back number
『僕の名前を』
2016年5月25日(水)発売
清水依与吏が書くラブソングが他と一線を画しているのは、対象がしっかり実体を伴って浮かび上がってくるような、その強い現実感にあると思う。これは別に、具体的な相手を想定して、その人に宛てた気持ちを書いた歌詞だからという意味ではない。具体性と普遍性の二軸が両立して、多くの共感や感動を生む歌詞は、ただ単に何かに感情移入をしただけで書けるものではないからだ。普遍性を意識しすぎれば言葉は抽象的になるし、具体性だけがやたらに強い歌詞なら、その分共感を得られる人の数は減っていくはずだ。その普遍と具体のバランスが50/50とか、40/60とか、時には20/80くらいとか、意識していなくても、そのあたりのさじ加減は各アーティストの指向によって大きく変わるもの。それで、どういうわけか清水依与吏の書くラブソングには、そのバランスが100/100で表現されているような、特別な強さを感じるのだ。15枚目となるシングルのリード曲“僕の名前を”を聴いて、そんなことを思った。
《失うのが怖くて繋がってしまうのが怖くて》と、誰かと繋がることに「終わりの始まり」を見てしまっていた「僕」を歌い、《なのに君は何度も 何度も僕の名前を》と、それでも本当の愛に気づかせてくれた「君」の存在を浮かび上がらせる。その「君」の存在は歌の中ではとてもリアルに感じられるのに、歌詞では「君」の具体的な描写は意外なほどに少なくて、そこに普遍性が宿る。逆に、「僕」の思いを純化して書いていけばいくほどに、「君」は具体性を帯びてくる。この、言葉を純化していくという作業には勇気が必要で、今作の《これからずっと僕の全ては君のものだ》という凄い言葉は、誰かを愛した時の自分に深く向き合って、言葉を究極まで削ぎ落としていかなければ出てこないものだと思う。前シングルの“クリスマスソング”からも感じたことだけれど、「君」に伝えたいことがたくさんあって、すべてを伝えようとするけれど結局言いたいことはひとつだったと気づいて、勇気を出してそれを言葉にしてみるという、その行程がそのまま作品に落とし込まれているから、普遍的でありながらも現実感を強く感じるラブソングとして多くの人の胸を打つのだ。
ラブソングって極論を言えば恥ずかしいものなんだと思う。だからキャリアを積んだアーティストが綴る「愛」は、大きな意味での「愛」へと変化していくことが多いし、もちろんそれで素晴らしい歌もたくさんある。でも、back numberみたいに、誰かひとりを愛する気持ちをこんなふうに真っ直ぐに描けるというのは、やはり得難い才能だし、彼らにはこれからもそれを期待してしまう。(杉浦美恵)