およそ誰もが逃れ得ない、同時に誰にとっても必要不可欠なふたつの命題が盛り込まれた『重力と呼吸』というタイトルを目の当たりにして、真っ先に連想したのは他でもない、ロックシーン最大級の期待やプレッシャーといった「重力」の中で、自らの楽曲を力強く突き上げることで、聴く者すべての日常と魂を伸びやかに解き放ち「呼吸」をもたらしてきたMr.Childrenの存在そのものだった。
しかし、今作『重力と呼吸』が体現しているのは、もっとリアルな「今」の息吹に満ちた4人の存在証明そのものだった。
Mr.Childrenという表現世界を、「今までその役割を担ってきた者」としてではなく「この時代を生きる生身のバンドマン」として、己のポテンシャルとエモーションの限りを燃やし尽くして響かせている――そんな作品だ。
Mr.Children史上最多の23曲をコンパイルした前作『REFLECTION {Naked}』(通常盤の『REFLECTION {Drip}』でも14曲を収録)から一転、それこそデビュー初期を思わせるような全10曲・約48分というソリッドな構成。
『REFLECTION』発売から今作『重力と呼吸』の制作に入るまでの約2年半の間、スタジアムツアー「未完」→ライブハウス対バンツアー→ホールツアー「虹」、「ヒカリノアトリエ」→デビュー25周年記念ドーム&スタジアムツアー「Thanksgiving 25」という精力的なスケジュールの中で、Mr.Childrenという音楽の豊かさを過去最高レベルに対象化し謳歌したことが伝わってくる、躍動感とダイナミクスに満ちたサウンドスケープ。
そして、鈴木英哉(Dr)の勇壮なカウントで幕開けを告げる“Your Song”の雄大な包容力、“海にて、心は裸になりたがる”のビートパンク的な爆走感、“here comes my love”のクイーンばりのギターソロ、“day by day(愛犬クルの物語)”での80’sハードロック寸前なワイルド&ポップなリフのアプローチなど、随所で楽曲自体をリードしているアンサンブルの肉体性――。
それらひとつひとつの要素が、アルバム全体にタフなロックとしての質感を与えていることは間違いない。が、それだけでは今作の、高く跳び上がる瞬間の開放感もその代償として体にかかる負荷も同時に眩しく輝かせていくような高揚感の説明はつかない。
と、ある日
顳顬(こめかみ)の奥から声がして
「それで満足ですか?」って
尋ねてきた
冗談だろう!?
もう試さないでよ
自分探しに夢中でいられるような
子供じゃない
(“皮膚呼吸”)
最終曲“皮膚呼吸”の冒頭で歌われる上記の心中思惟は、およそロックソングやポップミュージックの素材にするにはあまりに生々しい――というか、普通に考えれば裏話としてすら語られることのない領域のナイーブかつディープな意味合いを帯びたものだ。
曲中の《意味もなく走ってた/いつだって必死だったな/昔の僕を恨めしく懐かしくも思う》というフレーズは、桜井和寿(Vo)目線で回想したMr.Childrenというバンドの歩みがこの楽曲に重ね合わされていることが窺えるし、《I’m still dreamin'/無我夢中で体中に取り入れた/微かな勇気が 明日の僕を作ってく そう信じたい》という言葉からは、長きにわたってロックシーンをリードしてきた彼らの、なおも苦悩したり葛藤したりもがいたりしながら「その先」を目指している現在の在り方がくっきりと浮かび上がってくる。
25周年記念ツアーで桜井が、今なお自分たちの音楽に耳を傾けライブに足を運ぶ人々に無上の感謝を伝えていたのが印象的だったし、そのアクトは彼らの「Mr.Childrenの音楽を歌い鳴らす資格」が、「これまでの業績」ではなく「現在&未来進行形のロックバンドとしての訴求力」にこそある、という事実をまざまざと物語るものだった。
そんな彼らが今、Mr.Childrenという表現世界を「巨大なポップ構造体」ではなく「血湧き肉躍るロックの発露」として、己の感覚や思考や経験とより密接にリンクさせているのは、あまりに必然的なことなのだろう。
息遣いや鼓動のひとつひとつまでもがロックの熱源になっていくような今作はそのまま、Mr.Childrenがシーンの最前線で闘ってきた歴史のすべてが、期待と不安が渾然一体となった「これから」の変化への希求とともにより深く強く、彼ら自身の中で「呼吸」されていることの何よりの証である。(高橋智樹)