今週の一枚 欅坂46『不協和音』

今週の一枚 欅坂46『不協和音』

昨年4月のデビューシングル『サイレントマジョリティー』、さらに『世界には愛しかない』『二人セゾン』と立て続けにリリースしたシングル3作品によって、欅坂46は驚くほどのスピード感でその唯一無二の存在感を確立するに至った。

その理由を「青春期の危うさや反抗心を体現する新たなアイドル像を提示したから」ともっともらしく説明するのは簡単だが、欅坂46の音楽を聴きパフォーマンスを観ていると、むしろ彼女たちのアグレッシブなアクトが、リスナー/オーディエンスである我々の中に潜む(あるいは時系列や日常の奥底に埋もれていた)青春性を掘り起こし曝け出させるだけの熱量とテンションを備えているから、と言う方が断然近いと思う。

そして――今回新たにリリースされる4thシングルの表題曲“不協和音”は、まさにその決定打だ。

EDM直系の切迫感あふれるダンスアレンジと、《君はYesと言うのか/軍門に下るのか》《反論することに何を怯えるんだ?》などなどポップの対極にあるようなフレーズの数々がせめぎ合い乱反射し合う楽曲世界。
アイドルグループのダンスの振り付けとしては明らかに異質な、不穏な心の蠢きと闘争心をそのまま具現化したようなパフォーマンス。
それらが渾然一体となって描き出すのはしかし、《不協和音を/僕は恐れたりしない/嫌われたって/僕には僕の正義があるんだ》という蒼きアンセムとしての輝きであり、世の中の事象を斜に構えて受け流そうとするシニシズムすらも貫き通すほどの訴求力だ。

そもそも「不協和音」とは、「和音」という共通概念があることを前提としている言葉だ。ふたつ以上の音は「当然のものとして」和音=ハーモニー/コードを構成するべきものである、と。
しかし、たとえば鍵盤を勢い任せに叩いてみたり、チューニングの外れたギターを適当にギャーンと弾いてみたりした時に、それが耳に心地好い和音になっている確率は、突拍子もない不協和音が鳴る確率に比べて格段に低いはずだ。
「不協和音」がイビツなのではなく、和音が構成されること自体が、ある種の統制に基づいた特殊な現象である、ということだ。
表向きの耳障りのいい和音を保つために自らのアイデンティティを歪めるよりも、たとえ不協和音であっても自分の音を鳴らせ――というアティテュードを、《ここで主張を曲げたら生きてる価値ない》という“不協和音”の歌詞はダイレクトに伝えてくる。

平手友梨奈の《僕は嫌だ》の宣誓が強烈な印象を残すこの“不協和音”しかり、“サイレントマジョリティー”“大人は信じてくれない”しかり、欅坂46の世界観には「社会/時代への違和感」というファクターが色濃く存在する。
かつてはロックバンドやパンクバンドが社会の異端児として発していた違和感の表明を、欅坂46は紛れもなく今この時代の表舞台で行うことで、ポップシーンに侵攻しシーンの概念を覆しつつある――そんな「トロイの木馬」の如き欅坂46の革新性が、いよいよその真価を発揮しつつあることがはっきり窺える1曲だ。(高橋智樹)
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