これまで生み出してきたフルアルバムに『narimi』、『woman's』、『mothers』と女性詞を付けてきたMy Hair is Badが、6月26日(水)にリリースする4枚目の作品に『boys』と名付けた。そのことに加えて収録曲13曲が全て未リリースの新曲だとアナウンスされ、「マイヘアが転換期を迎えている」という確信と期待で胸を高鳴らせながらこの日を待った。しっかりと高めのハードルを準備した上で聴いた今作。これはもう迷わずに言い切れる。ブッチ切りで過去最高の「3ピースバンド・My Hair is Bad」のアルバムだ。
ストリングスを交えた壮大なバラード“化粧”やユニークなエフェクトを効かせた“one”、“怠惰でいいとも!”に含まれるサウンド的な新要素はもとより、メロディの良さがこれまでとは一線を画している。My Hair is Badの「歌詞の良さ」は彼らの強みでもある反面、「そこで終わってしまうのではないか?」という怖さでもあったはずだ。その怖さを払拭するべく、音の作り方を変えた上で「もっと高く、遠くに行きたい」という意志が如実に伝わってきたのが前作『hadaka e.p.』だったし、その時にも椎木知仁(G・Vo)は「メロディをもっと良くしたい」と言っていたことを覚えている。けれど正直、ここまで「バンドサウンド」として圧倒的に良くなってくるとは思っていなかった。キメや溜めのタイミング、アレンジ全てにおいて「歌詞を聴かせる」だけではなく「バンドの音でしこたま鳴らせて、その上で歌詞を聴かせる」という成熟さが伝わってくる。ただ衝動に任せてバキバキに鳴らしまくるでも、歌詞を際立たせるためにグッと堪えるでもなく、そのド真ん中の気持ち良いところを射抜いた音が鳴っているし、「こうしていきたい」という3人の意志の疎通がなされた上で、3人各々の音がきちんと輪郭を持っている。それが13曲中の数曲ではなく、しっかり13曲。アルバムを通して聴いて、確かにここには既存の楽曲を入れることはできないよなぁと「全曲新曲」という内容に納得した。
そして、そうした「もっと先へ行きたい」というバンドの意志は、椎木の歌詞にも「俯瞰性」として表れている。恋愛の渦中の混沌とした心中や自身の潜在意識を主にサルベージしてきた以前の彼だったら、“舞台をおりて”や“芝居”のように「役」という概念は出てこなかっただろう。「役=誰にでも成り代われる」ということを恐れずに歌詞にすることができたのは、彼がより広い視野で物事を見るようになったことの表れであると同時に、表現の可能性を広げた証拠でもある。だからこそ、地元・上越での生活を7分超えのポエトリーリーディングテイストで柔和に歌った“ホームタウン”のような、「自分と故郷」についてもじっくり書くことができたのだろう。これまで培ってきたひとつの心情を深く掘り下げていく力に加え、遠くをより広く捉えることができる視点が加わった彼が描く「夏」を歌った“君が海”や《歳を取る その前に ちゃんと残しておきたかった/青がわかるうちに》と目的を明確にした“青”からも、「過去に縛られる」のではなく「過去を思いやる」という心の余裕が感じられる。部屋に干されているのが《体操着》の頃のことだろうと、大人になり付き合った恋人の部屋で使った《バスタオル》(“化粧”)の頃のことだろうと、時間の経過や視野の範囲の変化は椎木の描写力に影響することはないのだと安心した。以前「椎木の歌詞は男女の性差を超える」という旨の記事を書いたが、今作で椎木は主観と客観のどちらも描けるということがわかったし、「人間」を描いていく上でこれほどの強みはないだろうなと思う。
《今の僕が予告編になるような/長い映画を撮ることに決めたんだ》(“芝居”)――広角レンズのカメラと、「ハッピーエンドにする」という方向性だけが決まっている白紙の台本。そして、酸いも甘いも経験した上で更なる向上心を持った役者の準備は整った。後はもうフィルムを途切らせることなく、臆せず突き進んでいくだけ。そんな決意を持ったMy Hair is Badの新しい章の始まりを感じさせる「傑作」と呼ぶに相応しい作品だ。そしてこの13曲が、上映会とも言えるライブでどう鳴っていくのかも楽しみで仕方ない。(峯岸利恵)