「ロストマン」と「こだま、ことだま」~2016年のBank Band

 音楽に限ったことではないが、「表現すること」を巡る状況は深刻だ。公共放送で過激なパフォーマンスをした結果、国民的なポップ・ロックスターが謝罪することになったり、「音楽に政治を持ち込むな」という論争がSNSを中心に巻き起こったり。当たり前だけど、反戦歌が音楽の全てではない。体制への反抗は根本ではなく、一つの要素だと思う。でも、その一部さえ摘み取られようとしている。暗くて曇っていて底知れない闇が、この国の空を日に日に覆っている気がする。
 小池百合子元防衛相が圧勝することになる都知事選を前日に控えた今年7月30日、石巻で開かれた4年ぶりのap bank fes。中盤、Mr.Childrenのステージに、僕はもやもやした不満を感じた。自分にとっていちばん大切なバンドで、音楽に引き合わせてくれた存在で、十五年近く彼らの楽曲、活動、姿勢を信じ続けてきた。だから、ライブに足を運んでそんな感覚に囚われるのは初めてだった。内容が悪かったわけでは全くない。イントロで幅広い世代の心を一気に掴んでしまう一曲目の“名もなき詩”に始まり、“Tomorrow never knows”“しるし”“シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~”“innocent world”など、J-POPの歴史を紐解くようなセットリストで、最後は小林武史のプロデュースから離れた“足音~Be Strong”というミスチル自身の現在地で締めくくるという完璧な構成。決して曲数が多かったわけではないが、詰め掛けたファン、あるいは熱狂的なファンではないという観客も含めて多くの人を満足させたに違いない。だけど、何か違うものを期待している自分がそこにいた。
 僕がMr.Childrenを好きになったのは2002年、中学1年生の時のことだ。
「例えば誰か一人の命と/引き換えに世界を救えるとして/
 僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ」
 自分を犠牲にして大勢の命を救う人=ヒーロー、というアメリカ的な考え方に対する疑問を呟くような“HERO”の、ポップ・ミュージックとして社会に訴えかけていく力に惹かれた。そしてそんな彼らの音楽が十年以上(現在では、もはや二十年以上)、多くの人に支持され続けているという事実は、生きていく上での心の支えになった。社会の中では他人を理解できないこと、自分が理解されないこと、分かり合えないことと遭遇するのは日常茶飯事だ。でも、全く違う考え方の人の中にもMr.Childrenの音楽は届いている。「息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ」(“終わりなき旅”)と迷いながら、それでも自らの足元を確かめるように進み続ける彼らの音楽に心の拠り所を見つけられる自分は、この世界に存在していてもいいのかもしれない――大げさかもしれないが、僕にとってMr.Childrenの音楽とはそういうものであり続けてきた。
 ap bank fesの少し前、twitterを見ていて引っかかる出来事があった。ミスチルのファンらしき人のアカウントの呟きをぼーっと眺めていたところ、その人が日本に住む外国人に対して差別的な書き込みや中傷を繰り返していることに気付いた。そして、そういう呟きと、例えばMr.Childrenの“終わりなき旅”への共感が交互に綴られているのだ。「こういう人たちの間にも、Mr.Childrenの音楽は迷いなく受け入れられているのか……」。右傾化しているといわれる現在の日本にあって、これだけ支持され続けているということは、ファンの中にもいろんな人がいるのは当たり前だけれど、正直に言ってショックだった。
 ap bank fesは、元は環境問題をテーマに始まったイベントだ。東日本大震災発生後は復興支援として開かれ、常に社会と正面から向き合う音楽の集いであり続けてきた。だからこそ、Mr.Childrenにも一般的な意味でいうところの「メッセージ性の強い」ステージを期待していたのだと思う。「ひとつにならなくていいよ/価値観も 理念も 宗教もさ」と歌う“掌”や、「子供らを被害者に 加害者にもせずに/この街で暮らすため まず何をすべきだろう?」と問いかける“タガタメ”や、「僕が初めて沖縄に行った時/何となく物悲しく思えたのは/それがまるで日本の縮図であるかのようにアメリカに囲まれていたからです」と告白する“1999年、夏、沖縄”のような楽曲が聴けるかもしれないと考えていた。でも、そこで観たのは「誰もが共感できるミスチル」のヒットパレードだった。
 邪推だけど、バンドのフロントマンである桜井和寿は迷っているのかもしれない、と感じた。
「犯人はともかく まずはお前らが死刑になりゃいいんだ」(“LOVEはじめました”)
「駄目な映画を盛り上げるために/簡単に命が捨てられていく/ 
 違う 僕らが見ていたいのは/希望に満ちた光だ」(“HERO”)
「左の人 右の人/ふとした場所できっと繋がってるから
 片一方を裁けないよな/僕らは連鎖する生き物だよ」(“タガタメ”)
 Mr.Childrenは相反する感情を曲ごとに吐露することで、一人の人間の心の中にある二面性や迷いをポップソングの中で表現し続けてきた。いろんな考え方、立場がある中で一つに決めつけることは難しい。その感覚こそが自分にとってはリアルであり、真上から反戦歌を振りかざすような姿勢よりずっと信頼できた。ただ、世の中はどんどん分かりやすく、二者択一の時代になってきている。自分の考えに当てはまらないもの、気に入らないものに対してとかく噛み付き、互いが互いを監視し罵倒し合う息苦しさを、生活やネット社会の中に感じることが頻繁になった。こうした中で社会への疑問や問い掛けを前面に押し出したら、Mr.Childrenはこれまでのような支持を受けられないかもしれない。Mr.Childrenは現在のMr.Childrenでいられないかもしれない……。そうした迷いが、桜井やメンバーの中にあるのではないか。そんなことを考えてしまったのである。
 バンドは昨年、二十年以上ともに音楽を作り続けたプロデューサー・小林武史から独立して初めてのアルバム『REFLECTION』を世の中に放ち、「新しいMr.Children」として歩み始めた。スタジアムツアーの後には、くるりASIAN KUNG-FU GENERATIONらとの2マンツアーに踏み切った。「音楽に政治を持ち込むな」の論争の際に声を上げたアジカンの後藤正文をはじめ、社会的な発言をすることもあるミュージシャンとも共演した。Mr.Childrenを維持していくために断念せざるを得ないこと、彼らにはできないことができるミュージシャンと一つのライブを作り上げることで、何かを託しているのではないか――そんな想像もした。ap bank fesのゲストには、BRAHMANTOSHI-LOWもいたし。過去のap bank fesでは、ゲストが登場するごとにBank Bandのボーカリストとして櫻井和寿がコーラスとギターを担当した。しかし、今回の櫻井はBank Bandがゲストを迎え入れている際もステージには登場しなかった。まるで何かから隠れるかのように。
 Bank Band単独のステージが始まり、Bank Bandの代名詞の一曲ともいえる中島みゆきのカバー“糸”が披露された。Mr.Childrenとは異なる穏やかな櫻井の表情と会場の空気。
「大切な何かを失った男が、道に迷って、でもそこから時が経って新たな出発点に立って旅立とうとする歌」
 櫻井がそう語り、今年Bank Bandが新たにカバーしたのは櫻井自身も心酔していることを公言していたBUMP OF CHICKENの“ロストマン”だった。ここからの数分間は、特別な時間だった。
 BUMP OF CHICKENは、社会で起きている出来事ではなく、ひたすらに自分と対峙する歌を奏でてきたバンドだと思う。“天体観測”は、たとえ明日戦争が始まったところで、意見や立場を問わず誰もが感動し続けることのできる自由さを獲得している楽曲だ。でも、櫻井が選んだのはバンプの代名詞である“天体観測”ではなかった。
「これが僕の望んだ世界だ そして今も歩き続ける/
 不器用な旅路の果てに正しさを祈りながら」
 オフコースの“生まれ来る子供たちのために”や浜田省吾の“僕と彼女と週末に”など社会的なメッセージ性の強い楽曲をカバーしてきたBank Band。2016年に彼らが選んだのは、一聴して社会性とは一線を画すようなBUMPの歌だった。BUMPのファンであると言い続けてきた櫻井。これまでだっていくらでもカバーする機会はあったはずだ。そうしなかったのは、BUMPの楽曲は本人たちが演奏してこそ完成するものだという尊敬があったのかもしれない。でも今年、櫻井はこの歌を歌わなければならなかった。この閉じた歌をBank Bandが演奏することで、社会的な意味が宿ってしまうことを確信していたのかもしれない。あるいは彼自身も今、「迷子」なのかもしれない。大物然とした余裕や風格ではなく、純粋な叫びと狂気を込めて歌う櫻井がいた。「君を失った」の歌詞の意味の先には、後ろで演奏する小林武史がいるようにも感じられる。今年4月の熊本地震でもすぐに自ら被災地に赴いたり、Reborn-Art Festivalも中心になって企画する小林武史。小林との決別は、櫻井にとって単なる音楽プロデューサーからの独立という意味合いを大きく超えたものだっただろう。めったに感じることではないけれど、この日のBank Bandの「歌」はMr.Childrenのそれを超えていた。櫻井の「心の声」に、真に迫っているような気がした。ただの迷子ではない。間違った旅路に足音を踏み鳴らす強い迷子だ。現在地は、震災で一度は瓦礫になった場所だった。
 “ロストマン”の演奏が終わり、櫻井が一人ずつメンバー紹介した。最後に紹介されたのは小林。櫻井は「尊敬します」と声を詰まらせた。泣いているようにも見えた。そこは櫻井と小林の、ほんのひとときの再会の場だった。
 最後に演奏されたのは小林が作曲、櫻井が作詞したBank Bandの新曲“こだま、ことだま”。イベント前に先行で配信された楽曲を聴いて僕は、あまり好きになれない印象を受けた。小林の描くポップと櫻井の描くポップがうまく混じりあっていないような、ちぐはぐな感じ。かつての“to U”や“はるまついぶき”のようなシリアスさはなくて、空元気が音になったような曲だと認識していた。だけどそれは間違いだった。
「錆び付いた空を
 赤い目をした僕らが見てた/
 大好きな歌さえ
 不意に優しい響きなくした」
 櫻井の、張り上げながらもどこか醒めた現実感の漂うボーカルに乗る切実な歌詞。東日本大震災の景色や、音楽さえも自由に響き渡ることが難しくなっている現代という時代をなぞる言葉。小林をはじめとするBank Bandの奏でる演奏は、それを深刻に煽るのではなく、むしろ爽やかな行進のように仕立てていた。はっとするような言葉と、それを忘れさせるような明るい演奏。これが今の、櫻井和寿にとっての社会と向き合う音楽なのだ。空元気のような明るさの裏に悲しみが潜んでいる。あきらめの中に、意志がこだましている。小林との一瞬の再会を経て、桜井は再び時代や社会と向き合う勇気を得たのかもしれない。
 特別な一日だった。今ある社会と音楽の状況が、光景と音だけでひりひり伝わってくる。言葉や表現が狩られる時代。櫻井は今、ポップ・ミュージックでそこに立ち向かおうとしているのだと思った。ここがその出発点だ。彼はそこで歌う「いつか」と、Mr.Childrenとして向き合うのかもしれない。
「『泣きそう』 『負けそう』/そんな日もあるけど/
 君を抱きしめると/強くなれる
 傷を撫であい/いつか響きあえる」


この作品は、第2回音楽文 ONGAKU-BUN大賞で入賞した沖田灯さん(27歳)による作品です。


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