今週の一枚 ドレスコーズ『1』

今週の一枚 ドレスコーズ『1』

ドレスコーズ
『1』
2014年12月10日発売



このアルバムに入っている“スーパー、スーパーサッド”のPVで、
志磨が朝遅く起きてスエットのままふらふら公園に行って、コンビニで買ったパスタを食べるシーンがある。
僕はそのシーンが好きだ。
特別な何かなど無い退屈な朝に、
寝ぼけた頭のまま公園へ行って馬鹿みたいに晴れた空の下でコンビニのパスタを一人で食べる。
誰でもよくやることだ。

そんな時に感じる、すべてを失ったような、すべてと繋がったような感覚。
自由でもあり、孤児のようでもある感覚。
志磨が作る音楽には必ずその感覚がある。

パスタを食べ終わった後、志磨はスマホをポケットから取り出して歌を吹き込む。
やっぱり志磨は、そんな場所から音楽を生み出すのだ。

アーティストに対して「闘う」っていう言葉は似合わないかもしれないが、
アーティストが闘う姿って、一見間が抜けているようにも見える、こういう姿だなと思う。



メンバーが抜けてしまって、志磨がほぼ1人で作ったアルバム。
悲しみに満ちてるのかな、寂しさに溢れてるのかな、と思ったがそんなものはなかった。
ただ志磨遼平が一人でいた。

志磨は何かに負けたのだろうか。いや、どの歌もそんな風には全然聴こえない。
志磨は負けない闘いを闘い続ける天才だ。



志磨は何と闘っているのだろう。それは「世界」だ。


ロックは「世界」と闘うための音楽だ。
志磨はそのことを最初から熟知している。
そして、「世界」に対してけして負けない闘いを闘うためのたった一つの方法は、美しい音楽を作ることだ。
音楽じゃなくてもいい。映画でも絵でも文学でも構わない。
その人にしか作れない美しい芸術をこの世界に生み出すこと。
そのためにいつも自由な、そして孤児のような感覚の中にいること。
つまりたった一人になること。
それだけが、けして負けることのない、「世界」との闘い方だ。

それを今回は文字通り一人でやった。それだけのことだ。
志磨はある意味、冷めていると思う。



シーンと闘っているバンドは数多くいる。業界と闘っているバンドも、クオリティーと闘っているバンドも、人間関係と闘っているバンドも、イデオロギーと闘っているバンドもたくさんいる。
でも、「世界」と闘っているバンドは何かが違う。
声に違和感があり、アレンジに狂気があり、歌詞に自由があり、曲が暖かく、
そしてその姿勢は毅然として、存在感はせつない。
毛皮のマリーズにもドレスコーズにもその全てが当てはまる。
志磨一人になってもそれは同じだ。


「世界」と闘うということは、メンバーがみんな抜けてしまったあとでこんなに美しいアルバムを作ることである。
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