【今週の一枚】サカナクションの2枚組アルバム『834.194』から浮かび上がるサカナクションという物語の全貌

【今週の一枚】サカナクションの2枚組アルバム『834.194』から浮かび上がるサカナクションという物語の全貌 - 『834.194』『834.194』
何度聴いても驚きがあり、何度聴いても発見がある。“新宝島”や“さよならはエモーション”など、繰り返し聴いたはずの曲でも、このアルバムのなかに入ると「そうだったのか!」と思う部分がある。今まで一枚の絵として見ていたものが、実は奥行きも高さも持った立体像であったことに気づくようなアルバムだ。

前作『sakanaction』から約6年ぶり、というのがこの『834.194』というアルバムの枕詞のようになっている。それは確かに事実だし、実際にその6年という時間のなかで生まれたバンドと音楽シーンの変化がある意味でこのアルバムを生んだというのもそのとおりなのだが、実はこのアルバムに込められているのは、その「たった」(とあえて言う)6年という時間だけではない。ここには、サカナクションが結成されてからの14年、さらにいえば山口一郎(Vo・G)が音楽を始めてから今までの長い歴史が、まるで地層のように積み重なっているからだ。そう、今作のアートワーク(アーティストデュオ・Nerholが、積み重ねた写真から削り出してこのアルバムのために作った彫刻作品が使われている)がそうであるように、『834.194』が浮かび上がらせるのは、それぞれ違う時間軸が重層的に描き出すサカナクションという像だ。

2枚のディスクのラストに、“セプテンバー”という楽曲が「東京 version」と「札幌 version」というバージョン違いで収められていることからも分かるとおり、「東京」と「札幌」というサカナクションにとって重要なふたつの土地が今作のコンセプトになっている。前身バンド時代に作られた“セプテンバー”から今作でいちばん最後に作られたという“茶柱”まで、長い時間のなかで生み出されてきた楽曲たちを音楽的な必然のもとに並べたとき、自然と浮かび上がってきたのがそのコンセプト、そして2枚組というフォーマットだったということだろう(曲が多すぎてCD1枚に入り切らないという物理的理由もあったと思うけれど)。

サカナクションのアルバムにおいて、初めてそうしたコンセプトを導入したことによって、サカナクションの音楽が持つ多面性がはっきりと「見える」ようになった。逆に言えば、「東京」と「北海道」というコンセプトは、あくまで振れ幅の大きな楽曲と、それを生み出したサカナクションの姿をわかりやすく伝えるための「ツール」として採用されたとも言えるのだ。

つまりこの『834.194』は、時間と空間の移ろいの中で変化し続ける音楽的有機体としてのサカナクションの全体像を、サカナクション自身が初めて具体化して提示するアルバムなのである。“新宝島”や“忘れられないの”、“陽炎”などグルーヴィーだったりアッパーだったりする楽曲から、“グッドバイ”や“ナイロンの糸”など、パーソナルで内省的なタイプの楽曲まで、今作に収録された曲の振れ幅はとてつもなく大きい。と同時に、このコンセプチュアルな「箱」に収まることで、それらの楽曲はあるひとつの物語の上に位置していることもはっきりと分かる。その、揺れや振れ幅をもった物語こそがサカナクションだ。明確な狙いを持って突き進み、オリコン1位という快挙を成し遂げた前作『sakanaction』を経て、そこからもう一度進んでいくためには、その揺れや振れ幅も含めてサカナクションとは何かを捉え直さなければならなかった。この6年というインターバルは、そのために必要な時間だったのだ。(小川智宏)
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