ド田舎に住む27歳独身OL(彼氏ナシ)がMy Hair is Badを聴くということ

 金曜の夜。
 さけるチーズを片手にストロングチューハイを飲む。すっぴんになったら鏡を見ないようにするという習慣がここ1年程で定着してきた。赤ちゃんの写真が増えてきたSNSを眺めながら、DVDの再生ボタンを押す。もうすっかり聞き慣れたギターが鳴る。
 最近飛ぶ鳥を落とす勢いのスリーピースバンド、My Hair is Bad。通称マイヘア。スリーピースというバンド構成が生かされた、いい意味で無駄のない、かつ決して軽くない演奏もさることながら、これだけ多くの人の心と耳を掴んでいるのはフロントマン椎木知仁の描く世界なのだろう。ストレートで、赤裸々で、男のずるい部分も隠さずに(隠しているところもいっぱいあるのかもしれないけれど)歌う。時に泣きそうな顔で、時に中指を立てて。そのライブに心を奪われて好きになった人が、このバンドの場合大半を占めるのではと思わされる。とは言っても、私は一度しかライブを見たことがない。好きなバンドの対バンだった。しかも去年の5月。まだ1年も経っていないことになる。まあその一度でまんまとハマってしまい現在に至る。そのライブを見るまで私はCDのマイヘアしか知らなかったし、ライブが終わってからも音源のマイヘアとDVDのマイヘアしか聴いていない。できるならライブで見たいよ、私だって。それがなかなか叶わない所以。最寄りのライブハウスまで車で1時間、隣県のライブハウスは2時間半、そんな交通環境に加え、日々仕事に追われるド田舎のOLだからである。ライブがいい、やっぱり生モノだし、とよく言われることは重々承知だ。でも行けないものは行けないので、今回はタイトルで述べたようなスペックを持つ私が、My Hair is Badを聴くことについて書きたいと思う。
 私は好きなバンドができると「もっと早く出会えていれば...」と毎回のように思うのだが、マイヘアの場合は違った。何かが間違って、私が高校生の時分に出逢わなくて本当に良かったと思っている。
《週末までは生きていたいって/ほんの少しの希望を摘んでいる/両立とさよなら》
この曲に出会っていたとしたら、確実に歌詞を下敷きに油性ペンで書いていたと思うし、
《18歳の目をしてた日々と/青いコーヒーと/冷え込んだ駅の灯り》
この曲は夕日の風景写真をバックにして歌詞を合わせて携帯の待受画面に設定したと思う。
 同じことを当時大好きだったバンドの曲でしていたからだ。今ももちろん好きだし、私の青春の半分くらいを占めると思っている。でもそこにもしマイヘアの曲があったならば。
10年前、17歳の私が大好きだったGOING STEADYBUMP OF CHICKENも、「悩んでいいんだ」「もう少し頑張ろうか」と勇気をくれた。その一方で、
《不良でもない/優良でもない/いよいよだ/逆襲の時間だ/イッツオーライマイライフ/破いた定期/火を仰げよ》
って言ってくれる兄ちゃんがいたなら、また違う思春期だったのではと思う。マイヘアのことは絶対に好きになっていただろう。でも、もったいないと思うのだ。17歳の私にマイヘアは。
 私が17歳の時、17歳なりに考えてはいたし、毎日必死で過ごしていたけど、触れられない片思いかようやく手の繋げる両思いしか知らなかったし、未来は楽しく明るいものだと漠然と、でも絶対的に信じて疑わなかった。
《星なんて見たくないの/誰かといたいの/言い方悪いかな/でも誰でもいいんだよ》
この歌詞を聞いて思い浮かぶ男が片手でギリ収まらないくらいいたりだとか、
《みんなすぐ結婚するんだ/ロックスターより遠く感じてる》
というフレーズに頷きながら1人アパートで発泡酒を空けているだなんて、高校生の私には想像もつかなかっただろうと思う。
 世の10代が、マイヘアの良さをわかっていないとかそういうことではない。共感だけが好感ではないし、逆も然り。経験も捉え方も違えば、音楽の魅力はもちろん歌詞だけではないのだ。でもこんなに詞に惹かれている自分の現状を見る限り、私にとってマイヘアとの出会いは26歳だった2016年がベストだったと、そう思える。
 まあこれは杞憂で、マイヘアの結成は私が19歳の時らしいので、出逢う可能性は0%だった。年下なのかあ、3人とも。
 苦しくなったり、顔を覆いたくなったり、特定の人物を思い浮かべて1発殴ってやりたくなったりといろいろな感情を私の中に生み出してくれるマイヘアの曲。これらの感情は、非常にざっくりと"共感"のカテゴリに入る。ただ、どうしても"共感"できない部分もたくさんある。
《陽が落ちた、下北は地下のライブハウス》
には行ったことがないし、
《渋谷駅前は今日もうるさい/なかなか二人になれない》
無人駅がデフォルトで駅員すらいない駅ばかり見てきた私としては、東京の駅なんて全部うるさい。
 東京は何度も行ったことはあっても、そこが日常になったことは一度もない。でもこのフレーズがあるだけで思い浮かぶのだ。そこは私が憧れた東京。サブカルチャーの聖地・下北沢と、若者の集う街・渋谷。それらは全て、その中に存在してみたいと思い描いていた想像の世界。私が生まれ育ち、今もなお住み続けるこの土地では、到底叶わない世界だ。マイヘアは、新潟県上越のバンドである。"東京"からしたら、私の住む土地と同じ、"地方"だ。マイヘアの曲に出てくる東京は、東京以外からみた"東京"を感じる。
 『夜行バス』という曲がある。上京の歌は今も昔もいろいろな人が歌っているが、東京に出向き、自分の住む土地に帰る、そんな曲には初めて出会った。私も東京には何度も行ったし、夜行バスにも何回も乗った。買い物に行ったり、観光に行ったり、大好きなバンドを観に行ったり、大好きな人に会いに行ったり。
《池袋に着いてしまえば帰れるのです》
帰れる、少しほっとする。でも、この街から離れてしまう。また日常に戻ってしまう。憧れも刺激も夢も想像も、音楽もバンドも光も闇も、好きな人も、東京にはあるように思うのだ。
《東京が離れていく/その度々、悲しいのです》
東京以外で生まれ育った人間にとっては、東京は"東京"であるだけで尊い。この曲に出逢ってから、東京駅から必ずこれを聴いて帰っている。
 マイヘアの曲は、恋愛の曲が多い。そして、普通のカップルや片思いの歌だとは思えない歌詞が大半だ。大体が男目線、椎木知仁目線で歌われている。それに対して、共感できるかと言われれば、私は女だしバンドはしたことがないし、「その気持ちわかる?」とはすぐになるわけではない。でも、納得はできるのだ。「ああそっか、こんなふうに考えてたのかもな」「考えてるようで考えてなかったのかもな」と、27歳の今までの恋愛に、その男たちに重ね合わせてみる。驚く程ぴったりアテレコできたりする。答えのわからない答え合わせ。あの時どう頑張っても理解し得なかった言葉や行動が、少しだけ理解ってくる。(と同時に久々に電話して怒鳴ってやろうかとも思う)
 そしてもう一つわかってしまうのは、
《もうちゃんとしようって/思ってたんだ/でも思っていただけだったんだ》
《「バレなきゃいい」とか言うから/バラしてやったんだ》
とか言っている男のことがなんだかんだ憎めないという、彼氏募集中の27歳にとって絶望的な事実である。

 私は、東京に住んだこともなければ、バンドマンと付き合ったこともない。《「あなた、犬みたいでいい」》というセリフを言ったこともない。
 東京まで新幹線で4時間かかるこの土地に27年間住んで、時々遊びながらも毎日仕事をして、
《きっと背伸びしてる気なんてなくて/みっともないとも思っていないような/「ゆとり」って風下のよう》
という詞に17歳の自分を想い、
《離れてしまうと泣いた三月/電話の内容、貰ったボーダー/君にずっと甘えてたんだ》
と聴いて昔の恋を思い出して、
《ずっと一人座って待っている/君の言うことを聞いてる》
ような可愛い男子大学生が家にいたらと妄想し、
《ちゃんとわかってあげるよ/今夜、帰ってくるなら/笑って許してあげるよ》
と言いそうになってまた後悔したり、
《大事なモノってなんだ?/大事じゃないってなんだ》
と悩みながらも、
《ずっとハッピーエンドばかり/待っている/ご存知の通り なんか足りないや/もっと凄い 超凄いんだぜ》
って歌いながら家に帰って、またストロングチューハイを飲んでMy Hair is BadのDVDを見るのだ。

 今年、私の住む県のライブハウスにマイヘアが来る。チケットも取った。仕事も休みをもらうつもり。今まで何十回、何百回と聴いたCD、繰り返し見たライブDVDの答え合わせはいらない。さけるチーズと缶チューハイがなくても、思い切り酔える夜を。

 ついにこの春、ド田舎に住む27歳独身OL(彼氏ナシ)が、ライブハウスで、あの3人の奏でる、大好きなMy Hair is Badを聴きます。


この作品は、第3回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で入賞した秋田県・藤原スズキさん(27歳)による作品です。


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