ずっと真夜中でいいのに。(以下ずとまよ)を初めて聴いた時、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けたのを覚えている。それと同時に音楽シーンの未来を大きく変えるアーティストだという確信を抱いた。そしてそれは想像を遥かに超えた急激なスピードでもって、現実のものとなったのだった。
全ての始まりは昨年の6月。YouTube上に突如投稿された“秒針を噛む”だった。大規模なプロデュースも、アルバムリリースすらない全くの無名な状態にもかかわらず、その後のずとまよはほぼ口コミのみで爆発的な拡散を記録した。あれから1年あまりの時が経ち、現在では絶大な支持を集める存在となった。
動画の総再生数は現時点で8,000万回を超え、日増しに新たなファンを獲得し続けているずとまよは、今やインターネットシーン発のアーティストというカテゴリーを超えた重要な存在となりつつある。
そんなずとまよの記念すべき1stフルアルバム『潜潜話』が遂にリリースされた。“秒針を噛む”や“眩しいDNAだけ”といったずとまよの名を広く知らしめた既存曲に加え、新曲7曲を収録した全13曲。今年も残り僅かとなったが『潜潜話』は必ずや音楽チャートを荒らし回る、今年最後の台風の目的な一枚となることだろう。
一聴すると、バリエーション豊かなサウンドにまず驚かされる。ダンサブルな“ハゼ馳せる果てるまで”、生活音をふんだんに取り入れた“グラスとラムレーズン”、ピアノと二人三脚で形作っていく“優しくLAST SMILE”……。今までも実験的なサウンドを展開してきたずとまよだが、ここにきてまた新たな引き出しを増やしている。2019年に生きる最先端のポップミュージックとも言うべき革新的な代物だ。
さて、この作品を語る上で避けて通れないストロングポイントは、より直接的になった歌詞にある。
思えばずとまよは活動当初より、独特な歌詞に何かと注目されがちなアーティストだった。過去に発売されたミニアルバムである『正しい偽りからの起床』、『今は今で誓いは笑みで』ではバラバラに散らばった言葉の数々をパズルのように組み合わせ、時には造語や変換を駆使する自由奔放な手法で、聴く人によって多面的な解釈が出来る工夫が凝らされていた。
それと比べてニューアルバム『潜潜話』に収録された7つの新曲はというと、確かにずとまよ印の変幻自在な表現はあるものの、過去の楽曲群と比べればいくぶん直接的に、赤裸々な感情が吐き出されている印象が強い。
《すぐ比べ合う 周りが どうとかじゃ無くて/素直になりたいんだ》(“蹴っ飛ばした毛布”)
《嫌われたくない会話から/ほっとけない 疑問の全部 どうしても/痛く見えてるほど なりたい自分で強がれるんだ》(“こんなこと騒動”)
《みんながスッキリできるなら/それはそれでよかった 逃れらんないよ》(“優しくLAST SMILE”)
人に言えずに飲み込んでしまった言葉。陰口(ひそひそ話)の数々。心の底から話せない苦悩……。そうした経験から成る孤独感、孤立感、寂寥感といった誰にも理解されない漠然としたやるせなさでもって、この作品は形成されている。
しかしながら、『潜潜話』と題された今作における最大の意味合いとは、そうした心に秘めたる鬱屈した感情を表に引き摺り出し、緩やかに溶かすことでもある。
人間関係のストレスは、今や誰もが経験しうる悩みの種だ。学校や会社で。はたまた自宅で。本心を晒け出すことを恐れるあまり、大勢の人間がその関係に翻弄され、縛られ、潰されている。
だからこそ、ずとまよが放つメッセージは大きな意味を持つ。等身大ではあるものの、その独特の歌詞からは100%の深意を理解するのは難しい。しかしそこには意味深であるが故の独特な表現の膨らみがある。素直に思いを伝えられず、自身の本心と異なった意味合いで相手に伝わってしまうような、現代に生きる弱者の境遇に似ているようにも思うのだ。
今作は悩みを抱く人間に徹底的に寄り添い、ある種の「救い」にもなり得るアルバムである。心の底に潜ませて殺してしまった言葉に、心当たりのある人にこそ聴いてほしい名盤。この作品がひとりでも多くの人の手に届くことを、願ってやまない。(キタガワ)