今週の一枚 amazarashi『虚無病』

今週の一枚 amazarashi『虚無病』

amazarashi
『虚無病』
2016年10月12日発売

今年2月にリリースされた3rdフルアルバム『世界収束二一一六』で、「このまま進めば100年後に終わりを迎える僕らの世界」のビジョンを通して、ありとあらゆる分岐点に差しかかった「今」の危うさとシビアさをコンセプチュアルな物語性越しに指し示したamazarashi。
そして――『世界収束二一一六』後初の音源となる新作ミニアルバムのタイトルは『虚無病』。時代の空気感そのものを言い当てた言葉でもあり、秋田ひろむが描き続けてきた世界に流れる通奏低音のキーワードでもある。文字通り、秋田ひろむがamazarashiの核心をダイレクトに抉り出したような手触りの作品だ。

今作は、秋田の同名書き下ろし小説(初回生産限定盤に封入されている)の内容と密接にリンクしている。
2016年10月15日に第一患者が確認された病=「虚無病」はメディアを媒介として瞬く間にパンデミック状態となり、ライフラインが次々に止まり新興宗教が蔓延するカオスの中で、やがて主人公は「虚無病」が発症するトリガーに気がついていく――といった小説のストーリーが、このミニアルバムの5つの楽曲と響き合いながら、抗い難い切迫感の渦へと聴く者を巻き込んでいく。

《僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから/満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから》――2013年に中島美嘉のシングル曲として提供した“僕が死のうと思ったのは”のセルフカバーで幕を開ける今作。
満天の星空をそのままアコギとピアノの音色に置き換えたような清冽な風景に、《天の川は星々の葬列》と死のイメージを妖しく麗しく重ねた“星々の葬列”。時代の荒波の中で、ありったけの情熱と衝動を糧に「私」の在り処を確かめようとする“明日には大人になる君へ”。そんな微かな光の気配は、《オーバーテクノロジーと心中して 生け贄 犠牲 人間性》(“虚無病”)、《勝つか負けるか 上か下か そうじゃない 賞金も勲章もない もはや生存競争だ》(“メーデーメーデー”)という凄絶な流れにかき消され、「正気であろうとすればするほど病んでいく」という逃れようのないアイロニーがくっきりと浮かび上がる。

僕らが直面する真実と真理を残酷なまでに鮮やかに描き上げていく秋田の歌にはしかし、真実を「暴く」とか「解き明かす」といった痛快さやエクスタシーは皆無だ。
時代を超越した預言者としてではなく、まぎれもなく今この時代を生きる者としての苦悩と痛みを抱きながら、それでも彼は渾身のイマジネーションの力でもって、時間も空間も超えた「本当に大切なこと」を探求し、手を伸ばし続けている……という彼の表現者としての在り方を、今作は明確に伝えてくれる。

なお、前述の「虚無病」発症日=2016年10月15日はまさに、幕張メッセ イベントホールで行われる全方位形式のワンマンライブ「amazarashi LIVE 360°『虚無病』」の当日。
これまでステージ前面にスクリーンを張って映像演出とともにライブを展開してきたamazarashiだが、今回はイメージメッシュ(透過性LED)を全面に配置、小説『虚無病』の朗読とともに全編最新の映像を駆使して行われるというライブはいよいよ今週末。音楽史上に残る鮮烈な体験になるに違いない。(高橋智樹)
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