信じてたこと 正しかった - amazarashi武道館公演(ライブビューイング)に立ち会って

2018.11.16

日本武道館で行われたamazarashiのライブ『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』のライブビューイングへ参加してきた。

凄まじい衝撃と感動で、いまだに余韻がさめきらない。

「信じてたこと 正しかった」

amazarashiが好きだという気持ちが、私の中で揺るぎないものであると確信した夜だった。

私はamazarashiが好きだ。

と言っても知っている曲は数えるほどしかないし、CDもつい最近まで持っていなかった。

amazarashiというアーティストのこと、作詞作曲をつとめる秋田ひろむさんが、どういった人物なのかなどなど…
知らないことの方が多い。

それでも、確信に近い気持ちで
「私はamazarashiが好き」だと思えるから、最近はそう公言していた。

きっかけは、シナリオアートが参加しているからと購入した ASIAN KUNG-FU GENERATIONのトリビュートアルバム。
amazarashiも参加アーティストだった。

まず、秋田さんの声に惹かれた。
オリジナルはどんな曲を歌ってるんだろう?と、公式に公開されているミュージックビデオでいくつかの曲を聴いてみると、曲のカッコよさもさることながら、歌詞の良さに強く心を掴まれた。

「いつかライブに行ってみたい」
そう思うようになるまで時間はかからなかった。

私がamazarashiを好きになってから今までの間にも全国ツアーは行われていたし、その中には私の住む街も含まれていた。
けれど私はそれらを見送った。

amazarashiに限らず、最近はいろいろ理由があって好きなアーティストのライブを見送ったり、リリースされたCDも買えていなかったりする。

そんななので、amazarashiの武道館公演の発表があったときも
「武道館かぁ… 行けないな」
とどこか他人事だった。

それが一変したのが、全国の映画館でのライブビューイング決定のお知らせである。
日にちや諸々の事情を確認した私の胸は踊った。
行けるかもしれない…!

気づけばチケットの一般発売が開始されると同時に申し込みをしていた。

新曲も買えてないし、他にも知らない曲ばかりかもしれない。
けど、それでもいい。
そのときそこにある音楽に、ただ身を委ねるようなライブの楽しみ方もいいんじゃないかな って。

それに、どうやらamazarashiとamazarashiを長く応援してきたリスナーにとって、武道館でのライブには特別な想いがあるらしい。

「僕らが今できる表現の全てを注ぎ込んだ記念碑であり、これからのamazarashiを占う試金石」だと本人も語っているくらいだ。

まだamazarashiに出会って日の浅い私だけど、その歴史に立ち会えたなら どんなに幸せだろうと思った。

家族や自身の体調等、いろいろ不安要素はあったもののなんとかクリアして無事に迎えたライブビューイング当日。
楽しみすぎて、夢じゃないかと思うほどだった。

「朗読演奏実験空間」というだけに、公演は秋田さんによる書き下ろし小説の朗読と、曲の演奏とを織り交ぜながら進んでいく。

小説は、誰かを傷つけるおそれのある過激な言葉、ネガティブな意味をもつ言葉などが「テンプレート逸脱」とみなされ規制される世界(言葉のディストピア)を舞台としたシナリオ。

言葉を規制する組織「新言語秩序」に属する人物・実多(みた)と、
それに抵抗する「言葉ゾンビ」のリーダー的存在・希明(きあ)
二人を主人公として展開していく。

開演前のアナウンスでは、本公演も新言語秩序の「検閲」の対象であることを告げられた。

amazarashiメンバー、そして武道館や全国のライブビューイング会場へ集った私たちもまた、「言葉ゾンビ」側の人間というわけなのだ。
そうしていよいよライブ、もとい「新言語秩序」への抵抗運動が開幕された。

「日本武道館、新言語秩序!
青森から来ました、amazarashiです」

もう、この挨拶だけで熱いものが込み上げた。
私ですらそうなのだから、ずっと長い間応援してきたリスナーの心情は察するに余りある。

通常、ライブ中には鞄にしまうなどするのがマナーであるはずのスマホ。
そのスマホが本公演では重要なアイテムだった。
(ちなみに、開演前に「アプリの使用は必須ではない。ここに集うこと自体が抵抗運動です」というようなアナウンスがあり、アプリを使えない人にとっては嬉しい一言だったと思う)

会場では多くの人がスマホを片手にステージを見つめ、時折一斉にステージへとスマホを向けた。
その光景は一見すると異様だ。

映画館で全体を見ていた私には、武道館にいる人たちのスマホのライトが無数の星のように見えた。キラキラ光ってとても綺麗だった。
まるで、一人ひとりの命がキラキラ輝いているようで。

きれい…

そう思いながらスクリーンを見ている私の視界の端でもピカピカと光っているような気がして、
そっと手の中を覗くと自分のスマホも光っていたので嬉しくなった。

amazarashiのライブは少し独特で、ステージは紗幕で覆われており、メンバーは四方を囲まれた状態で演奏する。
紗幕はスクリーンにもなっていて、歌の歌詞やそれに合わせた映像が投影されていく。

今回のライブでは、スクリーンに歌詞が表示されては次々と「新言語秩序」の手によって「検閲」(黒く塗りつぶ)されていった。

私は、生まれては瞬く間に消されていく言葉たちに、なんとも言えぬ切なさを感じていた。

確かにネガティブな言葉かもしれない、誰かを傷つけうる言葉なのかもしれない。
けれども、その心の叫びは 消さねばならない存在なの…?

新言語秩序にしたって、正義を振りかざしながら 暴力がまかり通っているような状態だ。

一体、正義とは?善とは?悪とは?
言葉の自由が奪われた先にある未来とは?
スクリーンを突き抜けて、私たちに問いかけてくるようだった。

スクリーンを突き抜けるといえば秋田さんの歌声もそうで、
まるで命を削るかのように鋭く、でも時に優しく響き渡る歌声は私の心をつよく揺さぶった。

秋田さんの歌声をライブで聴いたら、泣いてしまうんじゃないかとずっと思っていた。

けど実際には、終始圧倒されて泣くどころではなくなっていた。
ひたすら幸せで、それをかみしめるように耳を澄ました。
特に『月が綺麗』のときなんて、きっと端から見てもとても幸せそうな顔をしていたと思う。

幸せといえば、豊川さん(Key・Cho)が復活していたことも嬉しかった。
前のツアーをお休みされていたことを噂には聞いていたので、記念すべき武道館の舞台に秋田さんたちと一緒に立てて 本当に本当によかった、と嬉しく思った。

十数曲の演奏を経て、いよいよ公演はクライマックスへ。
小説の最終章が朗読された。

この小説は事前に配信されていたアプリでも公開されており、私も読んでいた。
結末を知っていたため、最終章が朗読されると思わず身構えてしまった…

しかし、途中から様子がおかしいことに気付く。
あれ、私が知ってる話と違う…?

誰も幸せにならない、救いのなかったはずの結末に光がさした。驚いた。
物語が、書き換えられていく。

こんな演出ってあるだろうか、鳥肌が立った。
でも、心には熱いものが沸き上がっていた。

朗読からの流れで演奏されたラストナンバー『独白』は、圧巻だった。

CDでは「検閲」によって、歌詞カードはほぼ黒く塗りつぶされ、歌もノイズだらけで不気味だったあの曲の本当の姿が初めて明かされていく。

それは生々しくて、生き生きとした言葉たちだった。
ものすごい密度の生きた言葉たちが、真っ直ぐに胸へと突き刺さる。

「奪われた言葉が やむにやまれぬ言葉が

私自身が手を下し息絶えた言葉が

この先の行く末を決定づけるとするなら

その言葉を 再び私たちの手の中に」(独白)

堰を切ったように溢れる言葉に私の中の感情もほとばしった。

これまで涙ひとつ落とさず見入っていたのだけど、この日はじめての涙が静かに頬をつたった。
左目から、そして右目からも。

「言葉を取り戻せ」

「言葉を取り戻せ」

「言葉を取り戻せ」

「言葉を取り戻せ」

秋田さんが叫ぶ。
客席のスマホのライトもいっそう激しく点滅していた。

悲しい結末で終わらせるものか、
ここにいるみんなで、物語を希望へと導くんだ…
そんな気迫に溢れていた。

アプリの配信からCDのリリース、そしてこの日の演奏演出、全てが『独白』という1曲に収束していく様は見事で、痛快だった。
武道館公演はこの『独白』のために用意されたステージと言っても過言ではないのでは?と思うほど。

「日本武道館、ありがとうございました!」

最後に秋田さんがそう告げて公演は幕を閉じる。
エンドロールの間、拍手が鳴り止むことはなかった。

映画館でその様子を見ている私も同じ気持ちで、
終演のアナウンスが流れ、館内が明るくなっても、しばらく席を立てずにいた。もったいなくて…。
同じような人が他にもいた。

満足感と、名残惜しさ、両方が混ざりあった帰り道
「言葉を取り戻せ」という言葉が いつまでも胸に残って響いていた。

公演が終わった今、例のアプリで『独白』の検閲解除バージョンが聴けるようになっている。

聴くとライブでのあの気迫が甦って泣きそうになる。

でも、ライブではもっと凄かったのだ。

あれを観てしまったから、もう一度あの「嬉しくて嬉しくて」が聴きたくてたまらない。

忘れられないのに、はっきり思い出すことができない…

なんて贅沢だろうと思うけれど、
叶うならもう一度 あの日の『独白』を観たい。

実はライブビューイングの前日、夫にamazarashiのことを散々に言われるという事案があって私の心はざわついていた。

個人的に最大の魅力だと思っている「歌詞」について否定されたのが特にショックで。
私が思っているのと真逆のことばかり言われるので、夫は何か誤解してるだけなんじゃ…?と思ったほど。

…なんて、感じ方は人それぞれだし強要するものでもないので仕方ない…。いややっぱショックだけど。

夫のことをフォローしておくと、
何も全面的に否定しているわけではなくて。
そもそも、興味がなければ否定すら出ないわけで。

私が好きだというamazarashiに興味をもち、歌詞を読んだりMVで曲を聴いたり… 真剣に知ろうとしてくれたからこそなのだ。

ライブビューイングの前日、幸運にも私はリビングデッドのCDを手にすることができた。
私にとって、記念すべき初めてのamazarashiのCDだ。
これを用意してくれたのは、他でもない夫だった。
なんだかんだで、いつも私の「好き」をそっと見守ってくれている。

それに私も私で、どこがどう好きなのか上手く言葉で説明できない自分に もどかしさを感じていた。

さらに言うと、新曲『リビングデッド(検閲解除済み)』のMVを見たときは正直怯んでしまったし、
ライブビューイングへ行くのが少し怖いと思ってしまったほど。

それでも自分の信じたことを確かめたくて臨んだライブビューイング。
参加を終えた今、自信をもって言える。

「信じてたこと 正しかった」と。

(↑ちなみにこれもamazarashiの『無題』という曲の歌詞の一部である。本公演では披露されていないけれど)

きっとこれからもamazarashiは、
絶望の中にも見出だせる希望や、どん底で「それでも」生きたいという強い気持ちや…
そんなことを歌っていくのだろう。
そして、そんな歌が私はこの先もずっと好きなんだろう。

相変わらずライブに行けなかったり、CDも買えなかったりするのかもしれない。
でも、私なりにずっと応援していこうと思う。

好きになるかならないかの差なんて、紙一重ほどなのかもしれないな、と思う。
夫も、いつか何かのきっかけでamazarashiのことを好きになるかもしれないし
私だってほんのちょっとタイミングがずれていたら、素通りしていたのかもしれない。
だからこそ、好きになれて本当によかったと思う。

既にかなりの長文ですが、あともう少しだけ…

今回のライブの大きなテーマだった「言葉」

言葉ってなんだろう。
改めて自分に問いかけてみる。

嬉しいとき、悲しいとき、いつも言葉がそばにいた。

「傷つけられた言葉。嬉しくて嬉しくてたまらなかった言葉。
そういう『言葉』の積み重ねで僕らは形作られています」

秋田さんはそう語っている。

思えば最近の私は言葉に悩んでいた。
自分のどんな言葉が誰かを傷つけうるのか分からなくて、口をつぐむことも多かった。
そうするうちに、自分の感情も上手く言葉にできなくなっていた。

趣味のブログも思うように書けず、どこへ行ったとか何をしたとか、そういう当たり障りなさそうなことしか書けなくなっていた。
それがダメなわけじゃないけれど、本当はもっと、自分が見て聴いて感じた気持ちなどを自分なりの言葉で書きたいと思っていた。

武道館公演を体験して、私の中に閉じ込められていた言葉たちが少しだけ自由になれたような気がしている。

この文章も、書き上げるのは決して容易くはなかったし、結局思うように書けたのかも分からない。
自分以外の人が読んだときにどう伝わるのかも想像がつかない。
けれど、余韻のさめないうちに どうしても私の言葉で形にしておきたかった。
…ずいぶん長くなってしまった。

言葉は時に刃物のように鋭くて、心を深く傷付ける。
言葉なんてなければといいと恨めしく思う日もあるかもしれない。

でも、涙が出そうなくらいあたたかい言葉、嬉しくて胸がいっぱいになるような言葉にも、出会える瞬間があることを知っている。

それで全てが報われるとは限らないけれど、それでも、この先もう少し歩いてみようかなと思うには充分な明かりだ。

これからも言葉で悩むことは多々あるだろうけれど、
やっぱり私は言葉とともに生きていこう、言葉で伝えていこう、そう思う。

amazarashi
日本武道館、新言語秩序

amazarashiが好きだという気持ちが、私の中で揺るぎないものであると確信した夜。忘れたくない。

そしていつかきっと、本当の本当に生のライブへ行くと心に決めた。

そしたら今度こそ、号泣しちゃうかもしれないな。
いややっぱり幸せそうな顔してるのかな。

amazarashiを好きになれたこと、そして、あの日に立ち会えたことがしあわせです。
最高のライブをありがとうございました。


この作品は、「音楽文」の2018年12月・月間賞で入賞した大阪府・名無 ひとさん(29歳)による作品です。


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