aurora arkは終わらない - BUMP OF CHICKENと約束しあった過去、現在、未来

「ツアー”aurora ark”が終わった気がしない」
BUMP OF CHICKENのレギュラーラジオ番組でメンバーの一人はそう言った。
その言葉を聞いたのは、ツアーが終わって2週間程過ぎた頃のことだったが、
私も全く同じ気持ちだった。

aurora arkは今年の7月12日から11月4日まで、おおよそ4か月程度の短いとも長いとも言い切れないスパンのツアーではあった。
しかしながらこのツアーに於けるコンセプトの壮大さ、
過去から現在に至るまで散りばめられた点と点を結ぶ線があったと気付かされた時の感動、
会場やグッズや演出などあらゆる場面で感じたテーマの統一感など
至るところに趣向が凝らされていたため、もっとずっと長い期間一緒に旅をしているような感覚があったからだ。


aurora arkツアーのシンボルとなったもののひとつは、
ツアー名にもあるとおり、オーロラだ。

今年の4月、メンバー4人揃ってわりと突発的に「行こうぜ!」となったものが、
カナダはイエローナイフでのオーロラ鑑賞3泊5日の旅だった、ということだ。
この話はさらに大きく遡れば、メンバーが10代20代の頃夢中でやっていたゲームのひとつ
「桃太郎電鉄USA版」で到達できる憧れの土地であったと言われている。
あくまで「ゲームの中で到達できたスゲェ所」的な感覚であったと過去の彼らの発言から推察できる。
例えば「宇宙旅行しよっぜ」とか「一度はエベレストに登頂してみたいぜ」とか
およそ現実的ではないレベルの夢物語みたいな存在であったらしい。
だが4人は、4人共通の憧れの地であるイエローナイフに、4人揃って行けてしまった。
夢見た土地に、夢ではなく現実として辿り着いたというロマン溢れる話も素敵だし、
4人が10代の頃ゲームの中で出会った土地、といういかにも幼馴染バンドであるBUMPらしいエピソードも素敵である。

そして、そのオーロラをめぐる話の中で出てきたワードが
「オーロラ アーク」だ。
本来であればarc=孤「オーロラの孤(aurora arc)」という自然現象を意味するその言葉を、
藤原基央はark=箱舟「オーロラの箱舟(aurora ark)」という意味と誤解した。
このアーク=箱舟こそがaurora arkツアーのシンボルのふたつめである、一隻の箱舟だ。
誤解というにはおおよそロマンチックな気がしたし、むしろ新しい言葉として充分に成立するような気さえする発想であろう。
というか、事実、造語である「aurora ark」は今やこうして私たちに語り継がれる言葉として意味を成しているのだ。

そして、この箱舟はどこか見覚えのあるシルエット、もしかしたらあのアルバムの…と推察していたが、
後日、藤原基央本人が「あれはユグドラシルの箱舟です」という予想していた事実をある時雑誌で答えてくれた。

そう、15年前に描かれたユグドラシルのジャケットで登場した、上空を旅する箱舟は、2019年までずっと旅を続けていたのだ。
それも、着いた先の世界は空一面、いや宇宙一面にオーロラが浮かぶとびっきりの幻想的で不思議で夢のような空間だった。


少年~青年期に憧れたイエローナイフのオーロラ、
15年前に描いた世界を彷徨うあの箱舟、
そんな点と点が結びついて辿り着いたのが2019年の今新たに描かれた「aurora ark」の世界なのである。


そして、それはツアーの全体像のコンセプトとして、様々な演出に反映されていた。

例えば、ツアー冒頭の映像では
イエローナイフに立つ四人が映し出された。
大きく手を振るメンバー、広大な雪原と透き通った水色の空。
そこからの、おそらく彼らがイエローナイフで体験したのと似通ったものであろう、光とスモークで再現したオーロラ現象。
リスナーは箱舟の乗船者であり、会場はイエローナイフだった。
それはあたかも、4人の長年の念願が叶った光景を、
aurora arkツアーに参加した合計35万人のリスナーにも見せてくれようとしているかのようだった。

さらに、たくさん出たツアーグッズもしっかりとテーマに即していた。
グッズ担当であるチャマは「イエローナイフのお土産屋さんで売っているようなもの」を作ってみた、とニコニコとしながら言っていた。
Tシャツやタオル、マグカップやクッション、さらにはドッチビーなんてものもあったりして、旅先で出会ったワクワクするお店屋さんの要素をたっぷりと含ませていて
見ているだけでも楽しくなってしまうラインナップであった。
グッズ販売所や会場付近を彩るフラッグ、フォトスポットはまるで市場のような様相でもあり、
人々の賑わいの声とマッチして渡航先の旅情感をたっぷりと感じさせてくれた。

そして、何よりも特筆すべきは、
彼らの大事な思い出を基盤として、丁寧に作りあげられた世界観から誘われる
アルバム「aurora arc」の音楽の世界の彩りの豊かさだった。



たとえば、インスト曲でもあるaurora arcは、
ダイヤモンドダストのような煌めきと共に、
美しく世界を彩ったかと思えば一瞬のうちに消えていくオーロラ現象の儚さ、
異国の地や空港や電車や宿で感じるどうしようもない刹那さ、孤独感、
私たちに見せてくれたあの雪原と遠くまで広がる空のの雄大さ。
そういうものが「音だけで」表現されていた。
聴くたびに鳥肌が立って、なんの言葉も貰っていないのに涙があふれた。
それくらい美しい音だった。



たとえば、今回のツアーでは決まって一番最初に歌われる「Aurora」は
イエローナイフのオーロラに準えて、そっと、リスナーの世界に色どりを「作り出せたでしょう」と問いかけるようだった。

「ほんの少し忘れていたね とても長かった ほんの少し
 お日様がない時は クレヨンで世界に創り出したでしょう」
──Aurora

太陽の元にいられない、光が見えない、そんな時でも、
自分の力で、想像力で、オーロラ色を世界に生み出すことができたでしょうと問いかけてくれた。
そして、そんな言葉を歌う背景にはカラーインクで滲んだようなオーロラ色の世界が広がっていた。


そして、「Spica」では冒頭でも触れたあのユグドラシルの樹ではないかと推察されるような、
大きな大きな樹、
─私は世界樹だと思っているのだが─
それを背景に写しながら

「手をとった時 その繋ぎ目が 僕の世界の真ん中になった
 あぁ だから生きてきたのかって 思えるほどの事だった」
──Spica

と、唄っていた。
まるで、15年前時辿り着いたユグドラシルの樹の前に再び辿り着き、再び手を取り合えたような感覚になった。



彼らが見たイエローナイフの景色とライブ会場にいる私たちの世界は繋がっていた、
そして、彼らが見た遠い過去と、その過去から見た未来、つまり現在も確かに繋がっていた。
そう思わせる仕掛けが、このツアーにはたくさんあった。

さらには、このツアー中に藤原基央は
「明日は今日の続きだ、忘れんなよ」
「君たちがこの先の未来に、しんどい、どうしようもなくつらい、太陽が出ているのに太陽の下に自分だけいられない、
 そう思う時がくるかもしれない。
 でも、君が気付いても気付かなくても、今聴いてくれた音楽は君のそばにずっといる。しぬまでずっと。」
こんなことを何回も言ってくれた。
過去のみならず、音楽は未来も一緒であることを約束してくれた。
いや、教えてくれたのだ。


それはまるで、世界樹を見た過去も、オーロラを見た現在も、
まだ見ぬ未来も、私たちが乗船していた箱舟が旅を続けることを示唆するようでもあった。
その場限りのライブだと感じた人はそこで下船してしまうのかもしれない。
だけど、未来まで彼らの歌を持っていけることを感じた人はこの先もずっと乗船し続けるのだと思う。
あるいは一回彼らの唄を忘れてしまったとしても、いつかまた彼らの音楽に巡り合えた人は再び乗船できるのだと思う。

つまりは、彼らの唄が自分の隣にいる限り、aurora arkは終わらないのだと思う。





「ツアー”aurora ark”が終わった気がしない」


BUMP自身がそう言ったこの言葉は、
彼らが丁寧に散りばめていった数々の魔法によって真実味を帯び、
「彼らの唄は未来まで隣にいる」と信じるリスナーの心によって実現するのだろう。


私も今、心から思うのだ。
aurora arkはちっとも終わっていない、と。


この作品は、「音楽文」の2019年12月・月間賞で入賞を受賞した千葉県・chonoさん(30歳)による作品です。


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