今週の一枚 syrup16g

今週の一枚 syrup16g

syrup16g
『Hurt』



崖っぷちを危うい足取りで歩いていた。
いや歩いているのかすらこちらからは見えない。
歩くのをやめてうずくまっているのかもしれない。
引き返そうかぼんやり迷ってるのかもしれない。
いっそ崖から飛び降りてしまおうとしているのかもしれない。
とにかく、わからない。
ここ数年、五十嵐がどうなっているのか、僕らにはわからなかった。
だが、五十嵐は目的地に辿り着いていた。
まさかと思うほど確かに、目的地にたどり着いていた。
自分の力と、中畑大樹とキタダマキの力と、僕らが見えないところで支えてきたスタッフの力と、「きっとまた僕らの前に姿を現してくれるはずだ」と信じて待っていたファンの希望の力によって、
五十嵐はここに辿り着いた。
『Hurt』がその場所だ。
6年半前のラスト・アルバム『syrup16g』以上に確かな、堂々とした、これ以上誰も何も求めようもないほどにsyrup16gな新作『Hurt』。

歪んだギター、現実を逆走するグルーヴ、病んだフレーズ、自虐のポップネス、それでも握りしめて離さない「生」の希望。

〈価値残れない 現実の先に 衰弱していく 精神の果てに〉
〈Stop brain 思考停止が唯一の希望 Stop brain 思考停止が唯一の希望〉
〈空調消して 膝を抱えて 黙ってるのさ〉
〈死んでいる方が マシさ 生きているより マシさ〉
〈心と向き合うなんて 無謀さ もともと勝ち目はないのに 挑んで またボロボロになってる〉
そんな出口なしの壮絶な脳内バトルをトリオの轟音で放ちながら、ラストの曲で
〈最低の中で 最高は輝く もうあり得ないほど 嫌になったら
逃げ出してしまえばいい〉
とロックの最後の楽天性をジャングリーなアコギのストロークで歌い放つ。

崖っぷちから姿を現したsyrup16gの音楽は完全無欠のロックだった。
マジでおかえり。

syrup16gを解散したのが6年半前。その後「犬が吠える」というソロプロジェクトを立ち上げたがすぐに消えてしまった。去年、突然の実質的なsyrup16g再結成ライヴを1度だけ行うがその後はまたも沈黙。
ロック・シーンの中で最も見えない、わからない、予想することすら無駄、に思えたsyrup16gが、
今のロック・シーンの中でも最も確固とした表現衝動とアイデンティティーを叩きつける完全無欠のアルバムをリリースするなんて神すら予想できなかったはずだ。
「犬が吠える」での表現もあったし、沈黙期間中は打ち込みの音源作りなどにも挑戦したようだが、
このアルバム(何度も言うがsyrup16g復活という事実よりもこのアルバムこそが素晴らしい)を聴けば、五十嵐の表現はsyrup16gというバンドと限りなくイコールでしかないことがわかるだろう。
五十嵐が「生きて」「表現する」ことはsyrup16gとイコールだとしか思えない。
それが証明されてしまったし、証明するためにこのアルバムを作ったんだとしか思えない。
五十嵐隆とsyrup16gというバンドとの抜き差しならない関係性、それがこのアルバムの強烈な説得力、輝きだ。

インタビューで五十嵐はこれからのことについて自信ありそうななさそうなよくわからない感じで答えているが、
僕は大丈夫だと思う。
山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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