欅坂46『黒い羊』、衝動、夜明けのフィルム - ISO100の、白飛びした写真を眺めて

夜明け。
私はシャワーに打たれていた。
叫び出したい気持ちになっていたのはとっくだったけれど、今は未明でそんなことをすると迷惑だと思ったからしなかった。唇を血の味がしそうになるまで必死に噛んだ。
浴室を出る。濡れた身体を、少し拭く。そのまま何も身に着けず、自分の部屋に行った。
カーテンのスキマから新しい一日の光が薄く漏れていた。


それでも部屋はまだ暗い。ベッドには猫がいた。私は寒さを感じなかった。熱くてしかたがなかった。この気持ちはどこまでも行けると思った。

テーブルに置いてあるフィルムカメラの紐をつかんだ。まごつきながら、新しいISO 100のカラーフィルムをねじ込む。こんな暗い部屋で撮るには適していないフィルムだ。

それでも、それしかなかったから、私はそれで一人、絶叫するように写真を撮り始めた。

自分の何も身に着けていない脚を撮った。
猫を撮った。
乱雑にモノが置かれたテーブルの上を撮った。
ガシャ、キュン、ガシャ、キュンという音が部屋に軋む。私はもう何年も写真を撮っていて、こんなにも乱暴に、素っ裸のままで、写真を撮ったことは一度も無いことに気づいた。繊細な写真ばかりを撮り、美しいと思えるものだけを選び取って、適切な状態でいつも写真を撮っていた。けれど、これは違う。そんなものじゃなかった。
私はそういう「誰も見向きもしないような」写真を、この瞬間に撮りたかったんだと思う。


欅坂46の『黒い羊』を聴いた。
この曲のせいだった。私は夜明けにこの曲を聴いて、喉の向こうから何かがせりあがってくるのを感じた。嘔吐感でも、不快感でもない。ただ自分の中の真っ赤な内臓に似た何かを、外に吐き出したくなってしょうがなくなった。喉もとまで、何かが迫ってきていた。叫び出せたらラクだったんだろう。だけど世間は、人は、それを許してくれない。ふつうでいようとすることを推奨するし、ふつうの人を正しい方向へ導こうとする。じゃあ、それにあぶれた人間は一体どこに行っているのか?どこで息をして、生活をしているのか? まるで収集号令のように、私はその人たちに向けて大声を出したくなった。

私も毎日、生きづらいよ。と、何かの手段でその人たちに伝えたくなったのだ。

彼女たちの曲の中で、PVの中で、その人たちは死んだり苦しんだり蠢いたり走り出したりしていた。それを抱きしめようとする女の子がいた。平手友梨奈だ。彼女はヒガンバナのような花束を持って、人を抱きしめようともがく。でもその人たちは拒絶する。抵抗する。弱いし、優しいからだ。だからこそ、全身全霊で、誰かに抱きしめられたいと思っている。抱きしめてくれる人が目の前に立つと、その人をはねのけてしまう。

ああ、私だ。
私がいる。誰かがいる。隣人がいる。昔のクラスメイトがいる。

久しぶり、と私は思った。そして平手友梨奈のことを凝視した。最後まで目を離さなかった。この人は、知らない。赤い花を持ちながら、それごと私を受容してくれる人。彼女も苦しんでいる。自分が誰かを抱きしめるたびに一つずつ、着実に傷ついているように見える。

こんな人を、私は知らない。勇気ある人を。ニュースでだって新聞でだって電車の中でだって、馬鹿みたいな面白ニュースや得してるんだかそうじゃないんだか分からないクーポンをばらまいてるサイトでだって、白い△赤い■の混沌の映像サイトでだって見たことがない。

あなたはだれ?

私は写真を撮りながら必死に信号を送った。他人を介さない、私だけの信号だ。夜明けはそれを許してくれた。私しか起きていない世界で、私だけがノイズの無い場所を選んで、生きて、メッセージを送れた。世界に押しつぶされ、彼女たちのメッセージを受け取れなかった人には、決して送れないものを。

「全部 僕のせいだ」
—『黒い羊』より

この時、彼女は赤い花束を手放した。弾かれたように踊り、人々を抱きしめていく。

自分の醜い姿と、醜いものを美しいと感じてしまう感性を人知らずばらまきながら、彼女のことを考えた。人間としての証明を、静かにしていく。ネガに刻まれる、不明瞭なものたち。

あなたはあの世界の中で、無音で何を叫んだのだろう。
屋上へと昇る階段で、あなたは何て言ったのだろう。考えた。

「いかないで」「生きたい」

ちがう。縋っていない。

「ボクは」

きっと、自分自身を叫んでいる。
もう一度手にした赤い花。それは幼い自分から受け取っていた。
祝福なんかじゃない。たぶん、あれは「自分だけのもの」であり「マイノリティーの証」だ。自分しか持っていないもの。赤くて目立つ。心臓みたいで、ヒガンバナに似ている。

いつか死ぬ。〝ボク〟も。そして私も。欅坂46も、平手友梨奈も。
叫んでも届かない人がいる。飛び降り自殺をしてしまった人。スマホに依存している人。誰からも受け入れてもらえない人。
何もかもに心を閉ざしていた時、ふいに「誰かから」抱きしめられる。嫌悪するだろう。突き放すだろう。それでいい。だけど、

「あの時抱きしめ返せてよかった」

きっとそう思える日が来る。夜明けは少しずつ、朝に変わっていく。


私がフィルムを使い切った頃には、朝を迎えていた。
猫はおかしな行動に没頭する私に怯えてどこかに行ってしまっていた。家族の起きる音がする。私はそっと、ようやくそこで床に散らばった服を手に取り、着た。
あたたかい感触がした。皮膚はすっかり冷え切っていた。鼻先がつんとして、喉が痛い。

まるでさっきまで大声で泣いて、叫んでいたかのような倦怠感。
ああ、私はきっと、泣いていたんだ。叫んでいたんだ。誰も見ていない場所で。

写真だけが、その時の私を残している。
この曲も、私の中に残っている。『黒い羊』。

私は今日も、暴れるみたいに存在証明していく。
いいよ、見なくても。もしかしたら私は、おかしな人かもしれないから。
死んでもやめないけど。

後日現像したフィルムは、七割が白飛びしていた。


この作品は、「音楽文」の2019年9月・月間賞で入賞した千葉県・安藤エヌさん(27歳)による作品です。


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