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    彼らの望遠レンズは、相変わらず心の奥まで見えていた - BUMP OF CHICKENの新曲「望遠のマーチ」は彼らの新たなメッセージソングだ

    新曲の発表というのは、何回味わっても慣れないものだ。
    未知の音楽と出会う楽しみ、ワクワク感、期待は平凡な日常の中で大きな大きな希望だ。

    7月23日にBUMP OF CHICKEN が「望遠のマーチ」をリリースした。
    ひと月前にゲームとのタイアップということでコマーシャルとして耳にしており、その時点でこの曲の持つ疾走感やエネルギーに引き込まれたし、それだけでなくゲームの世界観とのマッチングも申し分がなく
    「好きだ、この曲はきっともっと大好きになる」とは思っていた。
    そうしてフル尺を聴ける日を心待ちにしていた。

    7月23日0時0分、発売と同時にすぐにダウンロードして聴ける時間さえあればずっと聴いている。

    曲調の爽やかさ、明るさ、エネルギッシュな歌声と楽器、疾走感、この曲と一緒に駆け出したくなるような全体的な…
    なんと表現したら良いのだろう、例えるならリーダーシップ感。
    全体的にはそんな印象で、勇気をもらえる歌だと感じた。
    そのメロディとは裏腹に、
    「絶望」や「ひとりぼっち」
    「嘘と本当」、「嵐の中」
    (望遠のマーチ)
    そんなキーワードが胸の奥の脆い部分を突く。
    圧倒的に前向きで輝かしいメロディに乗せられるのはいつも通りのBUMP OF CHICKENらしい痛みや弱さに寄り添ってくれる歌詞だった。
    そんな音楽がわあっと耳に飛び込んで心の奥の中、体の芯まで飛び込んで駆け巡ったと思ったら、気付けば泣けてしまっていた。
    リリースされてから2時間程ずっと聴き続けていたのだが、暫く放心状態で音楽だけを体の中に入れていた。
    ずっと遠くのほうからこちらを見つけてくれた彼らが、自分の弱い部分に触れて、敢えて明るく笑って、行こうよと言って手を引っ張って暗い所から明るい所に連れて行ってくれるような感覚だった。
    この感動を言葉に起こしたく、またしても文章に起こしてみることにした。

    「皆集まって 全員ひとりぼっち」
    「本気で迷って 必死でヘラヘラしている」
    (望遠のマーチ)
    このフレーズは、自分では綺麗に隠しているつもりの頑丈な鎧のその奥を見透かされているようだった。
    私だけではなく多くの人が同様に思う部分だとは思うのだが、生きていくためには無理をしてでも上述のような事をしてしまうのだ。
    しかし藤くんの見る望遠レンズからはそんな所まで見えている。
    見えているからこそ、大丈夫かい?と問うことが出来るのだと思う。

    「与えられた居場所が 苦しかったら そんなの疑ったって かまわないんだ」
    (望遠のマーチ)
    居場所というのは人によっては学校だったり、会社だったり、家庭だったりするだろう。
    昨今のニュースではそういった「当たり前に毎日いる居場所」で起こる悩みや事件が多々聞こえてくるが、ニュースになるのは氷山の一角で、多くの人々がどこかしらに苦しさを抱えているのではないだろうか。
    そんな、居場所がどうにも苦しいけれども苦しいと言えない人に
    「そんなの疑ったって かまわないんだ」
    「体は信じているよ 君の全部を」
    「叫びたい言葉が輝いてる」
    (望遠のマーチ)
    というメッセージを送ってくれているのではないだろうか。
    苦しいから逃げたい、という「叫び」は悲痛な悲鳴ともとれるが、自分を信じて自分を支え続けている身体を助ける希望の光なのだ。
    叫ぶことを「輝き」だと教えてくれた藤くんの発想力にも胸を打たれる。

    そして
    「いこう いこうよ」
    「絶望 希望」
    (望遠のマーチ)
    というサビのフレーズが展開されていく。
    初めは希望、絶望の順番だったフレーズは絶望、希望に変わっている。
    絶望の後には希望があるのだ。
    絶望と希望の繰り返しかもしれないが、永遠に絶望ということはないのだ、そう言ってくれているのだと思う。
    そして、絶望の中にいても「いこうよ」と言ってくれる歌なのだ。
    そして、この「いこうよ」という言葉の繰り返しは、彼らや彼らの歌が手を引いてくれているイメージが一見強いが、
    「どれだけ待ったって 誰も迎えにこないじゃない」
    (望遠のマーチ)
    という歌詞に書かれている通り、誰かの迎えを待っていても「誰か」が連れて行ってくれるのではなく、動きだすのは自分の足なのだという事も同曲内でちゃんと教えてくれている。

    そして、最後のフレーズで
    「羽根は折れないぜ もともと付いてもいないぜ」
    「嵐の中も その羽根で飛んできたんだ」
    (望遠のマーチ)
    という一見矛盾する二つの歌詞を一曲内に併せ持っている。
    この理論は、彼らのアルバム『COSMONAUT』に収録されていた一曲、beautiful glider の一節
    「羽根の無い生き物が飛べたのは 羽根が無かったから」
    (beautiful glider)
    と共通している。
    もともと私たちの多くは生まれつき飛べる羽根がない。
    この場合の羽根というのは、生まれつき何処へでも飛べるような才能や能力や勇気だと解釈している。
    そんな羽根はないから、必死で苦しみながら、もがきながら、努力をしたり失敗したりして前へ進んで行くしかないのだ。
    そうやって前へ進む姿は、羽根がなくても進んでいるじゃないか、飛べるじゃないか、それはあなた自身が生み出した羽根だ、と藤くんは言ってくれているのだと思う。
    何よりも輝かしい自前の羽根がついているのだ、だから前へ進める、さあ行こうよ!
    そう言ってくれているのだと思う。

    そしてそんな歌詞は、伸びやかな歌声、フレッシュで楽しげなギターとベース、それらを引っ張って進めて行くドラムに乗せてキラキラと目の前に降り注いでくるようで。
    とんでもない新曲に出会ってしまったな、この曲がこれから何年も何十年もそばにいてくれるのだな、と出会ったばかりの望遠のマーチに対して「はじめまして、これから宜しくね」という気持ちになるのである。

    さあ、行こう。


    この作品は、「音楽文」の2018年8月・月間賞で入賞した千葉県・chonoさん(28歳)による作品です。


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