生きた証、ここに - アヴィーチーのニューアルバム『TIM』の存在意義を問う

先日アヴィーチーのニューアルバム『TIM』が、全世界同時発売された。
CDアルバムの発表というのは通常、アーティストにとって最も重大なトピックとして語られることが多い。先行PVとして公開された楽曲の大半が収録されるだけでなく、アルバムを携えたツアーの開催にも繋がる……。いわばCDアルバムという媒体は、アーティストの名刺代わりにもなり得るほどに意義深いものなのだ。
それは世界的成功をおさめたアヴィーチーにとっても例外ではなかった。アルバムがリリースされるたびに彼の名前は世界を駆け巡り、名声と圧倒的な評価を得た。生前にリリースされた2枚のアルバムである『True』、『Stories』はどれも莫大な売り上げを記録。世界各国のゴールドディスクを多数受賞にするに至った。
いつしかEDM界隈において不動の地位を確立したアヴィーチー。インタビューやライブで表舞台に立つ彼は、いつも笑顔だった。その姿を見るたびにファンは皆思ったはずだ。彼の人生は順風満帆であると。
しかし2018年4月20日、アヴィーチーことティム・バークリングは突然この世を去った。詳しい死因は謎に包まれているが、家族のコメントを紐解けば彼が自ら命を絶ったことは明白だった。
そう。彼は精神を蝕まれていたのだ。ライブ・ツアーからの引退を表明したのも、メディアから姿を消したのも、全ては心の疲弊が原因だった。彼が亡くなる前に公開されたドキュメンタリー映画『AVICII:TRUE STORIES』では、「肉体的にも精神的にも限界だった」と語りながら医療用ベッドに痛々しく寝転ぶ姿も見られた。彼の輝かしい成功の裏側には、常に闇に包まれた一面があったのだ。
だが僕たちファンはそんなことは露知らず、アヴィーチーの復帰を切望し続けた。偽りの仮面で本心に蓋をしながら表舞台に出続けていた彼のSNSには、更なるリリースを催促したり、世界規模のツアーを嘆願する声が多く寄せられた。
言い換えればアヴィーチーの心境と相反するDJ活動の再開を望み続け、多大なプレッシャーとストレスを与えてしまったという意味では、彼の命を奪った間接的な加害者は僕たちファンであったとも言えるだろうと思う。
彼がこの世を去ってから……いや、おそらくはその前から、音楽シーンは緩やかに変遷していた。特に音楽の広がり方はより多面的になり、Spotifyを筆頭としたストリーミングサービスの普及も手伝い、SNSを通じてヒットを生み出す手法が確立し、黒人差別問題や現政権に対し、はっきりと反対の意思を唱える歌詞が多く見受けられるようになった。
EDMへの影響も少なくない。アヴィーチーが得意としていたようなアッパーな楽曲は今や若干の下火となり、メロウかつ低速のミドルチューンが人気となった。かつて共にシーンを先導してきたカルヴィン・ハリスでさえ、最新アルバムにおいては終始大人びたムードで進行するほどに、脱EDMの流れは深刻なものとなっている。
そんな大きく様変わりした環境下で、僕は思った。「もしアヴィーチーが生きていたらどんな曲を作るんだろう」と。彼の手にかかれば、間違いなく今の音楽シーンの流行を押さえつつ、かつ素晴らしい楽曲を生み出してくれることだろう。だがそんなことは所詮たらればに過ぎない。彼はもうこの世にいないのだから。
……さて、そんなこんなですっかりダウナーな心境となっていた僕の元へ突如飛び込んできたのが、冒頭に記述した、アヴィーチーのニューアルバム『TIM』の一報である。
このアルバムには彼が生前に大部分を練り上げた全12曲が収録されている。細部を補完したのはかつてのプロデューサー陣。アヴィーチーの本名が冠されたこのアルバムは彼と共に歩んできた大勢の協力の末、完成へと漕ぎ着けたのだった。
しかしながら、重要なのはその内容である。今作はいわば遺作とも呼ぶべき代物で、オリジナルアルバムとしては3年8ヶ月ぶり。その間には上で記したような音楽市場の変遷があり、彼の体調も芳しくない状態が続いていた。
鬼が出るか蛇が出るか。発売日当日に購入した僕は、期待と不安が入り交じった心境で再生ボタンを押した。
〈敬愛する社会よ 君はあまりに変化が早すぎる〉

〈僕にとっては早すぎる 一休みしたいだけなんだ(和訳)〉
オープナーを飾る『Peace Of Mind』がゆっくりと流れ出す。『Peace Of Mind』は、今や当たり前となったSNS社会に疲弊する心情が具体的に描かれるミディアムチューンだ。強いメッセージ性もさることながら、新機軸とも言えるサウンドの変化にも驚かされる。
ギターと打ち込みを多用し、音像以上に歌詞に重点を置いて進行する作りは、我々が思い描いていた『アヴィーチーっぽさ』とは少し異なる。しかし何度も繰り返し聴けば、そこには確かに彼が得意とするダンサブルな一面も垣間見える楽曲に仕上がっている。
他のトラックも総じて完成度が高い。インド音楽を大胆に取り入れた『Tough Love』や、坂本九の『上を向いて歩こう』のサビ部分を参考にした『Freak』、映画の劇中歌として流れていても遜色ない壮大な『Heart Upon My Sleeve』……。どれもが魅力に溢れ、鼓膜を刺激する。まさしく『今』のアヴィーチーが鳴らしたかった音がそこにあった。
中でも個人的に心打たれた楽曲は、2曲目に収録された『Heaven』だ。
〈僕は死んでしまったと思う〉

〈死んでしまったんじゃないかな〉

〈ああ 死んでしまったよ〉

〈死んでしまったと思うんだ(和訳)〉
タイトルにもある通り楽曲のテーマは『天国』である。初期の彼を彷彿とさせるサウンドに乗せて歌われるその内容は、長年のファンであれば込み上げるものがある。
続くサビ部分では「天国へ行ったんだ」と繰り返し歌われる。ディレクターを務めたケイティ・ベイン曰くこの楽曲は以前より完成していたとのことだが、それでもまるで死を予期していたかのような言葉の数々には、グッときてしまう。
……今回収録された12曲を聴いていると、確かに当時の精神状態の悪さやサウンドの独創性が際立って見える感も否めない。しかしながら総合的に考えると、今作は純粋に『アヴィーチーのニューアルバム』として良作であり『遺作としての価値』も存分にある、後世に語り継ぐべき名盤と言える。
更に付け加えるとするならば、今作は我々ファンに対する最大級の感謝の念が込められた作品であるとも思うのだ。
アルバムをほぼ完成直前にまで高めた状態において、この世を去ってしまったアヴィーチー。結果的には無事リリースに至ったが、彼の音楽を公表せず永遠に眠らせておく選択肢もあったはずだ。今作は実質的なアヴィーチーのラスト・アルバムの様相を呈しているものの、アルバムの完成形を作曲者であるアヴィーチー自身がGOサインを出していない状況を鑑みるに、100%彼の意に沿う形となったわけではないのかもしれない。
だが母親であるアンキ・リデンとプロデューサー陣は、あえて楽曲を公表する決断を下した。そこには『彼の生きた証を後世に残す』という思いがあるのはもちろんのこと、それと同じレベルで彼を愛し、楽曲に陶酔してきたファンへの思いも含まれている。
繰り返すが、このアルバムは名盤だ。おそらく僕たちは今後一生『TIM』を聴くたびに興奮と感動の渦に飲み込まれ、そして彼の存在をふと思い出し、喪失感を覚えるのだろう。
アヴィーチーはもういない。今後新曲がリリースされることも、ライブで彼が猿臂を伸ばして掌握運動の如く盛り上げる光景も、二度と起こり得ない。だからこそ僕らはある種の鎮魂歌として、そしてある意味では贖罪として、今作を愛し続ける義務と責任があると思うのだ。
今一度声を大にして伝えたい。ありがとうアヴィーチー。あなたは偉大で、最高の音楽家だった。


この作品は、「音楽文」の2019年7月・入賞を受賞した島根県・キタガワさん (24歳)による作品です。