クリープハイプという迷宮の至る所に入口の扉があって、ひとたび中に足を踏み入れると、飛び出す銛や針山のトラップが待ち受けている。銛や針山にはご丁寧にも馬鹿でかいカエシと毒が仕込まれており、運良く生還したとしてもすでにあなたは立派なクリープハイプ中毒者だ。歌いにくいことをこの上なく饒舌に歌い、クリープハイプと「ポップ」という語義矛盾が解消されてしまった大傑作。それがアルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』である。
尾崎世界観が楽曲提供し豪華シンガーによって制作された“栞”はクリープハイプVer.として、また“陽”はオリジナルバージョンとも谷口鮪(KANA-BOON)とのコラボバージョンとも異なるリメイクで生まれ変わり、いくつものタイアップ曲がそれぞれにアルバムの1ピースとして機能している。しかし、事前にシングルとしてリリースされていた楽曲は“イト”1曲のみ。NHK『みんなのうた』“おばけでいいからはやくきて”は1日限定のフリーダウンロード公開に留まった。
話題性の高い楽曲を数多く抱えながら、しかしクリープハイプはアルバム単位で、バンドの表現世界に深く入り込んで欲しいと願った。そのためには、尾崎の大掛かりなメディア露出などの努力も厭わなかった。リスナーとのより広く深い対話のために、どうしてもアルバムの情報量で触れてもらう必要があったのである。
では、クリープハイプがこの『泣きたくなるほど嬉しい日々に』というアルバムを通して伝えたいものは何なのか。それは例えば、《「やり直そう」をやり直してしまう いつも素直じゃないから/「そんな所も好きだ」って 前言ってなかったっけ》(“お引っ越し”)や、《夜中のコンビニも 駅の喫煙所も/ゆらゆら揺れて見えなくなったよ/2人のついでより 煙草を買うついでみたいな/2人だった》(“禁煙”)といった、綺麗事では済まされない「後味」である。
放っておけば都合よく編集され記憶の引き出しに仕舞い込まれてしまいそうな感情を、わざわざかさぶたをひっぺがすようにして覗き込んでみせる。そうでもしないと、本当の話はできないからだ。クリープハイプは今までもずっとそれをやってきたのだけれど、今回のアルバムではバンドとして奏でるバラエティ豊かな曲調も、ホーンやストリングス、プログラミングなどを駆使したリッチなアレンジも、すべてリスナーを本当の話へと導くために突き詰められている。
尾崎の小説『祐介』から前作アルバム『世界観』の最終ナンバー“バンド”にかけて、クリープハイプというバンドが音を鳴らし、歌う必然の物語は描き切った。そこから先は、クリープハイプとリスナーがより深い対話を育んでいかなければならない。この歌の生々しい後味の向こうに、この手を尽くしたサウンドのどこかに、あなたは必ずいる。そんなふうにして、この全14曲のアルバムは制作されたはずだ。
抜き差しならない毎日の中で、我々が素敵な気分でいられるのは、音楽が鳴っているその瞬間だけだろうか。《誰かが決めた記念日に 散々付き合ってきたんだから/一日くらい どうか好きに 特別な日にして欲しい》。そんな歌い出しから始まるナンバーは“燃えるごみの日”だ。さんざん心の内を引っ掻き回しておきながら、クリープハイプ『泣きたくなるほど嬉しい日々に』の後味は、すべての人に輝かしい一日を連れてくるのである。(小池宏和)