程式――。どこまでも掛け合わされていくその方程式は「後悔と劣化がない」という法則の上で常に成り立っている。「カッコいいと思ったことをやる」という揺るぎないスタンスの下、常に惰性に流されずトップギアで加速していき、無敵の方程式でもって自分たちの「最高」を余裕たっぷりに超えてみせる。あらゆるベクトルはそのスタンスから発せられるのだ。これまでの[Alexandros]を踏襲しつつ新たなビジョンを生み出す彼らは、いつもファイティングポーズで私たちにボディーブローをかましてくる。その衝撃はハンパじゃないが、[Alexandros]にリアルタイムで出逢ったことで味わうことができるものである。1000年前にも1000年後にも味わうことができないものなのだ。「今」に生まれてきて彼らが奏でる音楽と刻むプロセスにリアルタイムで触れることができるという至福の喜びで満たされると共に、「いつか終わりが来てしまうかもしれない」という虚無感と焦燥感に襲われる。さらに追い討ちをかけるかのように、私たちが新曲を手にしたときにはすでに彼らは次のフィールドに降り立っているというワクワクする高揚感の裏返しで歯がゆさも募る。そんな中、『TOUR 2015“ご馳走にありつかせて頂きます”』のファイナルがバンド史上最大のワンマンとなる幕張メッセで行われ、毎年恒例『Premium V.I.P. Party』の2016年の日程と会場がついに発表された。6月26日、会場は大阪城ホールだ。川上の誕生月の6月、しかも彼が愛して止まない大阪――。『ALXD』と同様にここでも運命めいたものを感じずにはいられない。ロックンローラーたる威厳をしかと見せつけた歴史的なファイナルで、私たちにこんなにも粋な贈り物をしてくれるなんてやっぱり彼らは只者ではない。最高すぎる。絶対に終わりなんて、来てほしくない。
 [Alexandros]は一体どこまで行くつもりなのだろう? 自分たちの「最高」を塗り替えて新たな「最高」を生み出す彼らに終わりなどあるのだろうか?
 ――いや、《世界一の海の向こう/永遠を目指して行って》《僕等はきっとこの先にある/「終わり」の先を掴みたくて》(“Forever Young”)と歌う以上、きっとないのだろう。ないはずだ。

 2016年――。初めて[Alexandros]と共に年明けを迎えられたこと、本当に嬉しく有難い。2015年の出逢いから今に至るまで、数え切れないほどのハピネスを分け与えてくれた。さて2016年の[Alexandros]。黙るのか、荒れるのか。それはもう目に見えている。こうなったらいよいよ世界中を席巻し「世界制覇」の頂に立つのも眼前だ。川上洋平、磯部寛之(B・Cho)、白井眞輝(G)、庄村聡泰(Dr)。「世界制覇」が叶ったとき、彼らはきっとこう言うだろう―
 《Today is the famous day of all the time》(“This Is Teenage”)
 私はそれを見届けたい。


この作品は、第1回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で最優秀賞を受賞した蜂谷 芽生さん(18歳)による作品です。


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