26年目のOnly oneへ。

 初めて好きになったときは6人だった。
 初めてCDを買ったときは5人だった。
 初めてコンサートに行ったときは4人だった。
 これからもずっと応援すると決めたときは5人+1人だった。

 これはなぞなぞか? と一瞬首を傾げる人もいるだろうが、ちょっと頭をひねればすぐに答えは出てくると思う。私がかれこれ約20年間応援しつづけているグループは、好き嫌いはさておき、誰もが知り得る集団だろう。
 CDが8センチだった頃を知らない若者たちも、今や音楽が手軽に持ち運べることを知らないお年寄りたちも、彼らの顔と名前はほぼ一致し、代表曲も一つ二つは挙げられるという現象。これは移り変わりの早い現代において、ちょっと異様な光景ではないだろうか。
 そんな国民的スターとも言えるグループは、2016年大きく舵を切ることとなった。
 ただ、なぞなぞもどきの冒頭からもわかるように、これまでも彼らは幾度の荒波を迎えてきた。全くお騒がせのグループであることは間違いない。
 
 小学生時代、まだ自分の世界には音楽なんて学校の授業以外に存在しなかった。友達とおしゃべりをしたり、漫画を読んだり、ドッヂボールをしたり......それだけで世界は十分に回っていた。
 そんな音楽の「お」の字も知らない子どもに、毎週夕方に同じチャンネルをつける機会が訪れた。『アイドル』と呼ばれる彼らは6人で、しかし歌って踊ってはいなかった。確か野球をしていたのだ。それも特別上手くもないプレーの連続。
 不思議な気分だった。試合をしながらやいのやいのと騒いでいるだけなのに、なぜか目が離せないのだ。彼らのコメントや笑顔に釘づけになり、気づけば放送があっという間に終わっている。
 当時は理由なんて考えもしなかったが、今思えばそのときすでに彼らのスター性は発動していたのだろう。やがて歌番組で、彼らが本業の歌を披露している場面を見た。人気アニメの主題歌だった。興味がなかったはずの少女漫画原作のアニメ。翌週からそのアニメを見ることも、日課に加わった。
 小さな小さな世界が、ほんの少し新たな扉を開いた瞬間だった。

 彼らの名前を覚え、プロフィールを暗記し、歌詞もせっせとノートに書き出して歌おうとしていた小学生時代を経て、中学生になった私はCDという媒体を手に入れるという目標ができた。
 雀の涙の小遣いを、毎月手をつけずに置いておくことはなかなかの苦行だった。中学生になればいろいろと誘惑も増える。それらを振り切って、人生で初めて購入したCDアルバムの名は『BIRDMAN』。
 彼らがスーツを身にまとい、黒を基調にしたCDジャケットはべらぼうにかっこよかった。ちなみにそのイメージをベースにしたPV(当時はそんな横文字単語は私の辞書になかったが)も、これまたギャング映画のようで、はちゃめちゃにかっこいい。大人の色気むんむんで、"Fly"という楽曲をBGMにラストは高層ビルから翔び立っていく。PV(重ね重ね当時は......以下同文)というものを初めて認識したのもこのときだった。
 そしてCDケースを開けたときの、あの新品特有のにおい。歌詞カードをめくったときの感動。CDがなかなか取り外せなくて震えた手。
 すべてが今も鮮やかによみがえる。ああ、これで歌詞を必死にノートに書かなくてもいいんだ。そんな阿呆な安堵感もあったように思う。

 やがてCDレンタルという小賢しい技も覚え、カセットテープにダビングしまくった中学生時代を経て、高校生になった私はついに彼らのパフォーマンスを生で体感したいという衝動に駆られた。
 もう雀の涙の小遣いなんぞでは足らない。アルバイトという選択肢を取ることができるようになった。そう思うと、私の初めての社会参加を促したのも彼らだ。不純な動機かもしれないが、親は諸手を挙げて喜んだのだからそれで万々歳ということにしておこう。
 ファンクラブというものにも初めて加入し、会報というものも初めて手に取った。この時点ですでに初見時の6人体制ではなくなっていたが、彼らはもう一躍大スターの地位まで登りつめていた。鳴かず飛ばずだった不遇のデビュー時を、一切合切チャラにしてお釣りがくるほどCDのヒットも飛ばしていたし、コント、料理などの新境地さえ開拓していた。
 そんなスターに会いに行く。夢へのチケットが手元にないうちから、胸が高鳴った。
 友達を誘い、夏休み最終日となる公演日に応募した。結果は見事当選。文字どおり小躍りしてしまったのは、決して若気の至りというだけではない。そのくらいうれしかったのだ。
 田舎のステージでは彼らはもう収まらない。喜び勇んで東京に出陣することが決まった。電車の時間を念入りに調べ、グッズは何と何を買おうかと財布の中身と相談し、夢心地でいた当日の1週間前。
 ニュースキャスターが、彼らのうちの一人の名前を『容疑者』付きで読み上げた。奇しくも私が一番好きなメンバーの名前だった。
 何が起こったのかわからなかった。ただ、来週のコンサートが開催されるかどうか、そのメンバーはこれからどうなるのか、二つの懸念で頭がぐちゃぐちゃになってテレビの前で大号泣した。あまりに泣き叫んだため、父親に「うるさい」と注意された記憶がある。
 翌日、夏休み中の補講日。制服に着替えたものの、このまま学校をさぼってしまおうかと逡巡した。そんな私を予測していたようで、コンサートへ一緒に行くことになっていた友達がわざわざ迎えにきてくれた。思えば大変手のかかる女子高生である。しぶしぶ足を運んで、思い切り遅刻して教室に入ると、クラスメイトたちが「大丈夫?」と声をかけてくれた。そのくらい、私のファン度合いは周知の事実だったのだ。
 そんな周囲の優しさの甲斐あってかその日は補講を受けることができ、その後コンサートは予定どおり行われることが決まった。ただし、件のメンバーを除いた4人で。初めてのコンサートで1人欠けている。これはなかなか出会えない体験ではないだろうか。
 初めのうちは、別のメンバーの顔が写ったうちわを持つことに抵抗があった。しかし、コンサートが始まるとそんな思いは失礼に当たると実感した。
 確かに目の前でパフォーマンスをしているメンバーは4人だったが、彼らは決して見劣りなんかしなかった。何万人もの観客を一斉に魅了し、笑わせ、興奮させた。会場の熱気にも後押しされて、夢中でうちわを振った。照明が落ちた瞬間、観客のペンライトが暗闇をきらきらと彩った場面も目に焼きついている(残念ながら、予算の関係上、私はそのときペンライトを持っていなかったのだが......)。
 何より彼らは不在のメンバーを決して無き者にはしなかった。5人でいるかのように輝きを放ち、5人でいるかのように歌い上げる。後半、そのメンバーの顔がプリントされたTシャツを着て颯爽と登場した瞬間、ああ、5人だ、と思えた。楽しい空間で、同時に涙も流すことができるのだと、私は初めて知った。
 最高のコンサートだった。彼らの公演時間はほかのアーティストと比べても、とてつもなく長い。終電を気にするよりも、たっぷりと余韻に浸りながら、隣の観客に倣い規制退場に従う。列を乱す人は、1人も見当たらなかった。
 謹慎をしていたメンバーは、彼らのホームである番組で真摯に謝罪をし、その後見事な復帰を遂げた。次は5人のコンサートに参戦する。そんな新たな目標ができた。

 コンサートのビデオ(後にDVD)を買い、会費を払い、CDシングルもアルバムもそろえ、コンサートがあれば足を運ぶ。大学生になっても、その習慣は崩れることはなかった。いや、むしろ輪をかけたというべきか。何せ大学生という身分は、人生で一番自由で阿呆な時期だ(個人的見解、そして当てはまるのは私のようなぐうたら学生だけかもしれないが)。ならば、自分が愛を注ぐべき対象に、思う存分金を注ぎこんだところで問題はない(貢ぎ癖はないはず)。
 途中、再びメンバーが4人になることはあっても、さほど動じず静かに待つということを選ぶ自分が少しおかしくて誇らしくもあった。まさに山あり谷ありの人生を体現しているグループである。一筋縄ではいかないな、と口元がゆるんでしまう。
 世間をお騒がせするのは確かにいただけないけど、そこまで世間を巻きこんでしまうパワーにあっぱれと唸ってしまうのも、また事実であろう。恋人は少しばかり刺激的な存在であってほしい、といったところだろうか。

 年を重ねるにつれ、周りは結婚という一大イベントを迎えることが増えてくる。(自分のことはさておき)友達がどんどん巣立っていく。小学生時代から付き合いのある子が、私にスピーチという大役を頼んでくれた。二十年来の付き合いになる友達。飾らずに、なるべく素直にこれまでの感謝とこれからの挨拶を伝えたい。自分の語彙の貧弱さに辟易としながらも文章をこねくり回し、緊張で震えながらマイクの前に立った。
 するとBGMが切り替わり"らいおんハート"が流れる。結婚式のド定番とも言える名曲だが、友達がこれを選んでくれた理由は私が長年のファンということを知っていたから、だろう。その心遣いに、スピーチをしながらこちらの声が詰まってしまう(私が泣いてどうする)。
《君を守るため そのために生まれてきたんだ/あきれるほどに そうさ そばにいてあげる》
 サビあたりまでくると、私だけでなく共通の友達が座る円卓からもすすり泣く声が目立ってきたし、新婦のきれいな顔も濡らすことができた。一生忘れられない場面である。これぞBGM効果であろうか。
 数年後、別の友達の結婚式。昔、ふざけてその子にこんなお願いをしたことがある。
「結婚式のBGM、1曲選ばせてよ」
 人生の晴れ舞台で、他人が選曲させてほしいなんて図々しいことこの上ない。「いいよ」と笑ってくれたが、そんな口約束を本当に叶えてくれるとは夢にも思わなかった。彼女の結婚式が決まったとき、さあ選んでくれとばかりの寛大な心で迫られ、己の浅はかさに苦笑せざるを得なかった。
 だけど、誰の曲を選ぶかと問われれば、もう彼ら以外に考えてはいなかった。要は彼らの楽曲の中から、何を選ぶかだ。
 そうして友達に「これでよろしく」と託した曲は"ハロー"。新郎新婦のスライドショーのラストという最高の場面で流してくれた。
《どんな夜も超えて『こんにちは』って抱き合う》
 そんな夫婦になってくれたら、という思いをこめたつもりだ。しかし、友達がほかに選んだ曲を聞いていると、"ハロー"だけ浮いてやしないかと一瞬どぎまぎしたが、振り返れば結局カチッとはまってくれたと思う。さすが私! と自画自賛したくなったが、さすがなのは個性を放ちつつも、どんな場面にも染まり、華やかにしてくれる彼らのほうだろう。
 人生の節目節目において、彼らの曲はいつもそばにあった。

 にもかかわらず、私はちょこちょこよそ見をしたこともある。彼ら以外のロックバンドのライブに行ったり、彼ら以外のアイドルグループに熱を上げたりしていた。
 長年寄り添ってきた熟年夫婦のようなものだろうか。付き合いたての頃の熱情はだんだん落ち着いていき、いつもいてくれることに安心しきってしまい、平熱程度の気持ちで何となく一緒にいてしまう、みたいな。
 彼らのコンサートも毎年開催ではなく、2年に一度というペースになってきたことも大きい。もちろんコンサート以外の活躍ぶりはめざましいが、それだけでは満足できないのよ、といった面倒くさい女のようなスタンスになってしまっていた。
 そんな私の薄情ぶりも彼らは見透かしていたのだろうか。2012年のコンサート、今回は家族も連れていこうと目論んでいたが、初めて落選してしまったのだ。
 申し訳ないけれど、私はそれまで応募したコンサートすべてに当選していた。だから取れて当然、どこかでそんな傲慢な思いがあったのかもしれない。勘違いの鼻っ柱を見事に折られて、あせりながら家族総出で一般販売を試みるも撃沈。
 そういえば、彼らのリーダーがその年、ファンに向けて手紙を読んでくれていた。
『皆さん、たまの浮気は許します。若い子っていいですもんね』
 録画を見返して二度撃沈。うわあ、まさに私のことじゃん......やっぱり彼らは見透かしていたのだ。愛情にあぐらをかき始めた私のようなファンの心理を。
『でも帰ってきてください。気にしていてください。そばにいてください』
『今まで本当にありがとう。そしてこれからも、くれぐれもありがとう』
 さらに彼らは見透かしていたのだ。出来心で浮ついたファンが、最後には自分たちのもとへ帰ってくると。大人の余裕で受けとめて、待っていてくれる。何という懐の大きさか。
 私は改心し、2年後の2014年のコンサートで見事、家族参戦のリベンジを果たした。結果、家族も彼らに惚れ、私も惚れ直した。長年続けていくということは、お互いにそれなりの覚悟が要る。
『ついてこれる勇気のあるやつだけ、ついておいで』
 リーダーはそんなニュアンスのことも、以前ファンに向けて言っていた。まさにそういうことだ。突き放すようで、こちらが手を伸ばしたなら彼らはそっと手を差し出してくれる。ついていきますとも! と鼻息荒く、忠誠心を新たにした。
 そして2014年は、脱退した6人目のメンバーの存在が、初めてきちんと認められた年でもあったと思う。
 彼らが司会を務めた『27時間テレビ』。グランドフィナーレのとき、6人目のメンバーによる直筆の手紙が紹介されたのだ。これまで別の世界で活躍していた6人目のメンバーが、彼ら5人と接触する場面はなかった。一人一人に対して丁寧に綴られた手紙に、涙するメンバーもいた。無論、私もテレビの前で嗚咽した(きっとファンなら同じ状態だったはず)。
 彼らは5人で活動をしているけれど、決して巣立っていった6人目を忘れてしまったわけではない。6人目がいた時代があったからこその、6人目がいてくれるからこその彼らなのだ。6人だったときから一目惚れをした私にとって、これ以上のうれしいサプライズはなかった。

 彼らはあらゆる意味で、真のエンターテイナーだった。音楽活動だけではない。俳優としての実績も、バラエティーも、プライベートも、支援活動も、すべてが話題となってしまう。無論、ファンが多ければアンチも必然的に湧いてくる。一挙一動見逃さず、揚げ足取りをする外野だって目立つ。
 でも、彼らは不変だった。
《山程ムカつくこと/毎日あるけど 腐ってたら もうそこで終わり...》
 彼らの代表曲の一つ"オリジナル スマイル"のワンフレーズだ。彼らが絶大な人気を誇る理由はそれこそ山ほどあるだろうが、私たちとの距離感が一番に挙げられると思う。
 確かに雲の上の存在のような大スターだ。彼らのリーダーもよくそれをネタにするし、間違いない。しかし、それが冗談となって一緒に笑える距離感。遠いけど、手を伸ばせば届きそうな、すぐ近くに寄り添って力を与えてくれそうな、そんな絶妙な距離感。
 だから、私たちファンは錯覚してしまう。彼らが背中を押してくれる。私たちもまた、彼らの背中を押してあげられる。そしてそれは錯覚なんかじゃないよ、と彼らは何度でも私たちに『ありがとう』と伝えてくれる。

 と、ここまでだらだらと私個人の思い出語りも交えつつも、いかに彼らが偉大であるかを証明してきたつもりだ。私のように彼らと、彼らの楽曲と歩んできた人は何万人、何十万人といる。それだけの人生を彼らは幸せにしてきたのだ。私はただの一例に過ぎない。
 そんな唯一無二のグループ。
 2016年は彼らのCDデビュー25周年という記念すべき年だった。
 しかし年明けから、世間はまた騒然とした。
 公開謝罪。不仲説。引退報道。事務所問題。そして年内をもっての解散――。
 唖然とした。エイプリルフールイヤーという壮大な企画なのかしら、と勘ぐったぐらいだ。しかし、ファンの気持ちをいたずらに揺さぶる悪趣味なやり方は、まるで彼ららしくない。
 連日、彼らの不協和音を煽る記事がいくらでも湧いて出て、彼らの解散を受け入れるコメンテーターが多数を占めてきて、彼らの意思だからやむを得ないと事務所が判断して。
《あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ.../全てが思うほど うまくはいかないみたいだ》
 このメロディが妙に当てはまってしまうような気がして、釈然としない思いばかりがくすぶって。悔しいのか悲しいのかもわからない涙で、彼らの姿がにじむことが多くなった。

 だけど、何が真実かわからなくなるくらい、情報はころころ変わる。
 そして、それらが真実ではないとわかるくらい、彼らは口を閉ざす。
 6人から5人になったときも、5人が4人になったときも、4人が5人に戻ったときも、6人目の声が聞けるようになったときも。
 彼らは決してファンの手を離さなかった。
 彼らはいつだってファンと向かい合った。
 めそめそと泣いてばかりいるのは違うと思った。
《僕らずっと共に歩こう/永遠なんて言わないからさ/5、60年 それだけでいい》
 ベストアルバムがファンの投票によって選曲された。これは1位に輝いた"STAY"の歌詞だ。ファンのあいだでは言わずもがなの名曲。数ある良曲の中で、これが頂点に輝くのも納得の結果だ。そしてこの歌詞こそが、昔から今も変わらない、たったひとつの願いである。
 ファン以外の世間は知っているだろうか。
 今もなお、彼らのCDが大記録に迫る勢いで売上を伸ばし続けていることを。
 今もなお、彼らの番組サイトに続投を信じるメッセージが届けられていることを。
 今もなお、彼らの56枚目のシングル、新曲を切望する声が上がっていることを。
 今もなお、彼らの解散を撤回してほしいという署名が何十万も集まっていることを。
 今もなお、彼らの言葉を待ち続けている人がいることを。
 
 人気者の宿命なんて一般人にはわからない。芸能界の不条理なんて私たちには見えやしない。
 でも、そんなことはどうだっていい。ただ、彼らと笑っていたい。
 そんなふうに思わせてくれる。
 これまでいろいろな私の『初めて』を引き起こしていった彼らならば、これからの『初めて』だって与えてくれる。
 《じゃあ相手を忌み嫌う前に/そう愛するやりかたがいい》
 勘違いしないでほしいのは、私はファン以外の世間やお偉いさんなんかと争いたいわけじゃない。彼らが歌うやりかたで対峙したいだけだ。
《どんな逆境だって/たのしんでしまえさあ/面白おかしく/俺は勝ち逃げするよ》
 不敵に笑う彼らの"華麗なる逆襲"をただ見せてほしい。それが何年後だとしてもかまわない。

 冒頭のなぞなぞの答え。もう種明かしする必要なんてないだろうけど、一度だけ声高に言う。
 私をはじめ、何人もの心を奪った、世界に一つだけのグループ。
 彼らの名は――SMAP――。
 その偉大な輝きが色褪せることはない。これまでも、これからもずっと。
 そういえば、この『初めて』は実のところまだだった。
 
 これは彼らに贈る『初めて』のファンレターである。


この作品は、第3回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で最優秀賞を受賞した京都府・小泉麦さん(31歳)による作品です。


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