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    今週の一枚 くるり

    今週の一枚 くるり

    くるり
    『THE PIER』
    9月17日発売



    90年代後半から音楽シーンに新たな領域を切り開いてきたくるりが、
    ディケード(10年間)をまたいでさらに2010年代においても音楽シーンを新たな領域へと牽引する存在であることをはっきりと示す作品だ。

    まず、このアルバムは聴いてて非常に気持ちいい。
    いや、異常に気持ちいいと言ったほうが近い。
    それは、今作がくるりのアルバムの中でも格別に良質な楽曲ばかりが並んでおり、アレンジのアイデアも豊富で、全体のバランスや曲順もよく考えられて作られているから、
    つまりセルフプロデュースが実によく行き届いているから、
    という至極あたりまえの理由によるところが大きい。

    くるりはもともと究極のセルフプロデュース・バンドで、それゆえ作品ごとに独自の方向性や大胆な変化を打ち出し、その足跡がひとつの「(サブ)・カルチャー」を形成してきた。
    音楽的に優れているだけでなく、さらにこれだけのプロデュース能力を持っているバンドは数少ない。
    音楽の力によってリスナーのライフスタイルやファッション、思想にまで届くほどのプロデュース力を持つ、現代の数少ない「ロック・バンド」だ。
    彼らが主催する「京都音楽博覧会」で、集まった1万人の人達の話し方や身に付けているものや振る舞いを見るたびにそれを実感する。

    ま、いまさら言うまでもないことかもしれないけど、改めての確認ね。

    で、そのプロデュース力をこれまでとはまったく違う形で発揮したのがこのアルバムだ、というのが僕の見方だ。
    簡単に言うと、
    これまでどおり「どういう音楽を作るか」というプロデュースの視点を持った上で、さらに、
    「この音楽をどう機能させるか」というもう一つの視点を持って作られたのがこのアルバムなのだ。

    実はくるりはそういう視点はこれまでほとんど持ってこなかった。
    そうした「客観性」−−−−—「社会性」と言ってもいいかもしれない−−−−−という意味ではくるりはこれまで(あえて)原始人だった。
    ウィーンでクラシックを導入してRECしたのも、突然ロックンロール回帰したのも、メンバーが抜けたり、新しいメンバーでバンドを組んだりしたのも、はたから見ると「なんでやねん!」と思うことの連続で、
    その連続とリンクした作品ごとの大胆な変化こそがくるりの「(サブ)・カルチャー」としての様態だった。

    今作は、そうしたくるりのあり方を俯瞰で見たもう一つの視点によってプロデュースされている。
    それは、
    『主観的で気まぐれで大胆なくるりの「あり方」そのものを音楽としてアルバムに的確に落としこむには?』
    という客観的なプロデュースの視点だ。
    結果としての「なんでやねん!」を、あらかじめアルバムの中に音楽としてちゃんと落としこむには? というプロデュースの視点である。
    面白いことに、そうした客観と俯瞰の視点で作られたことによって、このアルバムはものすごく「くるり」のアルバムになった。
    ここ数作の中で最も「これがくるりだ」というアルバムが生まれたのである。

    お前、本人の了承もなく勝手にくるりを代弁してんじゃねえよ、とそろそろ思われていると思うので、ちょっと具体的に見ていこう。


    このアルバムの最大の秘密は、曲順である。
    このアルバムが客観的なプロデュースの視点によって「新たな領域」に踏み込んだと同時に「もっともくるり」な作品になった秘密は、曲順にある。

    このアルバムの先鋭性を語る人の多くは今のところ“Liberty&Gravity”という曲のオルタナ性を例に出しているが、
    実はあの曲は想定の範囲内である。
    未来と過去が交じり合ったような感覚も、意表をつく曲展開も、「よいしょ、あそ〜れ!」も、想定の範囲内である。
    この曲の画期的なところはむしろ歌詞である。

    それよりも、このアルバムの本質はアルバムの頭3曲にある。
    正確に言うと、この3曲をアルバムの頭に置いたという構造が、このアルバムの本質を決定している。
    〈打ち込みとシンセと生の弦楽器・管楽器をエディットして作られたエレクトロ室内楽である“2034”。〉
    〈くるりの古典的メロディーを、ギターミュージックにせずにあえてループのリズムトラックと生のドラム、弦を全面に出すことでアップデートした“日本海”。〉
    〈全編鳴り続ける太いシンセとアラブ音階、飛び交うSEによってシュールなランドスケープを描く“浜辺にて”。〉

    この、アルバムの中でこれまでとは違う作られ方をした異色の曲がアルバムの頭に(しかも曲間無しで繋がれて)いきなり出てくることで、
    その時点で聴き手の耳がアップデートされてしまうのである。
    いわば、この3曲はこのアルバムを聴くために必要なアプリケーションのような役割を担っているのだ。

    そこから以降展開する11曲は、実はくるりの王道であり古典的な曲が並んでいる。
    でもそう感じない。
    耳がアップデートされていて、フレッシュな音楽として鳴るのである。

    映画で、物語はギリシャ神話をモチーフにしていても、最初のシーンで宇宙船とCGが出てきたら未知の未来のストーリーとして観ることができるのに似ているかもしれない。

    「もっともくるり」で、同時に「新たな領域」。
    このアルバムがそういうものになった秘密はこの構造にある。
    聴き手の耳をプロデュースすることで、2014年にくるりの音楽を機能させたのだ。

    ずば抜けた音楽的才能を持つ岸田繁が2014年にこうした視点を持ってアルバムを作り上げたこと、
    そしてそれが見事に成功して歴史に残る傑作が生まれたこと、
    素晴らしいの一言だと思う。
    山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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