今週の一枚 欅坂46『風に吹かれても』

今週の一枚 欅坂46『風に吹かれても』


欅坂46がどんなグループであるかは、昨年4月のシングル『サイレントマジョリティー』での衝撃のデビューから今年7月リリースのファーストアルバム『真っ白なものは汚したくなる』までの活動と作品によって多くの人がはっきりと知っている。しかし今回のシングル『風に吹かれても』では、彼女たちがどのように進化していくグループであるかが初めてわかった。それは、欅坂46がポップミュージックの教科書通りの進化の法則を否定しながら進化するグループだということである。

僕は昨年12月に有明コロシアムでの彼女たちの初ワンマンライブを観て、以下のブログを書いた。


欅坂46は、不安と孤独を主旋律にしながらオーディエンスと濃く純度の高いコミュニケーションを紡ぐ初のアイドルだということが、今日の初ワンマンを観てよくわかった。普段は思っていることを大人に対して上手く口にできない。それは簡単には口にできないくらい強く信じているものがあるから。
その信じているものを解放する唯一の表現としてステージに立てるような少女たちが欅坂46には集まっている。それをプロデュースしているのは大人たちじゃないかと思う人もいるかもしれないが、欅坂46に関わっている大人たちは、ここに集った少女たちの不安と孤独がどこから生まれているかに徹底的に謙虚な姿勢で向き合い、その不器用さと裏腹の人の心を動かす力の大きさに、未来への希望を託しているのだということを、その楽曲たちと演出の尊さからも改めて感じた。



今回のシングルの表題曲“風に吹かれても”と各カップリング曲では、その不安と孤独を主旋律にしながら社会を支配する抑圧に宣戦布告を叩きつけて産声を上げた欅坂46の物語の、その先が描かれている。“風に吹かれても”のMVで「笑顔を見せないイメージ」を崩して見せたのが顕著だが、どの楽曲にも「不安と孤独の欅坂46」を裏切らずして脱皮するような進化が感じられるポイントがある。

たとえば奇跡の一瞬をつかむために曖昧なまま空中を舞っていようという、ネガティブにもポジティブにも振り切らないところにギアを入れながら、弾ける笑顔でキレキレのダンスの花を咲かせる“風に吹かれても”。希望というまやかしではなく《人生とは負けるもの》という真実によって生きることを肯定してくれるフォークチューン“それでも歩いてる”。理解されることを諦めた、扱いにくく閉じた人々の心のそばで、悪意をくらって炎上する避雷針として立ってやると宣言する“避雷針”。どの楽曲を取っても今の欅坂46は、いかに自分たちの信じた初期衝動を裏切ることなく、より社会を支配する抑圧に効果的に立ち向かうことができるかに挑戦していて、そのどれもが音楽的なエポックに繋がっている。



つまり、このシングルが改めて証明したのは、欅坂46がコンセプトの画期性で勝負しているのではなく、困難な現実をいかに自分たちらしいままに生き続けられるかという「けもの道」を行く、その生き様によってポップミュージックの型を大胆に更新していくグループだということだ。『サイレントマジョリティー』の衝撃に匹敵するぐらいの未知数の可能性が、この『風に吹かれても』という新たな旗を掲げた欅坂46の先に拡がっているのを感じる。(古河晋)
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