ライブの記憶のこと - BUMP OF CHICKEN 2013年9月26日

みなさんは、初めてライブに行った日のことを覚えているだろうか。
2013年9月26日、横浜アリーナ。
アリーナ席、D7列、24番。

初めてのBUMP OF CHICKENのライブ。
なかなかチケットが取れなくて、それでも会いたくて、諦めるものか、と必死になって何とか当てた。

ライブ当日。
学校をさぼって電車に飛び乗った。
何日も前から休む言い訳を考えて、結局「腹痛」にした気がする。
買ったばかりの靴も、窓から見える景色も、イヤホンから聴こえる音楽も、全てがキラキラしていた。
今から、やっと会えるんだ。

横浜に着いたとたんに、BUMPのグッズを身につけたたくさんの人々が目に入る。
それだけで、自分が肯定されているような気がして、なんだか泣きそうになった。
長蛇の物販列。ツアートラック。リハーサルの音。
本当に彼らのライブに来ている。
本当に彼らが近くにいる。

会場の近くにいる観客達は、何でもない顔をしているけれど、その表情はどこかぎこちなかった。ソワソワとした空気。
きっと今日にむけてそれぞれ頑張ってきたんだろうな、今日を楽しみにして来ているんだろうな、と考えるだけで、嬉しくなって、期待と緊張で、胸がいっぱいになった。

会場に入り、チケットを片手に自分の座席を探す。
初めてのことでよく分からなくて、焦って席を間違えてしまったけれど優しい人に教えてもらった。
やっとのことで見つけ出した自分の座席番号。
椅子に座って気がついた、思ったよりもステージに近いこと。

時間と共に、観客の緊張と興奮が高まっていくのが分かった。
私はというと、恐らくこの会場内で一番だろうと思ってしまうほどの緊張で、ひどい胃痛に悩まされていた。
学校を休む言い訳の「腹痛」もあながち嘘ではないな、と考える余裕はあの時にはなかった。
開演直前。ボレロが流れ出す。
DVDで予習はしていたけれど、本当に聞ける日が来るなんて。
徐々に大きくなる音楽。
揃い始める手拍子。
必死でついていこうとするけれど、手が震えていてうまく叩けなかった。
待ちきれずに立ち上がる人。
ざわざわとした音が、音楽にかき消されていく。
もうすぐだ。

ボレロのクライマックスと共に暗転。
光るザイロバンド。
映し出されるオープニングムービー。
メンバーがステージに上がる――――。


ライブのセットリストやMCなどは、今やもう簡単に共有される時代である。
この時にメンバーはどんな様子で、どんなことを言ってたよ、だったり、この曲のこの演出がとてもよかったよ、だったり。
ただ、どんなに共有されていたとしても、そのすべて覚えていられる人はいない。
忘れないようにと必死になって言葉にしても、人の記憶はそこまで優秀ではないからだ。
もしかしたら、あの横浜アリーナのライブの記憶も、色々な出来事と混ざって知らない間に変わってしまった部分もあるかもしれない。
花の名の曲中で藤原は、

「生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ」

と歌う。

初めてこの曲を生で聞いたとき、涙が止まらなくなった。
死ぬのが怖くなったから。
忘れてしまうのが怖くなったから。

人間はいつか必ず死んでしまう。
いつか声の出なくなる日が来る。
いつか声の聞こえなくなる日が来る。
いつか忘れてしまう日が来る。
分かっている当たり前のことだけれど、目を背けていること。

けれど何故か、BUMPのライブに行った後、生きようと思っている自分がいる。
あれだけ死ぬのが怖くなったくせに、あれだけ忘れること恐れていたくせに。

それはたぶん、演奏している彼らも同じ気持ちでいるからだろう。
死んでしまうことも、
忘れてしまうことも、
忘れられてしまうことも、
すべてが怖いと思っているけれど、それを含めて、ライブという一瞬の時間をを会場にいるすべての人々が共有しているからだと思う。
私はこれからもBUMPや他のアーティストのライブに行くだろう。
たくさんの過去の記憶の上に、さらにたくさんの新しい記憶を上乗せしていくだろう。
だけど、初めてライブに行ったあの日は忘れない。
細かいことは忘れてしまうかもしれないけれど、
2013年9月26日の数時間をBUMPと一緒に過ごしたということは絶対に忘れない。
何故4年前の出来事を、今になって書いてみようとしたのかは自分でもわからない。
忘れることは仕方ないと散々言いながらも、薄れていく記憶に不安を感じてしまったのかもしれない。

でも、大丈夫。だと思う。
だって私は、あの横浜アリーナのその先の未来を、確かに生きているのだから。


この作品は、「音楽文」の2018年1月・月間賞で入賞した静岡県・ハルカさん(20歳)による作品です。


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