今週の一枚 ケシャ『レインボー』


ケシャ
『レインボー』

8月11日(金)発売



『ウォーリア』以来5年ぶりとなるケシャの新作『レインボー』。今回のタイトル曲となった“Rainbow”についてケシャは嵐の後には虹が出るものだからと曲の内容について説明しているが、まさにそんな闘争の果てについに実現した作品だ。

よく知られているようにケシャは自身を発掘し、大ヒットとなったファースト『アニマル』や『ウォーリア』のプロデューサーを務めてきたドクター・ルークに対して2014年に性的暴力や暴行、性的嫌がらせなどさまざま被害についての訴えを起こしていて、訴訟はまだ係争中のままとなっている。一部の訴えはドクター・ルークに有利に進んでいるが、ピンク、アヴリル・ラヴィーンケイティ・ペリーリアーナピットブルらの楽曲を手がけてきたドクター・ルークにとってケシャは一から育てた秘蔵っ子だったのに対して、ケシャはドクター・ルークの支配から逃れないと自身の才能を成長させることができないと危機感を募らせたということなのだろう。

実際、ケシャ側の性的暴行などの訴えについては今のところ棄却されているが、ケシャがさまざまな被害を申し立てていることによって、むしろモラル・ハラスメントがそれ相当にあったことを窺わせるものになっている。

そういうわけで、今作はドクター・ルークのレーベル、「Kemosabe Records」からリリースされるものの、ドクター・ルークの関与や影響は一切排除したものになっていて、真にケシャのアーティスト性を初めて打ち出した内容となっている。もともとケシャは『ウォーリア』でも自身の本来の影響を打ち出すつもりだとしていたが、今回はエレクトロ=ダンス=ポップ路線から離れた、純粋にシンガー・ソングライター的な楽曲と作風が軸となっていて、かねてから望んでいた路線をついに実現したという作品になっている。

また、ケシャは本来的には自分はもっとロックからの影響が強いということをかねてから明らかにしていたが、オープナーのギターによる弾き語りバラードで、誰にも屈服しないという強固な意志を歌い上げる“Bastards”はまさに自身の今の心境を自分本来の音楽性でもって宣言する楽曲となっていて、裁判での勝ち負けとは無関係に、これでようやく自分は解放されたのだという喜びを伝える楽曲となっている。

さらに、「なんとでも言わせとけ、好きなことやればいいんだよ」とギター・リフでたたみかけていく“Let ‘Em Talk”などではザ・イーグルズ・オブ・デス・メタルとの共演も果たし、ついにロックを本格的に鳴らしたという歓喜に溢れた作品になっているところがどこまでも喜ばしい作品になっているのだ。

その一方で“Woman”ではザ・ダップ・キングス・ホーンズとの共演を果たし、ファンキーなR&Bも存分に聴かせてみせるが、「わたしは女なんだけど、なんか問題ある?」というこれまたこの数年にわたるケシャ自身の心境を吐露する楽曲になっていて、この力強さと楽曲のバリエーションが素晴らしいし、どの趣向の曲でもとても聴きやすくポップに仕上がっているところが、なによりもケシャが本来から持ち合わせていた才能を開花させた内容になっている。

あるいはやはりイーグルス・オブ・デス・メタルとの共演となる“Boogie Feet”でもエキセントリックなケシャのパーソナリティとパフォーマンスがごく自然な形で発散されているのも楽曲として大成功だと思うし、アルバム全体がそうした意味でケシャ本来の魅力をついに発露させた見事な作品になっている。

ストーリー的に最も感動的なのは“Old Flames (Can’t Hold a Candle to You)”で、実はこの曲はケシャの母親でソングライターのピービー・セバートがかつて70年代に書いたカントリー曲で、その後カントリー界の女王ドリー・パートンがカバーしてチャート1位曲になった名曲。この曲をあらためて娘ケシャがカバーし、ホイットニー・ヒューストンの大ヒット曲“I Will Always Love You”の原作者としても有名な大御所ドリーも客演しているのだ。もともと今回のドクター・ルークとの騒動はケシャが摂食障害のせいでリハビリ施設に入所したことがきっかけとなっていて、母ピービーが娘はまともに扱われていないと告発を始めたことから始まったことだった。自分のソングライターとしての素質は業界に育てられたものではなく、母の娘だからやっているんだという自分の出発点を再確認するカバーなのだ。

というわけで、シンガー・ソングライターとしての自分の再発見と、ある意味では真の意味でのアーティスト、「ケシャ(ちなみに名前の英語の綴りのSをドル・マーク〔$〕にするのをこのアルバムからやめている)」の誕生を祝うような今回のサード・アルバム。ファーストのイメージからはかけ離れるものかもしれないが、これはまったく新しい才能の発現と捉えるべきで、本人がもともとこっちを望んでいたのだからこれほど喜ばしいことはないだろう。もちろん、サマーソニックでも注目するべきは今現在の彼女の解放感とこの潑溂としたヴァイブだ。今後、お蔵入りにされたザ・フレーミング・リップスとのコラボレーション・アルバムなども再浮上する可能性もあるかもしれない。
(高見展)