7月8日(土)公開の映画『メアリと魔女の花』主題歌として書き下ろされた“RAIN”。
冒頭の《魔法は いつか解けると 僕らは知ってる》という決定的なラインについて、Fukaseは現在発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』8月号の巻頭インタビューで「僕の中ではどう作ったかわからないぐらい、もう、その映画のストーリーを観た時に、その中にあった感じだった」と語っていたのが印象的だった。
音楽という刹那の時間芸術=「いつか解ける魔法」と日々向き合い続けるセカオワの4人にとっては、ごく自然に血肉化されていた命題だったということかもしれない。
何より、“RAIN”で最も画期的だったのは――これまで自分たち独自のルールで、自分たちにしか使いこなせない言葉やアレンジの「魔法」でポップの奥義を繰り出してきたセカオワが、誰でも手の届くフィールドで、誰にでもマスター可能なルールと技で闘っていることだ。
曲の随所に導入されたダルシマー(弦をバチで打って音を出す弦楽器)の音色を除けば、美麗なピアノ/ストリングスがきらめく、ミドルテンポのやわらかなバンドサウンド――つまり、これまで幾多のミュージシャンが名曲を生み出してきた、あまりにもオーソドックスなポップスのフォーマットである。
そこで紡ぎ出されるのは、それこそスタンダードナンバーと呼びたいレベルで開かれた、誰が口ずさんでも景色の色が塗り替わるような普遍性と妖力を備えたメロディだ。
そして、そんな珠玉のメロディを、他のどんな歌い手よりも情感豊かに、映画の主人公=メアリや登場人物のみならず、その歌に触れる僕らひとりひとりの心に寄り添うように歌い、豊潤なまでの包容力を体現してみせるFukase――。
今のセカオワのポップが持つ、凄味と言ってもいいくらいの揺るぎない強さが、よりいっそう眩しく美しく際立っている曲だし、その歌からはFukaseのボーカリストとしての決意と矜持がダイレクトに伝わってくる。
カップリングの“スターゲイザー”では一転、マシンボイスのコラージュのようなハイブリッドなボーカルトラック越しに《叩けば物は壊れるように/罪人が法で裁かれるように/多数派がいつも勝っていくように/怒鳴れば君が泣くように》と今この時代のヘヴィネスとロマンをミステリアスに結実させている。
開放されたフィールドでも閉塞の奥底でも、無敵のポップクリエイターであり続けるセカオワ。真の「音楽の魔法」は、手段ではなく核心にこそ宿っている――ということを、どこまでも鮮やかに証明する1枚だ。(高橋智樹)