【今週の一枚】SEKAI NO OWARI、陰を表す『Eye』と陽を表す『Lip』が伝える人間のすべて

  • 【今週の一枚】SEKAI NO OWARI、陰を表す『Eye』と陽を表す『Lip』が伝える人間のすべて - 『Eye』

    『Eye』

  • 【今週の一枚】SEKAI NO OWARI、陰を表す『Eye』と陽を表す『Lip』が伝える人間のすべて - 『Lip』

    『Lip』

  • 【今週の一枚】SEKAI NO OWARI、陰を表す『Eye』と陽を表す『Lip』が伝える人間のすべて - 『Eye』
  • 【今週の一枚】SEKAI NO OWARI、陰を表す『Eye』と陽を表す『Lip』が伝える人間のすべて - 『Lip』
SEKAI NO OWARI約4年ぶりのアルバムにして2作同時リリースである『Eye』、『Lip』。2ndアルバム『Tree』以来、なかなかアルバムのリリースがなかったことに正直もどかしさを感じていたが、全26曲を聴き終えたあとにはそんな気持ちはどこかに吹っ飛んでしまっていた。何というか、打ちのめされたような感覚を覚えたのだ。

どうして打ちのめされたような感覚を覚えたのかというと、今回の2作が、人間の本質を容赦なく炙り出すような作品だったからだ。“LOVE SONG”(『Eye』収録)に登場する、そして昨年開催されたツアー「INSOMNIA TRAIN」でステージセット登頂部に掲げられていた《Nice people make the world boring》とは、地下にライブハウスを手作りし、「気の狂いそうなほど退屈な日々」からの脱却を図っていたSEKAI NO OWARIの本質を指すフレーズであろう。真っ白な衣装を着て、名もなき若者として社会の枠組みや在り方への懐疑を歌った彼らは、やがてファンタジーを纏うようになり、現実を射抜く上での鋭さはどんどん増していった。そして、そもそも社会とは人と人との間において成り立つものであるため、そういう道のりを歩んできた彼らが、人間それ自体に踏み込んだ表現を行うことはごく自然な流れである。そんな表現を行うにあたって、(年1ペースで行われていたツアーの来場者は実感していたであろう)彼らの音楽的進化、この4年間におけるメンバーそれぞれのパーソナルな変化が、大きな影響を与えているよう。『Eye』、『Lip』は、これまでで最もカラフルな、そして最もシリアスな作品となった。

『Eye』はダークサイド、『Lip』はポップサイドと銘打たれてはいるものの、光があれば影が生まれるのと同じように、両サイドはゆるやかに混ざり合うような性質のものである。わかりやすいところで言うと、例えば“千夜一夜物語”(『Lip』収録)。この曲にあるように、恋心とは「愛しい」と「苦しい」の狭間にある感情なのだということは多くの人が実感している部分なのではないだろうか。このように、今回の2作のなかでは相反する、しかし共存しうる感情について多く描かれている。

それを踏まえて考えると、毎朝同じ列車に揺られながらも「気の狂いそうなほど退屈な日々」を断てないでいるのは、そうしてでも守りたいものがあるからなのかもしれない。また、「『普通』から逸脱した者を磔にして排除する」という現代日本に蔓延る趣味の悪いお遊びは、「気の狂いそうなほど退屈な日々」に侵された人々にとっては希少なエンターテインメントなのかもしれない。起点が同じ現象・状況であったとしても、その時々の環境、心理、体調、気候、その他諸々によって、どちらにも転ぶ可能性があるのが人間である。それはいくら嘆いても変えることのできない、私たちが受け入れなければならない事実だ。

感情やそれに伴う行動は表裏一体で、人間はいつも矛盾だらけ。様々な色を塗り重ねながらグレーな存在になり、どうにか生きることのできている私たちにとって、色の層一つひとつを引っ剥がす行為は心のカサブタを剥ぎ取る行為に近い。そんなの痛いし、血出るし、できるならやりたくないんだけど、それを経て、あなたはグレーのままでいいのだと綺麗事抜きで語りかけてくれるのが――そのようにして自分の救い方、世界の愛し方を教えてくれるのがSEKAI NO OWARIというアートなんじゃないかと思う。『Eye』、『Lip』はその真骨頂といえる作品だ。(蜂須賀ちなみ)
公式SNSアカウントをフォローする
フォローする